さくらプロジェクトのブログ

タイ北部チェンラーイで活動する山地民の子どもたちのための教育支援NGO「さくらプロジェクト」代表の三輪隆が綴るさくら寮での日々

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泰流ドラマ雑感

2012/10/20 14:22 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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一心不乱にテレビを見る寮生たち。

 さくら寮では毎週金曜日と土曜日の夜がテレビタイムである。寮生たちは、午後8時半ぐらいから各チャンネルで一斉に始まる恋愛ドラマが大好きだ。小学生から大学生までみんな一緒に見ている。(小学生がこういうのを見るのはいかがなものかと思うが、この時間帯、少なくとも地上波では子ども向け番組など一切放送していない)

私の妻も例にもれず、この手のドラマが大好きだ。このゴールデンタイムに始まるタイドラマを見たいがために、その前に子どもを寝かしつけようと、「早く寝ろ」と息子を恫喝している。ドラマが佳境を迎えているときは、私が帰宅しようと、腹が減ったとつぶやこうと、完全無視で一心不乱にテレビに釘づけになっている。たまに機嫌がいいときには、事細かにストーリーや人間関係を説明してくれるのだが、説明されるまでもなく、しばらく画面を見ているだけで内容は容易に想像がつく。こんな単純で陳腐なドラマを飽きもせずに毎回毎回見続けてどこが面白いのか。

以下は私のタイのドラマに対する総合的な印象である。 独断と偏見も当然含まれている。

まず、タイのドラマはどれを見てもワンパターン。金太郎飴のように同じにしか見えない。

タイのドラマの登場人物は大きく分けて3つの類型にしか分類されない。性格のいい美男美女、性格の極悪な人、そしてブサイクで性格が面白い人(シリアスなドラマの中でも必ずこうした三枚目の道化回しが出てくる)である。

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今年も大阪からボランティアのかたがたがお芝居を店に来てくださった。
今年の演目は「わらしべ長者」


ヒーロー、ヒロインであるイケメンの男女が幸せをつかもうとするたびに、恋敵の意地悪な女とか意地悪な姑みたいが邪魔をして困らせる。そして波乱万条の末、悪人は降参し、意地悪だった姑は悔い改めしたりして、ハッピーエンドの最終回で幕を閉じる。とくにタイのドラマはワンクールが短く、この「最終回」が頻繁にやってくる。さくらっ子たちは、結末がわかっているくせにこの最終回を楽しみにしていて、ふだん見ていないドラマでも、最終回となると、「お願いだから最終回だけは見せて」と懇願してくる。こんなことなら毎回最終回にすれば視聴率があがるのではと皮肉のひとつでもいいたくなるほどだ。


登場人物の職業的は医者とか成功した実業家とか芸能人とか、一定の社会的ステータスにある人たちである。住んでいる家も一般庶民には縁のないような、瀟洒な白塗りの車庫着き一戸建て住宅。ゴージャスな広いリビングにベッドルーム。庶民の憧れを絵に描いたようなシチュエーションばかりだ。(満員電車で押しつぶされながら出勤するサラリーマンのドラマなんてまず見たことがない) 俳優たちの着ているファッションもタイの人気ブランドものばかり。(ドラマのエンドロールの衣装を提供した協賛スポンサーの多さに辟易する) ちなみに、今さくら寮生たちの通う高校の女子たちの流行語は「ハイソ!」 友人同士でちょっと最新のグッズなんか目にすると「きゃー、これハイソ!」などと叫んでいる。日本でも20年ぐらい前に流行った言葉だが、まさに今、タイの若者たちはハイソ志向なのだ。


ドラマの舞台はそういった高級住宅街の家の中以外では、ディスコやバーなんかのお店の中、でなければいきなりとんでもない山の中に分けいっての野外ロケというのが定番。カンチャナブリの森林とかカオヤイ国立公園あたりでロケをしているのだろうが、森の中での追いつ追われつの格闘シーンや銃撃シーン、滝のあたりでのロマンスなんかをやたら多い。そんなときに山岳民族(ふうの)人々が脇役として登場することもあるが、たいていナイトバザールの土産物屋に売っているようなまがいものの民族衣装を着ている。文化考証などむちゃくちゃだ。あと、ドラマには警察官もよく登場し、病院のシーンも多いのだが、こういう話を始めると長くなるので省略。


まあ、あの喧騒のバンコク市内じゃ屋外ロケなどできる場所も限られているだろうし、スポンサーとのタイアップで商品をバカスカ映し込んで制作費を節約しようというのも製作者の都合としてはわかる。


だがドラマを見ていて一番気になるのは、登場人物たちが全然幸せそうではなく、嫉妬や憎悪に満ちみちており、しじゅう感情をあらわにし、泣き喚いたり、ふさぎこんだり、相手を怒鳴り散らしてばかりいることである。どのチャンネルをまわしても喧嘩、いがみあいの場面ばかりで、画面の中の女優たちはいとも容易に取り乱し、血相を変えて相手を罵り、あたりかまわずわめきちらし、気が狂ったかと思うほど暴れまくったりしたあげく、失神してしまい、誰かにかかえて運ばれていったりするのだ。感情と感情の真っ向勝負である。


日本のドラマに見られるような、「顔で笑って心で泣いて」というような感情の抑制、言葉にはしないが僅かな表情の陰りとか変化で視聴者にその内面を読み取らせるというようなところがまったくない。その演技作法も古色蒼然というのか直接的というか、まるで田舎の高校の演劇部のように大げさである。ドラマを見ながらその脚本のト書きが容易に想像されてしまう。わかりやすいといえばわかりやすいけれど、私など、隣の部屋で妻が見ているドラマの中でタイの他人が怒鳴り合って、最後は泣き崩れ、「んぎゃー」とか言葉にならない悲鳴を発しながら気を失ったりする姿を横目で見るにつけ、いったいこの国にはやさしく穏やかで、慎み深い人はひとりもいないのだろうかと暗澹たる気分におちいる。「俺はもっとやさしく穏やかなタイの人々の微笑みと慈愛に満ちた生活に触れたいのに」とぼやきたくなる。そしてこの感情表現の激しさこそが、もしかしたらこのタイの人のデフォルトな性格なのではと思ってしまう。


「いやいや、これはドラマだからそういうふうにオーバーに演技しているのよ」とう言う人がいるかもしれない。だが、ドラマの中であろうとフィクションであろうと、その脚本家なり演出家なりの属する社会における行動規範とか感情の表現のしかた、価値観の本質といったものは、作品中におのずと現れてくるものだと私は思う。つまりドラマを見れば、タイ人女性が怒るとどうなるかとか、ライバルの女が出現するとどんなリアクションをとるかとか、旦那の浮気を発見するとどういう行動に出るかなど推察可能なのであり、これからタイ女性との結婚を考えている人は、タイのドラマの中の女性たち見ればある程度参考になるだろう。そして、ドラマが現実を映し出しているとすれば、現代タイ国民(特にバンコク人)の幸福度指数はかなり低いぞ。


もちろんこれはあくまでタイ族の感情表現や行動パターンであって、もともと山地民の人々たちは、これほど他者に対し感情をストレートに表すことは希だったと思う。少なくとも20年ぐらいまでは。しかしこういうドラマをお茶の間で見ていながら育つ山地民の子どもたちもそのうち「こういうふうに感情を表現すりゃいいんだ」と思って自分たちの日常生活の行動や感情表現に取り入れていくのだろう。その影響は苦慮するところである。


余談だが、ドラマに限らず、タイのテレビはツッコミどころ満載である。


先日などは、私はロンドン・オリンピックの開催式を睡魔と闘いながら朝方まで見ていた。うかつにも眠ってしまうといけないので、DVD録画の用意までして。


聖火点灯が終わり、今回の開会式の目玉のひとつ、老境に入ったポール・マッカートニーが今にも卒倒するんじゃないかというようなテンションで「ヘイ・ジュード」を熱唱しはじめ、いよいよ最後の一番盛り上がるリフレインのあたりにはいったところで、いきなりぷっつりと中継が途切れ、スタジオ解説者のおっさん二人の画面に切り替わってしまった。そして「ではこれで開会式の中継を終わります」といって、そのまま番組は終わってしまった。なんじゃい、このいい加減さ。これ、日本だったら放送局にクレームの電話殺到ですがな!

子どもたちの刺繍ポーチです

2012/09/25 02:04 ジャンル: Category:お知らせ
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10月6日、7日、東京・日比谷公園で開催される国際協力の祭典「グローバルフェスタ2012」で販売予定のさくら寮生の手作り刺繍ポーチです。サイズは平均縦14センチ、横17センチ程度。ファスナー付きです。1個1個模様が違う、「世界でひとつだけのポーチ」です。値段は600円。300個ほど用意してあります。ぜひ見に来てください。


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グローバルフェスタで会いましょう

2012/09/20 17:50 ジャンル: Category:お知らせ
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今年も東京・日比谷公園で開催される国際協力の祭典「グローバルフェスタ2012」の日程に合わせてさくらプロジェクトのスタッフ、寮生が訪日します。

今回のメンバーは女性4名です。

スタッフのシリントラー・パテさんはさくら寮の卒業生で、現在28歳。ラフ・ニ族。昨年訪日したタンヤラット・シースワンさんと同期生で、1998年、中学校1年のときさくら寮に入寮。サハサートスクサー・スクール、チェンラーイアチワ職業専門学校料理・栄養学科、観光学科を経てラジャパッド・チェンラーイ大学ホテル観光学科を卒業するまで10年間さくら寮に在寮し、卒業後、さくらプロジェクトのスタッフになりました。料理が得意で、現在は厨房の責任者を任されています。また大の子ども好きで、三輪の息子の雄司も彼女に一番なついているほどです。

ケオカン・ヨーポップさんはサハサートスクサー・スクールの高校3年生。1994年生まれの18歳。カレン族です。2007年、中1のときにさくら寮に入寮し、今年で寮生活6年目。幼い頃に両親を亡くし、叔父のもとで育てられましたが、とても明るく,しっかり者で、スタッフの仕事もよく手伝ってくれます。特に料理が好きで、さくら寮の台所にはいつもスタッフとともに彼女の姿があります。カレン族の寮生としては初の訪日です。

シリウィモン・カラーさんは1992年生まれの20歳。サハサートスクサー・スクールの高校3年生。アカ族です。最近改名しましたが、これまではミチュさんとしてお馴染みのかたも多いと思います。小学校5年生からさくら寮に入り、今年で8年目です。語学が好きで、日本語は中学時代から志願して歴代の訪日寮生にまじって学んでいました。

最年少のトゥリヤダー・アピポンサクさんは、1996年生まれの16歳。高校1年生。ラフ族のなかでも少数派のラフ・ラバーという支系に属しています。小学校4年生のときさくら寮にし、今年で入寮7年目。歌とダンスが得意な明るい女の子です。昨年訪日したパチャリー・べセグさんと同じ、ダムロン高校の理数科に今春合格しました。

 【今年もグローバルフェスタ参加】
今年も10月6日、7日に、日比谷公園にて恒例のグローバルフェスタが行われます。さくらプロジェクトも参加します。今年も昨年に引き続いてさくらプロジェクト・タイからも三輪をはじめ上記のメンバーが応援に駆けつけます。
今年も子どもたちの刺繍ポーチをはじめたくさんの山岳民族民芸品を用意しました。ぜひ遊びにいらっしゃってください。お待ちしております。みなさまとお会いできるのを楽しみにしています。

グローバルフェスタの2日目終了後の10月7日(日曜日)午後6時から、いつものように日比谷シャンテ地下二階柿安三尺三寸箸ヌーベル日比谷店(電話050‐5798‐7629)にて、畑先生や訪日寮生をまじえて懇親会が開かれます。食べ放題(飲み物別)で会費3000円です。東京での懇親会に参加ご希望の方は、さくらプロジェクト・タイ事務局(メール pjsakura@hotmail.comまたは日本事務局(電話03‐5859‐8456 芝浦工業大学清水研究室)までお電話にてお問い合わせください。

十月六日 土曜日 午前十時~午後五時
十月七日 日曜日 午前十時~午後五時
場所 日比谷公園(東京都千代田区)
交通 地下鉄日比谷駅より 徒歩2分
   JR有楽町駅より  徒歩4分

*さくらプロジェクトのブースの位置については会場で配布されるパンフレットのマップをご参照ください。



平成24年度外務大臣表彰をいただきました

2012/09/03 17:13 ジャンル: Category:お知らせ
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外務大臣表彰レセプション会場にて。2012年8月24日 在チェンマイ日本国総領事公邸。

このほど、さくらプロジェクトの活動に対して、日本政府より平成24年度外務大臣表彰という身にあまるご褒美を受けることになりました。(受賞者の名義は三輪の本名である「篠田隆司」となっております)。

今回の受賞は大変な栄誉ですが、これは私個人の功績ではなく、さくらプロジェクトを支援してくださったすべての人々の功績に対して与えられたものだと解釈しています。支援者のみなさまに感謝の気持ちを捧げて、その報告をさせていただきたいと思います。

8月24日午前11時より、チェンマイの日本総領事公邸において表彰式とレセプションが行われました。

表彰式には柴田和夫総領事をはじめ在チェンマイ日本国総領事館の職員のかたがた、さくらプロジェクトの共同設立者である畑聰一先生(芝浦工業大学名誉教授)。日本事務局の風間茂さん、そして支援者代表として勘里貞子さん、奈央さん、タイからはさくら寮のスタッフ、ペン・ジャチョンさん、タンヤラット・シースワンさん、ラッポン・ワタナソンパン君、ボランティアの山中俊彦さん、寮生代表としてメー・センヌワンさんとナルモン・セドゥクさん、さくら寮OB代表のカンポン・チャオワタナーサクン君、ウィラット・ウィセットガムワシン君、ミントラー・エナスワンさんが出席してくださいました。また社会開発人間の安全保障省チェンラーイ事務所所長のプリーダー・クナーマーさん、さくら寮の子どもたちが通うサハサートスクサー・スクールのウィチャイ・ソンセン校長、さくら寮のあるチェンラーイ市ナムラット地区の住民代表のセリー・ブンユンさんが来賓としてご出席されました。

表彰式では、柴田総領事のご挨拶のあと、玄葉光一郎外務大臣署名の表彰状と記念品の贈呈があり、そのあと、三輪が受賞の挨拶。続いてカンポン・チャオワタナーサクン君がさくら寮卒業生を代表して祝辞を述べてくれました。最後は畑聰一先生が祝辞と乾杯の音頭をとっていただきました。

外務省より正式なアナウンスがあったのが、7月12日。まずは受賞第一報を受けての、日本事務局の風間さんからのさくらプロジェクト里親会メーリングリストへの寄稿を紹介します。


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表彰式の様子


日本事務局からの報告
日本事務局代表
風間茂


みなさまにとてもうれしいお知らせです。このたび、永年にわたるタイでの教育支援活動を認められ、さくらプロジェクトが日本国の外務大臣表彰を受けました。(さくらプロジェクトは任意団体ですので、表彰は三輪さん個人が受ける形となります)

 外務省の発表(7月12日)では、今回、個人の部で62名、団体の部で18の合計80の活動者、活動団体が受賞しました。

http://www.mofa.go.jp:80/mofaj/press/release/24/7/0712_01.html

以下は外務省ホームページからの抜粋です。


「外務大臣表彰は、多くの方々が国際関係の様々な分野で活躍し、我が国と諸外国との友好親善関係の増進に多大な貢献をしている中で、特に顕著な功績のあった個人および団体について、その功績を称えるとともに、その活動に対する一層の理解と支持を国民各層にお願いすることを目的としています」

 さくらプロジェクトは、その永年のタイでの教育支援活動を認めていただいたことになります。

 今回の受賞にあたり、三輪さんは、「今回の表彰は、三輪個人ではなく、さくらを支えてくださった多くの支援者の方への表彰であり、自分はそれを代表して受けるだけ」とおっしゃっています。

 三輪さんの受賞は、支援者と三輪さんが共同でいただいたものと受け止め、ここは素直に喜びを分かち合いたいと思います。といっても、20年以上支援の輪を保ち続け、教育活動を続けてきた手腕はまさに、三輪さん個人の力量によるところ大ですが。

 さくらプロジェクトは支援者の皆様に支えられています。皆様におかれましては今後ともご支援をよろしくお願いいたします。
 

以下は、在チェンマイ日本国総領事館公邸にて行われた式典での柴田和夫総領事、三輪、畑聰一氏、OB代表のカンポン・チャオワタナーサクン氏のスピーチです。

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総領事よりのご挨拶
在チェンマイ日本国総領事館
柴田和夫総領事
  

 本日は、お忙しい中、篠田隆司氏に対する平成24年度外務大臣表彰式に多くの方にご出席いただき、真にありがとうございます。篠田隆司氏の外務大臣表彰式に際し、一言ご挨拶申し上げます。

 篠田氏は、1986年、タイへの初めての訪問を契機に、本日、日本からわざわざお越し頂きました「さくらプロジェクト」の顧問で芝浦工業大学名誉教授の畑聰一氏らと共に、1991年に北部タイ山岳少数民族の子供達のための教育支援等を目的とした民間ボランティア団体「さくらプロジェクト」を設立されました。その後、同プロジェクトは、チェンライ県において、山岳少数民族の子供達が通学の問題なく勉強できるための生徒寮の建設・運営事業を開始しました。

篠田氏は、同プロジェクト設立当初は、専従のスタッフとして、また、2001年からは同プロジェクトの代表として、実に20年以上に亘り幅広い支援活動を実施して来られました。

現在、同プロジェクトは、チェンライ県を中心として10を超える施設を運営しており、山岳少数民族の子供達の教育を経済面及び環境面において支援しております。

それらの生徒寮の卒業生は、過去20年間で約360名にものぼっており、現在までのところ、3名の卒業生が国家公務員に奉職した他、看護師、教員、地方公務員、日系企業の社員等として、多くの人材がタイ社会の様々な分野で活躍しております。

篠田氏は、山岳少数民族の教育支援以外にも、「タイ山岳民族文化交流会館」を建設し、山岳少数民族の伝統・文化の保護・継承活動面においても多大な貢献をなされました。その他にも、篠田氏は、生徒寮の寮生を訪日研修に参加させ、日本文化とタイ山岳少数民族文化の相互交流の推進面においても貢献しております。

 篠田氏の20年以上にわたる山岳少数民族に対する支援活動は、特に、山岳少数民族の子供達への教育普及、教育機会の拡大及び生活の向上並びに山岳少数民族の伝統文化の保護・継承の観点からも大変有意義なものであります。なお、篠田氏によりますそれらの活動は、我が国の有為の協力者の支援に支えられたものであり、タイの山岳少数民族の子供達への支援との観点のみではなく、日・タイ両国国民の友好と相互理解の促進の観点からも大変意義のあるものです。

 今回の篠田隆司氏に対する外務大臣表彰は、その様な篠田氏による20年以上に亘る山岳少数民族に対する支援活動が認められたものであります。一口に20年と言いましても、それは、大変永い期間であります。過ぎし20年の間には、人には言えないような辛い出来事等もあり、本当に種々のご苦労があったものと推察しております。

恵まれない山岳少数民族の為に少しでも役に立ちたいとの篠田氏の崇高な志は、これまでの幾多の試練にも屈すること無く、今日まで、一歩一歩着実に我が道を歩んで来られました。外務大臣表彰は、その様な篠田氏のこれまでのご尽力とそのご功績に対する顕彰であり、今回の外務大臣表彰を衷心よりお祝い申し上げます。

本日ご出席いただきました皆様をはじめ、篠田氏の活動を、陰になり日向になって永年にわたり支えてくださいました日タイ両国関係者の皆様に対してもこの場をお借りして心より感謝申し上げます。

 最後になりましたが、篠田隆司氏、「さくらプロジェクト」関係者及び現在生徒寮で学んでいる生徒達の益々のご多幸とご健勝をお祈りして、私の挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。
                         


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表彰状授与の様子

受賞の挨拶
さくらプロジェクト・代表
篠田隆司(三輪隆)
 
 柴田和夫総領事をはじめ在チェンマイ日本国総領事館のみなさま、タイ社会開発人間の安全保障省チェンラーイ事務所のプリーダー・クナーマー様、そしてご来賓、さくらプロジェクト関係者のみなさま。本日はお忙しい中、お集まりくださり、ありがとうございました。またさきほど、柴田総領事には身にあまるお褒めの言葉をいただきましたこと、本日このような栄えある場所にお招きいただきましたことを、日本政府外務省関係者、とりわけ在チェンマイ日本国総領事館のみなさまに心よりお礼申し上げます。

 私が初めてタイに来ましたのは今から26年前の1986年、30歳のときでした。ふとした偶然から北部山地民の人々との出会いがあり、彼らの文化に深く魅了されました。とりわけ子どもたちの表情に親しみを感じました。それ以来約3年間にわたって、フリーのジャーナリストとして、山地民の村をめぐり歩き、1年の半分以上を彼らと共に山の村で暮らしながら、写真を撮ったり、彼らの文化や生活を記録にとどめるといった活動をしていました。そんなとき、チェンラーイのアカの人々の集落調査のご協力をしたことがご縁で、本日もおこしいただいている畑聰一芝浦工業大学名誉教授と出会い、山地民の人たちからの切実な要請にも後押しされて、1991年春に畑先生と二人三脚でさくらプロジェクトを設立いたしました。

さくらプロジェクトはタイ北部山地民の子どもたちの教育を支援するNGOです。チェンラーイ市ナムラット地区に寄宿舎を建設し、村に学校がなく、また教員や設備の不足によって十分な教育を受けられない子どもたちを寄宿させ、本日の来賓のおひとりであるウィチャイ・ソンセン先生が校長をされているサハサートスクサー・スクールなど、市内の学校に子どもたちを通学させています。

21年間に400名近くの卒業生がさくらプロジェクトから巣立ち、本日お越しいただいたカンポン・チャオワタナーサクン君をはじめとして多くの卒業生たちが各方面で立派に活躍しています。このことは私のみならず、さくらプロジェクト支援者全員の誇りです。
私のような者が微力ながらなんとかこれまで活動を続けてこられましたのも、日本のみなさまのたゆまぬご支援、またタイのかたがたの寛容でおおらかな心、とりわけさくら寮のあるチェンラーイ県ナムラット地区の住民のみなさまの山地民に対する深い理解とご協力があったからこそと思っております。そして少しだけ付け加えさせていただくならば、私自身が山地民の人々に限りない魅力を感じ、彼らのホスピタリティーや人柄に愛着と共感を抱き、またその文化に親近感と敬意を抱いたことも大きな要因です。それほどこの地の人々に魅力があったからこそと今、つくづく感じております。

この20年間にタイは大きな経済発展を遂げ、山地民の社会も大きく変わりつつあります。貧困のみならずさまざまな問題が子どもたちの前に立ちはだかっています。まだまだ支援が必要な子どもたちが数多くいます。今回の受賞に際しましては、身が引き締まる思いであるとともに、今後もさらにタイの人々のためにできる限りの支援を続けていきたいと、気持ちをあらたにしております。

日本国総領事館のみなさまにおかれましては、タイ北部で生活する日本人の安全と発展、タイ北部の住民のかたがたの自立支援事業の充実など、今後ともご尽力いただきますことをお願い申し上げます。

最後に、本日お集まりのかたがたのみなさま、そしてタイと日本のこれからの友好と両国のさらなる発展を願って、私の挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。

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レセプション会場にて。スタッフ、寮生代表は民族衣装で出席
 
来賓代表祝辞
 
芝浦工業大学名誉教授
さくらプロジェクト顧問
畑聰一

まず、三輪さんとここにお集まりのみなさんに、心よりお祝い申し上げます。また、日本政府、特に外務省のかたがたにお礼を申し上げます。

さくらプロジェクトを設立した頃の熱い思いについてお話しいたします。21年前、私は、当時、拠点を東京からチェンラーイに移して山地民の村々を訪ね歩いていたジャーナリストの三輪さんを頼って、アカ族の集落を取材に来ました。合流場所であるチェンラーイのゲストハウスでお会いしたのが最初です。私は芝浦工業大学の建築分野の教員として、内外の住まいや集落についての調査を行っていました。

その頃まで、私は地中海沿岸と東アジア地域の調査をしていましたが、東南アジアについては初めての経験でした。いきなり素朴なアカの村を訪ねて、大きなカルチャーショックを受けました。当時の家屋は竹とヤーカーでつくられていましたが、それをわずか2、3日で完成させ、手を加えながら5年ほど持たせるというものでした。

このような農地の生産性に応じて移動をくりかえすアカ族のテンポラリーな住まいのつくりかたには大変驚きました。そこに、何百年というパーマネントな耐用をめざす地中海の石造の住まいとは異質な合理性をみいだしました。日本の建築教育は欧米からもたらされて独自に発展したものです。が、これまで、このようなアジアの居住文化と向き合い、真剣に掘り下げてこなかったという反省をいたしました。

調査の終盤、三輪さんから彼らへの教育支援を一緒にやりたい。日本にいて手伝ってほしいと持ちかけられました。山地の人びとと接しながら、無文字社会に生きる彼らに必要なのは、教育を受けて、タイ社会に同化することだと感じていました。彼らもそれを強く望んでいました。わたしには三輪さんの提案を断る理由はありませんでした。

その後、さくらプロジェクトは順調に成長し、北タイになくてはならないNGOのひとつになっています。それを成しとげたのは三輪隆という多才な人物であったことは言わずもがなですが、加えて、三輪さんの山地民と接する態度や山地民に寄せる想いが、20年前と少しも変わっていないことに驚かされます。さくらプロジェクトの素晴らしさは、生徒たちがそのような人間性に触れ、突き動かされて努力をしながら育っていったことにあると、私は考えています。

三輪さん、このたびは大変おめでとうございます。さくらプロジェクトにこれまでかかわってこられたすべての人たちとともに、この栄誉を分かちあいたいと思います。


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卒業生代表の祝辞
文化省文科奨励局勤務
カンポン・チャオワタナーサクン

在チェンマイ日本領事、職員の皆様、ご来賓の皆様に一言ご挨拶申し上げます。

隆さん、このたびの受賞、まことにおめでとうございます。

私は、カンポン・チャオワタナーサクンと申します。ヤオ族のタイ国民です。私は、さくら寮設立当時に入寮し、中学1年から大学院を卒業するまで、さくらプロジェクトで支援を受けました。

皆様、さくらプロジェクトと言えば、タイの山地民の人の多くは、まず、ひげを生やした隆さんを思い浮かべます。それはさくらプロジェクト設立から現在に至るまで、いつも隆さんがそばにいてくださったからでしょう。

隆さんは、多くの貧しい子どもたちを支援する活動に全身全霊を捧げてこられました。いつも微笑みを絶やさず、どのような活動にも真剣に取り組まれ、さくら寮の子供たちや周りの人たちに愛情を惜しみなく注いでこられました。私たちは、心の底から隆さんに感謝し、その気持ちを忘れたことはありません。

私自身の思い出として、さくら寮に足を踏み入れた最初の日のことをよく覚えています。私は、数枚の色あせた服を入れた古ぼけたリュックサックに、新しい緑色の草履といういでたちで寮にやってきました。人生において履物を履いたのはそれが初めてだったかと思います。所持金20バーツと簡単な身のまわりのものだけを持っていました。それでも私は温かい歓迎を受け、隆さんや先輩、職員さんに親切にしていただきました。振り返れば、この日の出来事が、私の人生における重要な分岐点になりました。
これまで20年間、隆さん、スタッフのみなさん、里親や支援者の皆様の愛情と思いやり、献身的な取り組みが、タイ山地民の子どもたちの生活の向上に寄与してきました。

さくら寮は、多くのタイ山地民の子どもたちに、人生における重要な機会を与えてきました。昔は、山地民の子どもたちは、家計が苦しく、夢も希望も持てませんでした。それが今は、生活の質が向上し、誇りを持って社会の中で生活をすることができるようになりました。看護師、軍人、警察、エンジニア、公務員として活躍している人もいます。また、有名企業や民間開発組織で働く人や自営業を営む人もいます。さらに、少なからぬ数の卒業生が生まれ育った村に戻り、村や地域のリーダーになっています。

過去20年間にわたるさくらプロジェクトの活動は、多くの人々にとって忘れることのできない歴史として刻み込まれています。
さくら寮卒業生である私は、多くの山地民の仲間たちとともに、さくらプロジェクトで人生の重要な機会を与えられました。ご支援くださった日本の皆様、本当にありがとうございます。おかげさまで、私達は生活の質の向上の重要な基盤となる教育を受けることができました。

これまでさくらプロジェクトの活動をご指導、ご支援くださった在チェンマイ領事のかたがた並びに職員の皆様に心より御礼申し上げます。

隆さん、この度はおめでとうございます。私やさくら寮の子どもたちにとってもう一人の父親とも言える隆さんに、心から感謝しております。隆さんは、貧しいタイ山地民の子どもたちに夢を与え、私の人生の生きる力となってくださいました。どうもありがとうございます。 


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スタッフ、OB、支援者代表の出席者

金三角潜入記(後編)

2012/07/30 15:03 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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ライトアップされた夜のカボック・ガーデンホテル




チェンセーンはゴールデン・トライアングルの対岸、ラオス側に突如出現した金三角経済特区。ここにはいわゆる「飲む打つ買う」の、男の三大欲望を満たす装置があからさまな形で用意されている。



カジノに関心のない私たちは、次なる場所、商業街に足を運んでみた。まずは中国からの観光客、そして地区内の中国人の労働従事者御用達の食堂街で、体育館のようなそっけない建物の中に、高級店から大衆店まで四川料理をはじめ中国各地の料理店が多数軒を連ねている。まだ昼間で客はほとんどなく、上半身裸の男たちが食材を仕込んだりしていた。ある広東料理レストランには、コブラをはじめ不気味な模様をしたさまざまな毒蛇が鳥籠のようなヤワな檻に多数入れられ、店先に無造作に置かれていた。うわっ、誰かがいたずらで檻を開けて逃げ出したらどうするんだ。

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トゥッケーも食うのかい?



ヘビ以外にもハクビシンらしき動物、オオトカゲ、それに体長30センチ以上のトゥッケー(オオイエヤモリ)が大量に入った檻もある。もちろんこれらの動物たちは全部食材である。四本足のものなら机以外なんでも食べると揶揄される広東人ではあるが、トゥッケーまで食うのかよ! 最近タイの田舎からも乱獲によってトゥッケーが消え去りつつあると聞くが、こんなところに売り飛ばされていたのか。

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 レストランの前に並べられた食材のヘビ。



レストラン街の横の2階建ての建物は、マッサージやビリヤード、ディスコ、ナイトクラブなどがぎっしり入っていて、そこには快按摩40元からなどと価格表が掲示してある。街のあちこちにはエロ路線の巨大看板なども掲げてある。

商業地区のはずれには、プレハブ建ての小屋が建ち並んでおり、夜になるとこのあまり街灯のない暗い一角にぼんやりとした青白い灯りが点灯し、怪しい人々が出入りしはじめる。私たちこれを即座にプレハブ横丁と名付けた。こういううらぶれて淫靡な雰囲気、きらいではないが、といって店内に入っていく勇気もない。


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商業街も夜は怪しい雰囲気に



そして夜にはカジノや木綿花園ホテルの外装にはこれまたけばけばしい電飾が煌めき、昼間見たときとは印象が一変している。もっともその原色の照明にセンスのかけらもないとう意味では大した変化ではない。このホテルは一泊370元(約1850バーツ)もするのだが、タイならばせいぜい700バーツ程度のレベルの安普請の建物である。突貫工事で建てられたのだろう。そしてホテルの前の暗がりでは、超ミニのドレスなどを着た若い女たちが数人立って客の袖を引いている。
S君によれば四川省あたりからやってきた中国人娼婦だろうとのこと。



私たちが投宿したホテルはカジノから10分も暗い夜道を歩いたところにひっそりと建っていた安宿にも「各民族少女が出張します」などと書いた怪しいチラシや名刺が投げ入れてあった。

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ホテルには怪しいチラシも。



この金三角経済特区の滞在許可は2泊3日までとなっているが、ギャンブルも女遊びにも興味がなく、とめどない食欲に突き動かされているだけの我々は、一泊のみで早々に脱出することにした。



さて、こうした経済特区は中国雲南省とミャンマーとの国境地帯にはこれまでにもいくつか存在した。有名なのはラオス国境のボーテン、それにミャンマー国境のモンラーで、いずれも数年間栄華を極めたが麻薬、売春の蔓延はもとより、殺人事件などが続発し、あまりにも風紀が乱れたため、中国政府によって廃止の憂き目にあっている。ボーテンもモンらーも今はカジノもなくなり、廃墟のように寂れた街になっているという。



この金三角経済特区も、積極的に各国からの投資を呼び込み、東洋のラスベガスとするべく専用の空港を建設する計画もあるという。が、いつなんどき、当局の堪忍袋の緒が切れ、ボーテンやモンラーのような運命をたどらないとも限らない。すべての建造物が妙に安普請なのは、いつつぶれても損失を最小限にできるようにという計算が働いているからだろうか。

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カジノもこの照明。 私はこれを見て『ホテル・カリフォルニア』のジャケ写を想い出してしまった。



ま、そんなうがった見方をするまでもなく、カジノの外装やレリーフに見られる陳腐な西洋趣味、ホテルの前の庭園におかれた、素人が一晩で作り上げたような稚拙な動物たちの塑像、オウムの○○サティアンを彷彿させる職員用の集合住宅などなど、文化や教養のの香りがまったくしないところが、成金富豪の文化事業の悲しさといったところか。



タイと中国を往復するメコン川貨物船のオーナーでもあり、巨額の富を成して5億米ドルもの資金を投じてこの経済特区開発に着手した
趙偉さんであるが、今のところどう見てもカジノ経営だけで採算がとれているとは思えない。この経済特区で働く4500人からの労働者を食べさせていくには、今の何十倍といった観光客を呼び込まなければやっていけないだろう。しかし、あてこんでいる収入源はカジノだけなのだろうか。カジノ経営の裏側で何かもっと巨大なマネーが動いているのだろうか。と、これ以上はあくまで想像の域である。



なにしろここはラオス、ミャンマー、タイの国家権力の及ばない無法地帯、謎の中国人実業家の治外法権の王国。まさに真の意味での黄金の三角地帯なのである。その闇の深さがほんの少し垣間見えるのがこの特区だと思われたい。



いずれにせよここで何が起こっても、誰も責任を取ってくれない。興味をもった人が行ってみるのはご自由だが、あくまで自己責任でお願いする。

 

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雲南省からの路線バスもきていた

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昼間は暇そうな商業街

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カジノの原色の照明

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いったいここはどこの国なんだと突っ込みたくなる

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当局による張り紙。麻薬をやるのは自殺。麻薬を販売するのは殺人である。

プロフィール

三輪隆

Author:三輪隆
1955年岐阜県生まれ。写真家・文筆家。タイ在住26年。さくらプロジェクト代表。

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