1992年度
さくら寮開寮
1992年度(タイ歴2535年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ヨハン・チェムー(寮長)
アミ・チェゴン(寮母)
セレ・チェムー(寮母)
カニカー・カンプラスク(寮母)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
西村美紀(ボランティア)
安達英信(ボランティア)
さくら寮生58名
1992年4月6日 さくら通信第3号発行。
1992年5月11日 さくらプロジェクト・タイ・スタッフによる初めてのミーティングが開かれる。一部の寮生が入寮開始。
1992年5月12日 さくら寮入寮日。この日よりフリーのテレビディレクター、瀬川正仁氏によるテレビ東京のドキュメンタリー番組製作のための取材が始まる。
1992年5月16日 午前9時半より、さくら寮の開寮式。ユナイテッド・ヴィレッジ・スクールのプラパン理事長、ウィチャイ校長、ナムラット村村長、そして寮建設資金提供者の中村清彌氏、21世紀農場の谷口巳三郎氏、リス生徒寮の中野穂積氏らを招いてさくら寮前でおこなわれる。幼稚園児から高校生まで58人がさくら寮のメンバーとなる。
1992年6月11日 テレビ東京系列にてさくら寮の開寮までを追った番組「さくら寮INタイ」(ディレクター・瀬川正仁氏、スポンサー・東京都)が放映される。
1992年6月19日 さくら通信第4号発行。東京・芝浦工業大学にて「第3回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1992年7月 さくら寮の二つ目の寄宿施設をユナイテッド・ヴィレッジ・スクールの敷地内に建設する許可が学校からえられ、第2さくら寮(すみれ寮と命名)建設計画がスタートする。芝浦工業大学建築工学科大学院生木村剛士を中心に同大学大学院卒業生の清水郁郎、現地カレン族の建築士の3人によってすみれ寮の設計図が書かれる。
1992年10月9日 東京で「里親の会」開催。
1992年10月30日 さくら通信第5号発行。東京・芝浦工業大学にて「第4回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1992年11月 すみれ寮設計のため1992年12月 有償ボランティアとして里親である高沢安喜さんが東京事務局の事務の仕事を受け持つ。
1992年12月3日 東京西北ロータリークラブの資金援助によるすみれ寮建設工事が始まる。
1992年12月20日 日本人中野穂積さんが運営するチェンラーイ県メースアイ郡の山地民学生寮「リス生徒寮」とのスポーツ交流大会をチェンラーイ県メースアイ郡のリス生徒寮で開催。
1993年3月6日 さくら寮で初めての入寮生選抜試験実施。35名の合格枠をめぐり、書類選考で選ばれた110名の子どもたちが受験。(以後,毎年月に入寮選考会を実施)
初代さくら寮
初代さくら寮の食堂