さくらプロジェクトのブログ

タイ北部チェンラーイで活動する山地民の子どもたちのための教育支援NGO「さくらプロジェクト」代表の三輪隆が綴るさくら寮での日々

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13歳の決断

2007/12/28 17:39 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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 roikratonA.jpg 
クラトンをメーコック川に流す寮生たち


11月下旬のローイクラトンの夜、さくら寮の子供たちは、いくつかの小グループに分かれて、それぞれスタッフに誘導され、メーコック川のほとりで開かれているローイクラトンの祭りのイベント会場に遊びに行った。

数年前までは、さくら寮では危険防止のためにイベント会場へ遊びに行くことを禁止していた。しかし、ものごとは禁止してばかりではいたずらに欲望を刺激するばかりで、結局何人かは無断で寮を抜け出して遊びに行ってしまう。中途半端な時間に寮に戻ってきてスタッフに叱られるのを恐れて、あえて朝方に帰ってきたりする。深夜行く場所がなくて外をうろうろしていればよけいに危険度が増す。好奇心旺盛な年代の子供たちである。たまにはガス抜きして、ちゃんと遊ばせてやることも必要だ。というわけで、昨年から子供たちをスタッフ同伴、時間制限付で遊びに行かせることに方針変更したのだった。

実際、祭りから帰って、「遠くから寮の窓越しに聞こえてくるイベント会場の賑やかな音楽や観覧車のイルミネーションを眺めていると、どんなに楽しいことだろうと、いつも行きたくてうずうずしたけど、実際に行ってみたら屋台で食べ物や服や雑貨を売っているだけで、物珍しい物なんてあんまりなくて、期待はずれだったわ」と正直な感想を述べる寮生もいて、これでしばらくは無断外出者も減るだろうと思っていた。

ところが翌日、小学6年生の女子3名と小学4年生の女子1名が、夜8時過ぎた頃になって塀を乗り越え、寮を抜け出して行方不明になってしまった。行方不明といっても、行きそうな場所はこの夜までやっているローイクラトンのお祭り会場ぐらいしかない。昨夜だけでは遊び足りなかったのだろうか。寮に残った友人たちの証言では、4人は、会場の中にあったアトラクションのひとつである「テーク」(ディスコ)にただならぬ関心を抱いていたらしい。やたら大音響の音楽にあわせてステージの上で、客寄せの若いギャルたちがミニスカートで踊りまくる、タイの田舎の祭りでは定番のこの娯楽施設は、18歳未満入場禁止である。4人は昨夜もここに入りたくてうずうずしていたのだが、お金も持ち合わせず、スタッフの目もあって入ることができなかったので、今夜再挑戦にいったのではないかというのが寮生たちの推測だった。

ミボヤイはため息をつきながら、諦めの口調で呟く。「もう私は探しに行かないよ。あれほど子供たちには、ローイクラトン祭りの夜に無断で外出するなら、自分の荷物をまとめて、もう寮には帰ってこなくていいという覚悟で出かけなさいって言っておいたのだから。あれだけ言って聞かない子は、もう鎖で縛りつけておくほかに方法はないわよ」

4人は、午後11時ごろになって寮に帰ってきた。やはり友達にお金を借りて、ディスコに入っていたらしい。

翌日のスタッフ会議で、昨夜抜け出した4人の女子に対する処分について話し合った。とりあえず4人のうちNとAの保護者を呼んで、注意を喚起するということになった。NとAのふたりは直情型の性格というか、理性よりも感覚、官能に従って行動に走ってしまうタイプの子だ。あとのふたりはまだ幼く、子分として誘われてついて行ってしまったらしい。

それにしても18歳未満入場禁止のディスコに10歳から13歳の少女たちがどうやって潜入できたのか。ディスコの入り口には寮生たちの通う学校の生活指導の先生も張り込んでいて、自分の学校の生徒を見つけると即座に補導するという体制がとられていたのに。

しかし、スタッフ会議が終わってこの4人に保護者呼び出しの話をする前に、またしてもNとAが行方不明になってしまった。ローイクラトンの祭りは前夜で終わっており、この夜はイベント会場ではなにも行われていなかった。ふたりはどこへ行ってしまったのか。

午後7時ごろから、私とカンポン、ミボヤイと上級生の男子たちが手分けして、さくら寮の周辺、そしてナイトバザールなど市内の若者が集まりそうな場所を探した。ナムラット村界隈にある彼女たちが立ち寄りそうな寮、アパート、友人の家を訪問し聞き込みをしてまわるが見つからない。私も年長の寮生たちと一緒に探しに出かけ、帰ったのは午前1時だった。タイとはいえこの季節のチェンラーイの夜は凍えそうなほど寒い。

朝方になって、ふたりは帰ってきた。昨日は昼間から学校へも行かず、さくら寮近くの知人の家に身を隠し、夕方から学校の友達の家などを転々としていたという。

さっそく問い詰めると、最初はあれこれ嘘を言っていたが、最後には、ナムラット村のアパートを借りて住んでいる専門学校生の男の子(彼も同じラフ族だった)、Jの部屋で深夜11時ぐらいまでテレビを見たりして遊び、その後、市内の友達の家に泊まらせてもらったと白状した。

しかし、昨夜のその時間帯にはJのアパートにはカンポンとデッスリチャイが訪問しており、Jは玄関口で応対し、カンポンたちに「誰も来ていません」と答えたという。あとになってNとAが「カンポンの兄さんたちが、ドアのところでJさんと『メーコック川の川原とか、バイクでずっといろんなところを探し回っていて、寒くて凍え死にそうだ』と会話しているのを聞いて、奥のほうでケラケラ笑っていたのよ」と親しい寮生にあっけらかんと打ち明けている事実を知って、カンポンたちが激怒したのは無理もない。子供たちがJに口止めしたのか、Jが機転をきかせたのはわからないが、昨夜のチェンラーイは異常に寒く、本当に私たちは凍えるような思いで深夜まで捜索を続けたのだった。おりしもこの日、ニュースで、ローイクラトンの祭りで賑わうスコータイの古寺の中で、日本人の女性が何者かに殺害されるという痛ましい事件を知ったばかりだった。最悪の事態が頭をよぎったりして、心配は募るばかりだった。
 
roikratonC.jpg 

バナナの葉でクラトンを作る寮生。
 
roikratonB.jpg
会場ではローイクラトン美少女コンテスト(?)も開催されていた。


数日後、NとAの両親が来寮し、今後の話し合いをした。ふたりは小学校6年生で、あと3ヶ月で卒業だ。「今ここで寮を追い出されたら、もう勉強する場所はない、今後は絶対にこのようなことがないように言い聞かせるので、どうかあと3ヶ月だけでも面倒をみてやってほしい」と保護者からは嘆願される。もちろんさくらとしても、そう簡単に義務教育を放棄させるわけにはいかないので、とにかく3ヶ月は寮で面倒をみて、小学校だけはなんとしてでも卒業させてやりたいと意向を伝えた。中学校に進学するどうかは休み中にじっくり考えればよいことだ。今の時代、どんな職場を探すにしても、小学校卒業の資格でも持っているのと持っていないのは雲泥の差である。まだ実社会を知らない本人たちにとってそういう実感は薄いのだろうが、子供に勉学を続けてほしいというご両親たちの切実な気持ちは話をしていてよく伝わってきた。

ところが当のふたりはもう気持ちが切れてしまっていて、もうさくら寮にはいたくないという。

じゃあ、退寮してどこへ行くのか、勉強を続けるのか、続けないのかと問うとAは「まだわからない」、Nは「友達の家から学校に通う」と言う。もちろんふたりの保護者は「そんな勝手なことができるはずがない。さくら寮にいれなかったら、どうやって生活し、誰が学費を払えるのか。いったいこの子は何を考えているのか」と怒り、嘆く。

Xmas1.jpg

寮内クリスマス会より

AとNは今日にでも寮を出て行くといい、すでに荷物をまとめはじめていた。

困った。

実はNの里親のSさんご夫妻が、2日後にさくら寮を訪問されることになっていた。Sさんご夫妻は2年前にもさくら寮を訪問されていて、Nとの再会を本当に心待ちにされているのだ。

もちろん、Nにもそのことはつい1週間ほど前に知らせてあり、Nは「わあ、うれしい!」と飛び跳ねて喜んでいた。にもかかわらず、あんなふうにして規則を破り、今日限りで寮も出たいなどいい出すのは、まったくどういう思考の構造になっているのか。(たぶん思考などいうものはしていないのだろうが)

私はNに言った。「寮をやめるにしても、せめて里親の方がいらっしゃるのを待ってからにしたらどうだい。そして、日本のお父さん、お母さんの前で、なぜ寮をやめたいのか、これから何をしたいのかをちゃんと説明してから寮を出て行ったほうがいい。そうじゃないと、君と会えるのを楽しみにしていらっしゃった里親の方は、納得できないし、悲しむと思うよ」
当初は今すぐに出て行きたいと言い張っていたNだが、最後は「じゃあ、そうします」と言った。Aも少し落ち着いてきて、しばらくは寮に残って考えてみると言う。

2日後の夕方、Nの里親のSさん夫婦が来寮された。Nについての、これまでの経緯や、現在の状況を説明する。しばらくして学校から帰ったNが緊張した面持ちでやってきた。Nも交えて4人で、これからのことを話しあった。Nはさくら寮を出て、友達とアパートを借りるか、友達の家に寄宿しながら学校へ行くことに決めたことを硬い表情でポツリポツリと話した。

おふたりとも、小学6年の里子の思ってもいなかった決断に、大変驚かれていたが、一方で事態を冷静に受け止められていた。やはり13歳の子が友達とアパート暮らしをするのは現実的ではないし、ご両親の経済的負担を考えたら、そんなことを考えるべきではないだろうという意見を述べられた上で、「でも最終的に本人がどうしても寮を飛び出したいというのなら、しかたがないですね、子育てというのは本当に親の思い通りに行かないことは私たちも身をもって体験していますから」と話された。「でも、やっぱり、とてもとても残念です。なんとか気持ちを翻せないものか」

私のほうからいろいろとNに水を向けるが、彼女はもうあまりしゃべろうとはしない。

長い沈黙が続いたと、奥さんのほうが、抑えていた感情がこらえきれなくなったのか、嗚咽をもらされた。

彼女の涙をみて、Nも反対の方向を向き、腕で顔をおおってすすり泣き出した。奥様が涙を流し、Nがすすり泣いている横で、私とSさんのご主人はなすすべがなく、黙っていた。 重い時間が流れた。私は心の中で、里親のお二人にお会いしたこと、里親の方の涙をその目で見たことが、Nにとってなにか変化のきっかけにかってくれればよいと思った。

Sさんご夫妻は明日チェンマイに向かわねばならないので、Nとの面会はこれが最後の機会だった。これからチェンラーイ市内のホテルに戻られるという。

 別れ際、奥さんは二度、「きっと難しいとは思いますが、なんとかNちゃんに、寮に残るよう思い直すように、三輪さん、説得してあげられないでしょうか・・・」とおっしゃった。


Xmas2.jpg 
寮内クリスマス会より

「はい、がんばってみます」

Nはダンスが大好きな女の子である。学芸会のダンスやチアリーダーでは大ハッスルして、最前列の中央に陣取って抜群のリズム感で他の子達をリードしていた。「せめてあと1ヶ月、クリスマス会が終わるまでは寮に残ればいいじゃないか」と私はNに言った。Nは少し曖昧に頷いた。

ウィラットの運転でSさんたちをホテルまでお送りするのに、Nも自ら志願して同乗した。少し希望はあるかもしれないと思った。
翌朝、Nの姿は寮になかった。今日、母親がとりあえず面会に来るはずだったが、それさえも待たず、スタッフにも何も告げず、親戚の叔母さんと名乗る人と一緒にだまってどこかへ行ってしまったらしい。あわてて母親が追いかけた。

昨日のNの涙が嘘だったといいたいのではない。彼女の中で昨日と今日がまったくつながっていないだけなのだ。それは「時間=歴史」を欠いた人間の存在の(とても原初的な)あり方である。そして一定の価値観や倫理観を横糸にして記憶やイメージを時系列に沿って織り込んでいくことによって自己や世界を「歴史的存在」として意味づけていくという「ヒト」のみに可能な生き方の技術の習得もまた、教育という作業以外にはありえないことなのだろう。


Xmas3.jpg 
寮内クリスマス会より


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プロフィール

三輪隆

Author:三輪隆
1955年岐阜県生まれ。写真家・文筆家。タイ在住26年。さくらプロジェクト代表。

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