さくらプロジェクトのブログ

タイ北部チェンラーイで活動する山地民の子どもたちのための教育支援NGO「さくらプロジェクト」代表の三輪隆が綴るさくら寮での日々

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金三角潜入記(前編)

2012/07/01 19:59 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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タイ北部国境地帯の代名詞として世界に名を轟かせる「黄金の三角地帯」。かつて世界のヘロインの70%を生産していた麻薬地帯。いかにもおどろおどろしく怪しいそのイメージとは裏腹に、その名を冠したチェンセーンの西7キロの地点にあるゴールデントライアングルなる場所は、チープな仏像とハリボテの象、そしてどこででも買えそうな土産物屋が立ち並んでいるだけで、怪しい雰囲気も麻薬の気配もなにもない。大型バスを連ねて乗りつける団体観光客も拍子抜けの、のどかな観光地である。


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チェンセーン側から見たゴールデントライアングル。のどかな風景だ。



では本来の意味での「黄金の三角地帯」とはどこにあるのか。今回はそんな疑問にひとつの回答を見つけるため、というわけではまったくないが、もうひとつの「三角地帯」に潜入することにした。ゴールデントライアングルの対岸、メコン川をはさんだラオス領の岸辺に数年前に出現した「金三角経済特区」と呼ばれるところである。

 

そもそもここは今から3年ほど前、香港金木綿集団(The King Romans Group)取締役会長という肩書きをもつ中国人実業家の趙偉という人物が起こした巨大プロジェクトで、ラオス政府から約1万ヘクタールの土地を99年の期限付きで租借し、ここにラスベガス型のカジノやホテルを建設、運営しているのである。この経済特区、表向きはエコツーリズムを中心とした観光地という名目ではあるが、現実は飲む、打つ、買うといった俗なる男どもの基本的欲望を満喫させることに特化された歓楽街である。



金三角経済特区は外交、国防、司法以外の自治権を持っているとのことで、実質上はラオス政府の権限の及ばぬ独立国のようなもの。すべてはオーナーの趙偉氏の胸先三寸で決まる「金木綿王国」なのだ。黒龍江省佳木斯の赤貧家庭で育ち、材木商などを得て一代で財を成したというこの趙偉という人物の来歴については謎に包まれているが、どうも一筋縄ではいかない人物のようである。


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金三角経済特区のイミグレーション

ゴールデントライアングルの近くにはすでにミャンマー側にカジノが建設され、主にタイ側からやってきた観光客を相手に営業しているが、このラオス側に忽然と現れたカジノの主な顧客は、現在のところ、メコン川を船で下ってきたか、もしくは陸路でボーテンなどラオス国境を超えてやってきた大陸の中国人観光客たちである。ギャンブルにはみじんも関心がない私だが、怪しい場所は大好きである。この怪しい地域に出現した謎の一角の実態に迫るべく、元さくらプロジェクトボランティアであり、辺境オタクを自認する茅賀君をともなって出かけることにした。



この金三角経済特区に外国人が入る正規の手続きというのが他に存在するのかどうか知らないが、とりあえず我々はゴールデントライアングルにあるタイのイミグレーション・オフィスに出向き、対岸に見える怪しげな建造物のほうを指さし、「向こう側に渡りたいのだが」と係官に訴えた。イミグレの係官は携帯電話でどこかに電話して何やら打ち合わせたあと、「出国手続き料は500バーツだよ」と告げ、「お前ら博打しにいくのか」とニヤニヤしながらも、パスポートのコピーにイミグレのスタンプを押し、通行証のようなものを発行してくれた。行きも帰りもパスポートには何もハンコを押されないので、正式な出入国記録は残らない。



イミグレ横の階段を降りて河原に下り、渡し船の船頭と交渉し、(モーターボート貸切りとはいえ、とはいえ、川を渡るだけで200バーツとはボッタクリと思ったら、案の定帰りは100バーツだった)ものの1分もかからず向こう岸に到着。岸辺の防波堤の植え込みには「金三角特別区」の文字が。ラオ語でもサムリアン・トンカム(黄金三角)ではなく、サムリアン・カム(金三角)と書いてある。

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カジノ正面。人影は少ない。



階段を上ったところにそびえるドーム型の建物がラオス側のイミグレだった。ここで入域料なるものを徴収される。ラオスなのにキップ払いでなく中国元(20元)払いだった。ラオス人の係官もいるにはいるが、ラオス政府の体面を保つための形式上の置物といった感じで、実質的に出入域を管理しているのは中国人(金木綿集団のスタッフか)のようだ。



パスポートを預けて外へ出ると、イミグレの前にはカジノからのお迎えのタクシーが到着しているではないか。ここからカジノのある街の中心までは1キロ以上あるというので、ここは遠慮なく便乗せていただく。



送迎車が横づけしたのは、まさにカジノの正面玄関で、パルテノン神殿を思わせる古代ギリシャ建築風の柱に、見上げればルネッサンス風の丸い巨大な天井画。見る人が見ればキッチュ以外の何物でもない、何の文化的含蓄もない建物。博打なんてやるつもりもなく、バックパックにサンダル履きというおよそカジノ客らしからぬ場違いないでたちの私たちは、このこけおどしの門構えのゴージャスさに一瞬たじろぎつつも、カジノ客を装い、涼しい顔をして入場することにした。カジノ内は撮影禁止で、バッグとともにフロントに預ける。従業員たちはそこそこ訓練されていて礼儀正しい。

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カジノの入口



だだっ広いカジノの中は、盛況とまではいかないが昼間からまあまあ客は入っていた。が、どう見ても客よりも従業員のほうが多い。働いているのは中国人、ミャンマー人、ラオス人のようである。タイ人専用の賭博機コーナーもあるが、まだタイではあまり宣伝されていないのか、タイ人客はほとんどいない。まあ、こういう場所をタイ政府としても積極的に宣伝はしたくないだろうが。



カジノ内には中華料理のバイキング形式のレストランがあり、そこで昼食を取り、早々にカジノを引き上げ、今も建設途上にあるこの「金木綿アセアン経済旅行開発区」の全容を把握するために、約2キロ四方の市街中心部を徒歩で探索することにした。



カジノやホテルに面しているメインロードは両側に椰子の木などが植えられ、南国のリゾート地然としている。整備された幅15メートルほどの広い道路だが、車も人通りも少なく、なんだかゴーストタウンのような雰囲気だ。

 38_R.jpg
街のいたるところに中国語の標識



さらに奥の道に入り、今も続々と建設中の建物が立ち並ぶ一角を抜け、従業員、労働者らの住む団地のほうに続く小路をいく。標識は中国語とラオス語で書かれている。ロンジーをまとったミャンマー人らしき労働者たちが自転車で行きかっている以外には、人の姿はあまり見えない。特に子どもの姿が見えない。

そして商業地区へ。ここで突っ込みどころ満載のさまざまな光景を見聞することになるが、続きは次号にて。

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ほとんど車が走っていないメインストリート。ここだけ見るとゴーストタウン

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カジノオーナー直営のカボック・ガーデン・ホテル

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三輪隆

Author:三輪隆
1955年岐阜県生まれ。写真家・文筆家。タイ在住26年。さくらプロジェクト代表。

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