さくらプロジェクトのブログ

タイ北部チェンラーイで活動する山地民の子どもたちのための教育支援NGO「さくらプロジェクト」代表の三輪隆が綴るさくら寮での日々

スポンサーサイト

--/--/-- --:-- ジャンル: Category:スポンサー広告
TB(-) | CM(-)Edit

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ジョイさん逝く

2006/07/20 16:43 ジャンル: Category:さくら寮日誌
TB(1) | CM(0) Edit

 

IMG_5008.jpg 生前のジョイさん



 さくらプロジェクトの中心スタッフだった、ジョイさんことヌッチャナート・ロンジャイカムさんが、7月9日午前0時、慢性腎不全のため亡くなった。34歳の若さだった。

 通夜はジョイさんが自分のすべてといっていたさくら寮で行われ、告別式はチェンライ市内のカトリック教会でしめやかに行われた。ジョイさんはミャンマーの生まれで、タイ・ルー族。シャン州のムアンヨンに住んでいた頃からカトリックの信者だった。

 ジョイさんというさくらプロジェクトの大黒柱を失って、私たちは今、言葉を失っている。あまりにも大きな存在だった。そしてあまりにも突然な別れだった。

 ジョイさんは2004年4月に、慢性腎不全の末期と診断され、5月よりCAPD(Continuous
ambulatory peritoneal dialysis持続性自己管理腹膜透析)という方法により治療を続けていた。これは一般の血液透析と異なり、ブドウ糖、電解室、乳酸が含まれた透析液を、腹部に装着、留置したカテーテルを通して腹膜に出し入れすることによって体内の老廃物を除去する方法で、一日3度、それぞれ30分程度をかけて自宅で透析パックを交換するため、月一度程度の通院ですむため、多忙でしかもあまり病院が好きでないジョイさんにとってはうってつけの方法だった。

 この2年間、CAPDは医師も誉めるほど順調にいっていた。

 しかし、今年に入って、CAPDの効果にかげりがでてきた。感染症による腹膜炎を起こしてしまったのだ。これは腹膜透析という治療法につきまとう最大のリスクというわれている。透析パックを交換するときカテーテルなどのわずかな隙から細菌が混入し、炎症を起こしてしまうのだ。

 6月29日に部屋で貧血を起こして倒れ、入院した。7月1日からは一度腹膜内を空にするべく、CAPDを中止した。腹膜炎が完治するまで腹膜透析をしないという方針だ。といっても、何日も透析を行わなければ生命に危険をおよぼす。医師は血液透析を決断した。

 7月4日、ジョイさんはオーバーブルック病院ではじめての血液透析を行った。

 6日になって、病状が悪化した。前日夜から口内に異常を感じ、朝になると舌がズタズタに爛れて出血していた。免疫力低下による感染症だった。血液透析に耐えられる体力がもう残っていなかったのだ。その後、8日に2度目の血液透析を行ったが、透析途中で容態が急激に悪化。そのまま意識は戻らず、帰らぬ人となった。

 ジョイさんは1993年春からさくら寮の食事係としてはじめてさくらプロジェクトにやってきた。当時21歳。まだあどけなさが残る顔立ちだったが、すでに旦那さんがいると知って一部男性スタッフ、ボランティアから落胆の声がもれた。

 1年あまり後にジョイさんは離婚した。その後、数多くの男性(その中には日本人も何人か含まれていた)からプロポーズされ、一時は婚約、退職の決断寸前までいったこともあったが、最後には、さくらプロジェクトや私を捨ててお嫁にはいけない、といってさくらにとどまってくれた。

 13年間、彼女はさくらプロジェクトのために、文字通り骨身も惜しまず働いてくれた。1年365日、ほとんど休むことがなかった。たまに実家に帰るときは、申し訳なそうに私に許しを請いにきた。日曜日でも午前中教会に出かける以外は友人と遊びに出かけることもなく、子ども達の面倒を見た。朝4時に起きて市場に行き、朝、昼、晩と130人からの子ども達の食事を作り、さらに私たちスタッフの食事も作ってくれた。1998年前任の女性スタッフが結婚を機に退職してからは、さくらプロジェクトの現地代表としてさらに忙しくなった。子ども達の食事の世話はもちろんのこと、子ども達の生活指導から経理、学校の保護者会や会合への出席、私の滞在ビザ取得の手続きにいたるまで、一人何役者もの仕事をこなしてくれた。朝5時から夜9時まで、ほとんど休むことなく働きづめだったのではないかと思う。13年間だったが、普通の人の30年分は働いたのではないかと思う。「少し手を抜いて、他のスタッフに徐々に仕事をまかせていったら」と勧めても、納得できる仕事をしようと、自分が可能なことはすべて自分でこなしていた。

 最後の最後まで、ジョイさんはさくらの子ども達やさくらプロジェクトの行く末について心配してくれた。学期休み中、子ども達が村に帰っているときのジョイさんはひどく寂しそうで、もうすぐ新学期が始まるというとき、とてもうきうきして楽しそうだった。子ども達をホテルのビュッフェや、外部のイベントなどに連れていったとき、外部の人に「みな、私の子どもたちなんです」と紹介するときのジョイさんはとても誇らしげだった。

 また、さくらに就職当時、小学校しか出ていなかった(その後定時制高校を卒業)自分をここまで重用して、責任ある仕事をまかせてくれているということで、私には最後まで最大限の尊敬を払ってくれた。私の健康のことを人一倍心配してくれたのもジョイさんだった。

 ジョイさん自身もさくらプロジェクトに出会ったのは彼女の人生にとって大きな転機であり、最後には人生のすべてといってもいいほど大きな存在だったに違いないが、タイに住むようになってからの私の人生もまたジョイさんに大きく支えられてきた。彼女に助けられなかったら、私はとうの昔に、さくらプロジェクトから逃げ出していたに違いない。

 今は13年間さくらプロジェクトを支えてきてくれたジョイさんに心からお礼を言うとともに、ご冥福を祈る。

IMG_1780.jpg 


IMG_1794_R.jpg 

 IMG_1774_R.jpg


IMG_1751_R.jpg 

IMG_1854_R.jpg 

IMG_1863_R.jpg 

写真1、2、3、4:さくら寮で行われた 通夜の様子
写真5:カトリックの教会で行われた葬儀と出棺
写真6:埋葬。
スポンサーサイト

コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック:
この記事のトラックバック URL

まとめteみた.【ジョイさん逝く】
さくらプロジェクトの中心スタッフだった、ジョイさんことヌッチャナート・ロンジャイカムさんが、7月9日午前0時、慢性腎不全のため亡くなった。34歳の若さだった。通夜はジョイさん
[2012/04/30 17:00] まとめwoネタ速suru
プロフィール

三輪隆

Author:三輪隆
1955年岐阜県生まれ。写真家・文筆家。タイ在住26年。さくらプロジェクト代表。

カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。