さくらプロジェクトのブログ

タイ北部チェンラーイで活動する山地民の子どもたちのための教育支援NGO「さくらプロジェクト」代表の三輪隆が綴るさくら寮での日々

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これも何かの縁(2)

2011/09/24 01:11 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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 誤配された郵便物を間違って開封してしまったという失態がきっかけで、さくら寮生たちが山崎哲男さん率いるチェンラーイの日本人ソフトボール同好会の練習に参加させてもらうことになったという経緯は前回に書いた。

 さて、ラジャパッド・チェンラーイ大学のグラウンドを借りて月2回行われているというそのソフトボール練習会に一度は参加してみたいと思いつつ、集合時間が日曜日の早朝という私にとっては厳しい時間帯のため、つい朝寝坊してしまったり、珍しく早起きしたと思ったら大雨で中止になったりとかで、やっとその練習風景をこの目で確認できたのは9月に入ってからであった。

 そんな私の代理というわけではないが、今年1年大学を休学してさくらプロジェクトにボランティアにきている木下奈津季(20歳)が、子どもたちの通訳もかねて最初からこの練習に参加してくれていた。


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ソフトボールの練習風景



 さくら寮生たちは誰もこれまで野球やソフトボールの試合をテレビでさえ見たことがない。木下さんによれば、まずは基本ルールから説明するのが一苦労だったという。試合形式の練習では、バッターボックスを無視してキャッチャーの真ん前で打席に立ったり、打っていきなり三塁方向に走りだしたり、次打者が打っても一塁でボーッとしていたり、守備の方は走者がいない塁に送球したり、トンネルしたボールを取りにもいかなかったりとか、私は往年の映画『がんばれ!ベアーズ』を連想してしまった。(たとえが古いなー)

 しかしいつかベアーズのように強くなれそうもないのがさくら寮生たる所以である。小学生のスッカムなどは、守備のときボールが飛んでこないのをいいことにグローブを頭にかぶって寝転んでいたという。もともとタイの人はサッカーとかバスケットボールとかセパタクローのようなたえずせわしなく動き回っているようなスポーツが好きである。野球のように体を動かしていない時間が長いと、ついついだれて、いつのまにか芝生で昼寝に入ったり、サッカーボールで遊び始めたりするのだ。数名が予想通りしばらくすると練習にこなくなってしまった。比較的がんばって続けているのはラッサミーとスウィモンの女子高校生コンビである。このふたりはなかなか筋が良くて、ラッサミーなどは私が見学したときはピッチャーをまかされていた。
 

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ソフトボールの練習風景

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目指すはナックル姫のラッサミー。
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サンダル履きで守備をするスウィモン。
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ある日の練習メンバー

 さてここから新たな展開である。

 7月末のある日、そのソフトボールチームの日本人のみなさんがさくら寮を訪問することになった。メンバーの一人、K杉さんが、自家製の手打ちうどんをソフトボール練習に参加している寮生にごちそうしてくださるということになり、その他のメンバーも見学かたがたさくら寮を訪問されることになったのだった。

 腰のあるおいしい冷やしうどんをいただいたあと、さくらホールなどを見学してもらっているとき、訪問メンバーのなかの一人、路傍の地蔵菩薩のような顔立ちをしたヒゲのO寺さんが、チラと私に囁いた。

「今度ね、チェンラーイ在住の日本人でバンドをやることになったんですよ」

「へー、それはいいですね。どんな曲やるんですか」

「LOSOです。来月から毎週日曜の夜、チェンラーイ日本人会が、新しくできた歩行者天国(タノン・コンムアン)にテントを出して、いろいろ出し物をやるんですよ。もちつきとか、空手のパフォーマンスとかね。そこで我々も演奏することになったんです。だけどタイ人の前でやるんだから、日本の歌なんか歌ったってウケないからね、タイの歌をやろうってことでね」

 LOSOの曲なら私もかつて寮生と一緒に組んでいた「LOSU」(LOSOとかけたということもあるが、実際のメンバーのひとりの名前だった)というバンドでよくコピーしたものだ。

 バンドの構成を聞くとボーカル兼ギター、ギター、ベースの3人だという。

「あっ、ドラムがいないんですね。うちにドラムセットがあるから、よかったらうちで練習しませんか。僕も以前さくら寮生たちとバンドやってましてね、担当はギターですけど、ドラムもテンポを取るぐらいならできますよ」

「おー、それはいい。ぜひ一緒にやりましょう」

 実を言うと私は知る人ぞ知る機材マニアである。酒にもゴルフにもギャンブルにも縁のない私は20代の頃から、趣味と言えばAV機器をいじることぐらいで、そうした機材関係のみに小遣いのすべてを投入してきた。ここ10年ぐらいは、さくら寮生のために音楽の機材を調達しているうちに、ミイラとりがミイラになったというか、個人的に楽器やPA関係の機材にはまってしまい、日本に帰ったときには中古のギターやベースを買い集め、タイではドラムやアンプ、スピーカー類を地元の楽器店を通じて取り寄せたりして、気がつくと自宅の部屋にはロックバンド二つぐらい余裕で組めるぐらいの楽器類と、ちょっとしたライブハウスでコンサートができるぐらいのPA機材が山積みになっていたのである。しかし、バンドを組んでいたさくら寮生たちも卒業してバンドは解散してしまい、一緒にやる友達もいなくなり、ドラムセットなどは1歳8ヶ月になる子どものおもちゃになりはてていた。やっと眠っていた機材の数々が日の目を見、社会の役に立つときがきたのである。

「じゃあ、さっそく今週末から三輪さんちで練習始めましょう」

 フットワークの軽いO寺さんのかけ声で毎週土曜日の午後、私の自宅に集まることになった。歌詞はすべてカナ読みで暗記しているというF田さんのレパートリーから「ソムサーン」「チャイサンマー」「パンティップ」「メー」など初期のLOSOのヒット曲を中心に7曲をやることになった。

 集まったメンバーはバンマスでギター担当のO寺さんほか3人、ボーカルのF田さんはチェンラーイのM大学の日本語の先生。一見シャイだが、マイクとギターをもたせると人格が豹変するタイプらしい。ベースのT人君はそのM大学の留学生である。東京出身だが大学は沖縄で、さらにそこからチェンラーイくんだりまで留学してしまったという変わり者である。ベースの腕前はまあそれなりだが、唯一の20代の若者でなかなかのイケメンなので、たちまちさくらの女子寮生たちに注目され、固定ファンができてしまった。しかも彼ひとりでバンドの平均年齢を40代にまで引き下げてくれている。
 
 こうしてまだ名も決まっていないバンドは産声をあげ、8月27日夜のさくらホールでのデビュー・コンサート、28日のタノン・コンムアン(ホコ天)での路上ライブをめざして練習が始まったのである。

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プロフィール

三輪隆

Author:三輪隆
1955年岐阜県生まれ。写真家・文筆家。タイ在住26年。さくらプロジェクト代表。

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