さくらプロジェクトのブログ

タイ北部チェンラーイで活動する山地民の子どもたちのための教育支援NGO「さくらプロジェクト」代表の三輪隆が綴るさくら寮での日々

スポンサーサイト

--/--/-- --:-- ジャンル: Category:スポンサー広告
TB(-) | CM(-)Edit

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

命のバトン

2010/04/20 23:52 ジャンル: Category:さくら寮日誌
TB(0) | CM(0) Edit

nasi.jpg  
寮生が「母の日」に書いた絵


 今回はさくら寮の話題からそれてしまうが、4月11日、母が82歳で他界した。

 何千キロも離れた異国に暮らす身、親の死に目にはあえないだろうとは覚悟していたが、母親は誰もいない深夜の病院でひっそりと逝ってしまったので、家族は誰一人として最期を看取ることができず、結果的には物理的な距離というのはあまり関係なかった。郷里の岐阜以外の町で暮らす兄弟、甥たちの中で実家にたどり着いたのが一番早かったのは、なんとチェンラーイから飛んできた私だった。

母は4月の初め頃から重篤な病状に陥っていたので、とにかく仕事が一区切りしたらすぐに帰国しようと考えていた。が、4月8日までに支援者に発送を完了しなければならない「さくら通信」(さくらプロジェクトの会報である)の印刷が納期をまったく守らないタイ人仕事の印刷屋のせいで遅れに遅れていたり、私の長期ビザ延長の関係で4月8日に必ずイミグレーションに出頭しなければいけないといういささか面倒な事情があったりで、8日までは帰れそうになく、とりあえず9日帰国を目標にチケットを探した。

ところがどこの代理店に問い合わせてもタイ航空の中部国際空港行きは9日から12日までずっと満席。無理もない。駐在員たちがこぞって里帰りするソンクラーン休みの直前だし、バンコクではタクシン派のデモで日々騒ぎが大きくなりつつあった。おそらくこの時期、多くの日本人駐在員や長期旅行者が、バンコクでの騒乱を避けるために日本に一時帰国するのだろう。

軍とデモ隊の衝突で多数の死傷者が出て、日本人カメラマンが取材中に銃撃されて死亡したというニュースが流れていた11日の未明、父から国際電話で母の訃報がもたらされた。すぐに帰ってこられるかという。空港での正規料金チケットの直買いは私の懐には厳しいので最後の手段にするとして、まずは格安チケットを探さねばと、夜が明けてすぐにチェンラーイの街にチケットを求めに出かけたが、ソンクラーン前の日曜日である。開いている旅行代理店などあるはずもない。

ところが、ほとんどあきらめかけて最後に立ち寄った、利用したことのない旅行代理店がなんと朝からオープンしていた。まるで砂漠に中にオアシスの思いで店に飛び込むと、カウンターには天使の微笑を浮かべた若い女性スタッフが、まるで私を待っていたかのように座っていて、「ああ、タイ航空の名古屋行きなら一席だけあいていますよ」というのである。こちらの切迫した事情などなにも説明しないにもかかわらず、親切に対応してくれたこの女性スタッフが私には本当に菩薩か天使に思えた。それは今でも思い出すたびに、奇妙な夢のワンシーンのように脳裏に浮かんでくる。あれは本当に現実のできごとだったのか。今度もう一度その旅行代理店を訪れたらそこは3ヶ月前から空き店舗だったなんてことはないのだろうか。そんな小説みたいな展開がありそうなほど、それは奇妙に現実感のない朝だった。


nongnut.jpg 
寮生が「母の日」に書いた絵


きっとこれは母の力が奇跡を起こして私を日本に帰してくれたのだろう、と感じた。私は信仰心などこれぽっちもないけれど、殺伐としたこの世の中にはこれぐらいのささやかな不可思議というか非科学が入りこむ余地があっても許されるのではないかと思った。

 母親には迷惑と心配をかけっぱなしだったが、最後まで親不孝な息子の都合に配慮して(こんな言い方はなんだが)とてもいいタイミングで逝ってくれた。寮の仕事がそれほどたてこんでいないタイの学期休みの時期である。亡くなるのがもう少し早くても私はタイを動けなかっただろうし、もう少し遅れてもゴールデンウィークの真っ只中でチケットの確保は絶望的だったろう。まるで私のために配慮して自分の死期を調整してくれたかのようだ。人に迷惑をかけるのが何よりも嫌いだった母らしい最後だった。感謝の一言である。

 タイでは葬式に参列するのは日常茶飯事だが、日本の葬儀はずいぶん久しぶりだ。親戚の人たちと顔をあわせるのも30年ぶりぐらいである。当然私は浦島太郎状態で、弟や甥から「隆君、オレのこと覚えてる?」などと聞かれても、まったく思い出せない。みなが口をそろえて言うのは、「隆ちゃん、顔までタイ人になっちゃったねえ」だ。顔までって、性格がタイ人化しているのはすでに見抜かれていたのか。

驚いたのは日本では昔と比べて田舎の葬儀といえどもずいぶんコンパクトかつシステマチックになっていたことだ。だらだらと何日も続く山岳民族の葬儀と違い、すべてがてきぱきと過不足なく淡々と進行していく。まあ、みんな忙しいから、そうそう他人の葬儀につきあってはいられないし、葬儀屋さんだってサラリーマンだったりする。

今回、通夜も告別式の段取りも、JA(農協)に取り仕切っていただいたのだが、まるで時報にあわせるように式が始まり、ぴたりと予定の時刻に出棺となった。すべての段取りが粛々と執り行われたが、やはりハプニングもある。厳粛な雰囲気に包まれて僧侶の読経が始まったとき、誰かの携帯電話がけたたましく鳴った。今年88歳になる澄子おばちゃんの携帯だった。一人暮らしで耳が遠いので音量が最大に設定されていたのだ。着メロは氷川きよしの『ズンドコ節』だった。

 ところで私は今年、54歳にして初めて人の子の親になったのであるが、孫の顔(実物)を母親に見せられなかったのが唯一の心残りである。しかし「ちゃーお」編集部のTさんからも言われたことだが、これは「命の繋がり」というものかもしれない。生命力などおよそ枯れ始めている老体の私に子宝を授けてくれたのも母親の超自然的なパワーだったのかもしれない。などと、タイに戻る飛行機の中で、発売されたばかりの村上春樹の『1Q84  BOOK3』を読みながら考えたものだった。

とまあ、今回は身内の死をネタにしてしまったが、天国の母親も笑って許してくれることだろう。合掌。


yuji1.jpg 
yuji2.jpg 
母の思いが命のバトンを繋いでくれたのか。
スポンサーサイト

コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック:
この記事のトラックバック URL

プロフィール

三輪隆

Author:三輪隆
1955年岐阜県生まれ。写真家・文筆家。タイ在住26年。さくらプロジェクト代表。

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。