さくらプロジェクトのブログ

タイ北部チェンラーイで活動する山地民の子どもたちのための教育支援NGO「さくらプロジェクト」代表の三輪隆が綴るさくら寮での日々

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学力低下問題

2008/12/10 19:05 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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さくらプロジェクトで育てたひまわりの花が咲いた。



最近の青少年の学力低下問題は、世界共通の悩みかもしれない。

18年前からさくら寮の子供たちをずっと見ていて、どうも昔の寮生たちのほうが相対的に勉強熱心だったし、学力も今よりはるかに高かったように思う。単に気のせいにすぎないかもしれないと思っていたら、先日、子供たちが通う中学校の親しい先生と話す機会があって、その50代のベテラン教諭も、最近のタイの子供たちの学力低下は目を覆いたくなるような惨状だと嘆いておられた。やはりそうだったのか。
たとえば英語。

先日からさくら寮で、来年4月に日本に研修で連れて行く予定の高校1年の女子2名、MとNに日本語を教えることになった。その何回目かの授業のときに、人称代名詞や簡単な名詞、形容詞に続いて、すべての言語にとって疑問文の基本である、英語でいう「5W1H」というやつ教えこもうとした。

Who(誰が)What(何を)When(いつ)Where (どこで) Why(なぜ)How(どうやって)という5つの疑問代名詞や疑問副詞である。何語に限らず、これを知っていればさまざまな疑問文を構築することができる。のみならず「5W1H」は仕事するときや文章を書くときの基本でさえある。

ところが。
「英語の疑問詞には5W1Hってのがあるよね。え? 知らない? 学校で習わなかった? (5W1Hという教え方をするのは日本だけという説もある) まあいいや。じゃ、『誰』って英語でなんていう? 『どこ』は? 『いつ』は? 『なぜ』は? あれれれ。こっちが「タンマイ?」(なぜ)と叫びたくなった。

なんと二人とも「何」以外の疑問詞をひとつも答えることができなかった。これって語学会話で最初に頭に叩き込むべきボキャブラリー群じゃなかったか。

日本への研修メンバーに選ばれるぐらいだから、彼女たちは学校の成績はそこそこで、英語の成績も5段階評価でいうなら4ぐらいだったはずである。

タイの教育カリキュラムでは、英語は小学校低学年から教えはじめる。さくら寮の子供たちが通う学校でも小学校1年生から教えている。教科書も高価で立派なやつである。これだけ英語に力を入れていれば、中学生ぐらいになったらさぞや英会話なんかも上達してるんだろうなあと思いきや、恐ろしいことに「こんにちは」とか「おはよう」程度の挨拶しかできない子が圧倒的で、会話なんていうレベルではない。いったい9年間、どんな授業を受けてきたのだろうか。アルファベットさえまともに書けない子もいる。日本人も英会話は苦手だが、英文読解力に関してはタイの子どもよりもまだましだと思う。少なくとも語彙だけは数倍知っている。


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12月初旬に行われたた親善スポーツ大会で自チームを応援する子どもたち。

それから数学というか算数のレベルもかなりお粗末。前述の寮生に日本語を教えていて、日本円とタイバーツの為替レートの話題になり、「今、100円で37バーツである。では1円は何バーツかな」という出題をしてみた。ここでいきなり1バーツは何円かという計算をさせても混乱するに決まっているから、まずは暗算でもできる単純な割り算からである。

ところがふたりとも、「うーん」と額から脂汗を流してうなったまま、5分考えてもまだ解答が出ない。(おいっ、100円で37バーツのとき、1円が何バーツかを答えるには単に100で割る、小数点をふたつ左にずらすだけでいいんじゃないのか。特に考えるようなことかよ)と内心で苛立ちながらつっこむが、みごとなまでに比率計算の概念のがわかっていない。ちなみにふたりの学校の数学の成績は5段階評価でいうなら4。シンジラレナーイ。

これって小学校5年生か6年生ぐらいの問題じゃなかったっけ。

だが、毎晩、学校から出された宿題をやっている寮生たちを見ている私は、なんとなく察しはついていた。彼らは学ぶということの本質をあまり理解していない。

教科書をノートに右から左へ書き写すこと、それがたいていの宿題の中身なのだ。そしてこれをきちんとこなして先生に提出した者がそれなりの成績をもらえるという仕組みになっている。通信簿の成績はいかに理解しているかを基準にしてではなく、いかに宿題や課題をきちんとこなしたかによって決められるのである。つまり全然わかってなくても、まる写しの宿題や先生のお手伝いをすれば、ご褒美としていい成績が与えられる。これじゃあ、理解というものからほど遠い。

まるでそれは、いかに深い悟りを得たかではなくて、どれだけ功徳を積んだかによって来世を保証されるというタイの仏教の考え方そのものではないか! (ちょっと譬えが強引すぎたか)

まあ、そうした努力や従順さを評価のポイントにするのもひとつの方法ではあるけれども、まじめにやることと、その教科をちゃんと理解しているかどうかということとはまったく別のことである。

子どもたちは「わかる」ということがどういうことかわかっていないし、学校の先生もまた、教えること、わかることの喜びを教える方法がわかっていないか、もしくはその努力を怠っている。このあたりがタイの学力問題のポイントではないかと思う。

子どもたちの学力低下は、皮肉ないいかただが、タイの経済成長によって教育を受ける機会の裾野が広がってきたというのも一因かもしれない。

少し前まで、山岳民族のような経済的に貧しい層にとって、教育のあるなしは死活問題だった。文字が読めなければ最低限の賃金労働にさえありつけない。中学、高校と進学するには親の負担も大変なものだったし、学力の面でも、大学まで進学するには厳しい競争に打ち勝っていかねばならなかった。だからみな、教育費を払ってくれる親の恩をかみしめながら、貧困を抜け出すために必死で勉強した。しかし、今では大学も林立し、有名国立大を高望みしなければ誰でも教育大学ぐらいには簡単に入れるようになった。大学も日本と同じでレジャーランド化しつつある。それから、ちょっとやんちゃをして学校を中退したりしても、バンコクなどの都会に出れば工場、建設現場などそこそこ働き口がある。いざとなれば、台湾や韓国への出稼ぎの道もある。どう転んでも、なんとかなるさというゆるい雰囲気が漂っている。昔ほど勉強に身が入らなくなるのもむべなるかなという感じだ。

なんだかタイの教育批判のようになってしまったが、これはタイだけのことではなく、日本の子どもの学力低下も深刻な問題とか。学力だけでなく社会知識も欠如し、考え方は幼稚化している。読書の習慣の消滅、インターネットや携帯などメディアや娯楽の多様化、ゲーム脳、ゆとり教育、さまざまな原因がいわれるが、人間がバカになりつつあるのは地球規模のことかもしれない。

なーんてえらそうなことを言ってしまったが、私も最近は簡単な暗算すらできないし、まったく新しいタイ語が覚えられないでいる。あ、それは単なる老化か。

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12月初旬に行われたた親善スポーツ大会。綱引きもあった。
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三輪隆

Author:三輪隆
1955年岐阜県生まれ。写真家・文筆家。タイ在住26年。さくらプロジェクト代表。

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