さくらプロジェクトのブログ

タイ北部チェンラーイで活動する山地民の子どもたちのための教育支援NGO「さくらプロジェクト」代表の三輪隆が綴るさくら寮での日々

スポンサーサイト

--/--/-- --:-- ジャンル: Category:スポンサー広告
TB(-) | CM(-)Edit

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

さよならの理由

2006/05/23 16:35 ジャンル: Category:さくら寮日誌
TB(1) | CM(0) Edit


IMG_1284_20120503234105.jpg 新入生と保護者たち

新学期が始まった。

 さて、前回の日記で、学期休み中に婚約して高校進学をドタキャンした寮生Nのことを書いた。もちろん彼女は新学期になっても寮に戻ってはこなかった。

新学期が始まる直前、ことの真偽を問いただすために、彼女を寮に呼んだ。

 彼女は、「えーっ、私、結婚なんてしませんよ。私は寮に残って、勉強を続けますよ。誰がそんなことを言ったのです!」とシラをきっている。

「なこといっても、キミの村じゃ、もっぱらの噂だぞ」

「それはきっと私のことを悪く思っている村人がたてた根も葉もない噂です。私、とっても迷惑してるんです」

 根も葉もない噂というが、現に彼女の叔母にあたる人がさくら寮にチクリの電話をかけてきたのである。叔母さんがわざわざそんな嘘を言うだろうか。

 案の定、その数日後、Nの従姉妹がやってきて、寮に残っていたNの荷物を全部持ち出していった。寮に残るつもりがあるなら荷物を運び出す必要はないはずなのに。やはりNは嘘をついていたのだ。さすがに本人がくるのは気が引けたのだろう。従姉妹にこっそりと荷物をとりにこさせたのだ。

 結婚して寮を去っていくことは本人の決断であり、自由なのに、なぜここまでバレバレの嘘をつく必要があるのか。学期休みをきっかけのこうして寮を去っていく子どもたちの行動には、判で押したように同じパターンが見受けられる。そのワンパターンは、思わず笑ってしまいたくなるほどだ。まずひとつめのパターンは、何の挨拶もなくそのまま消えていくという「沈黙派」である。

 日本では「たつ鳥あとを濁さず」とか「終わりよければすべてよし」とかいうように、自分が属していた組織や共同体を離れるにあたっては、どういった理由であるにせよ、「お世話になりました」くらいの挨拶はして一応のけじめをつけるものだ。

 しかし、こちらの子は、むしろそれが彼らの美徳でもあるかのように、挨拶もなくこっそりとフェード・アウトしていくのである。もちろんスタッフにイヤミの一つも言われるのが憂鬱だという気持ちもあるだろうし、なんらかのうしろめたさがそうさせるのであろうが、たった一言の挨拶をためらったがために、ずっと負い目を背負い、寮に遊びにくることもできないのは、つまらないのでは。と思うのは私たちの考えであり、昔をなつかしんで寮に遊びに来る気なんてさらさらないのかもしれない。「過去の時間」に対する感覚は私たちとはかなり違っている。彼らにとって大事なのは現在であり、思い出なんてものはそう大切なことではないように思える。

 もうひとつは、ちゃんとした退寮の理由を言わず、くどくどと言い訳をしたり、あからさまな嘘をつくというパターンである。

 Nの場合もその後村で会ったときは、さすがに彼氏がいるという事実を隠すことはしなかったが、「私はその気がないのに、親が無理やり私を結婚させようとしているのだ」だの、彼氏のほうが強引で私の進学を許さない」だのと、苦しい言いわけをしていた。要するに退寮することになったのは、あくまで私以外の人の圧力によるものであり、けっして自分の非ではないと主張しているわけである。「彼氏ができたから寮を出ます」と正直にいっちゃえばよいものを。
 おそらくこの国(もしくはそれぞれの民族)の文化の中に、「正直であることの対価」というものが保証されていないのではないかと思う。日本の場合は、儒教倫理や武士道のような価値観が地下水脈のように流れており、正直であることは、物質的な報酬はないまでも、賞賛の対象となる。潔さを誉められることによって、ある種の心理的な快楽を与えられるのである。

 しかし、こちらではあくまで「正直者は馬鹿をみる」である。

 さくら寮では、備品や私物など様々なものが紛失したり壊れたりするが、「誰がやりましたか?」と尋ねても自分から名乗り出るものはまずいない。

 交通事故があっても、両者たがいに決して自分の非を認めず、一方的に相手をなじり続けることが多い。ひき逃げも圧倒的に多い。日本語の「御免なさい」は「罰を免じてください」「ご容赦ください」という意味(タイ語では「コー・アパイ」がこれにあたる)である。それを言うことによって、罰も軽減されることがある。これに対し、タイ語の「コー・トード」という言葉は、「私に罰をお与えください」という意味である。潔く非を認めたが最後、相手から徹底的に犯罪者扱いされ、なじられ、賠償責任を追及されるのである。

 だから、自分が不利な立場に追い込むようなことをわざわざ正直に言う必要はないのである」日本の子どもならば悪さをしても、正直に言えばお母さんから「正直な子ねえ」と頭をなでられるが、タイの子どもは「なんて馬鹿正直な奴なんだ、このドアホ」などとどやしつけられるのかもしれない。

 といったような独断と偏見に満ちた暴論を書いていた矢先、昨日、スーパーのエスカレーターに乗っているところを、タイ人の小さな男の子が追いかけて駆け上ってきて、「おじさん、1バーツ落としましたよ」と言って私に1バーツ硬貨を手渡してくれた。タイにもまっとうな教育を子どもに授けている大人がおり、それをまっとうに実践している子どもたちもちゃんといるんだなあ、と感心し、私はその日一日中幸せな気分ですごした。大人になってもそのままでいてほしい。



IMG_1389.jpg 
学期休みが終わって寮に戻ってきた子どもたち。
スポンサーサイト

コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック:
この記事のトラックバック URL

まとめteみた.【さよならの理由】
新学期が始まった。さて、前回の日記で、学期休み中に婚約して高校進学をドタキャンした寮生Nのことを書になっても寮に戻ってはこなかった。新学期が始まる直前、ことの真偽を問い
[2012/04/30 16:51] まとめwoネタ速suru
プロフィール

三輪隆

Author:三輪隆
1955年岐阜県生まれ。写真家・文筆家。タイ在住26年。さくらプロジェクト代表。

カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。