さくらプロジェクトのブログ

タイ北部チェンラーイで活動する山地民の子どもたちのための教育支援NGO「さくらプロジェクト」代表の三輪隆が綴るさくら寮での日々

スポンサーサイト

--/--/-- --:-- ジャンル: Category:スポンサー広告
TB(-) | CM(-)Edit

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ジコチューとナルシズム

2010/03/22 23:47 ジャンル: Category:さくら寮日誌
TB(0) | CM(0) Edit

print0.jpg 
中学を卒業したさくら寮生たち。やっとのことで集合させた。


卒業シーズンである。さくらの子どもたちが通う中学校でも先日、卒業式があった。以前は私も欠かさず出席していたものだが、学校まで歩いてたった3分の距離にもかかわらず最近はめっきり顔を出さなくなった。しらじらとした疎外感を味わうだけだからである。

卒業式にはそれぞれの卒業生の保護者、親族たちが花束やプレゼント片手に大挙してやってきているのだが、その目的は、式典のあとの校庭での記念撮影会である。花やリボンで飾りつけらたセットをバックに寮生たちも一族郎党との記念写真の撮影に余念がなく、「さくら寮卒業生だけで里親さんに送る記念写真を撮るから集まれよー」と号令をかけても、もうさくら寮のことなんてさらさら頭にない。家族、親族、友人たちと写真を撮り終わると、さっさと食堂などに昼食を食べに行ってしまうのである。寮という人生の一通過点にすぎないう仮のコミュニティーへの帰属意識なんてみじんもないかのように。もちろんタイにも「同じ釜の飯を食った仲」という言い回しはあるけれど、家族、親族以上に強固な絆、コミュニティーなど彼らにとっては存在しない。つくづくタイはまだ血縁共同体最優先社会なのだと思う。

さくらプロジェクトを始めた20年ほど前の頃、タイではカメラはほんの一部の金持ちの道楽で、一般の山岳民族の人々は郡役所で撮られるIDカード用の顔写真以外には、家族で記念写真を撮る機会さえほとんどなかった。当時、さくらプロジェクトの周辺でもちゃんとした写真機(当時は35ミリフィルムの一眼レフカメラだったが)を持っているのは私一人だった。なので学校の卒業式の会場に行くと、さくら寮生のみならず他の生徒、保護者から「記念写真撮ってくださーい」と撮影依頼が殺到して、撮影無料のボランティア写真屋は大繁盛でてんてこまいだった。そしてできあがった写真をプレゼントすると大喜びされた。

 それが20年たち、タイは経済発展を遂げ、カメラもパソコンも携帯電話も大衆のものとなった。今ではデジカメ、カメラつき携帯、ハイビジョンビデオカメラもあたりまえ。デジタル一眼レフをぶら下げている人の姿もちらほら見かける。さくら寮の子どもたちの中にも日本製や韓国製の最新式のコンパクトデジカメを持っている子がいる。そのため私も持ち出しばかりのボランティア写真屋などという余計な仕事をしなくてもよくなったのは助かる。

が、子どもたちを見ていてちょっと奇異に思うことがある。これだけデジカメが普及すれば、さぞかし写真に対する芸術的感性は研ぎ澄まされて、とんがった作品を撮っていると思いきや、生活のスナップや風景、静物、ドキュメントなどを撮っている様子はまったくない。判で押したように自分の肖像の撮影オンリーなのである。最新ファッションで決め、念入りに化粧をして自分だけ(もしくは友人との)のアップの写真を撮り、それをパソコンで加工して、1インチ大のステッカーにするのだ。つまりいわゆる彼女たちのデジカメの存在意義はいわゆる「プリクラ」用途オンリーなのである。

print1.jpg print2.jpg

ステッカーの使途は、卒業シーズンになると誰もが勉学よりも熱心に、寝る間も惜しんで作成する「フレンドシップ」(友人たちがメッセージを書き込む自分専用の思い出寄せ書きノートのこと。タイ語では「フェンチップ」に聞こえる)である。卒業していく友人や先輩たちのそれぞれの寄せ書き帖にメッセージとともに、自分の「勝負写真」を貼りつけるのである。特に女の子のそれは男の子たちの寄せ書き帖に引く手あまただから、ステッカーは数十枚単位で大量生産しなければならない。まあ、これはボーイフレンド募集のための宣伝広告の意味もあり、見合い写真をばら撒いているようなものだ。

自分をいかに美しく見せ、いかにいい男たちに売り込むか。当然、彼女たちにとって写真の被写体というのは「自分」以外何も考えられない。自分が写っていない写真など、写真とは呼ばないのである。きれいなお花畑も雄大な滝もその中心に自分が微笑んでいてこそ「写真」なのである。

そんなわけで寮生たちがなんとかの一つ覚えのように日夜パソコンに向かってこのステッカー作りに励んでいるのを横目で見ながら、「せっかく高性能の最新デジカメとパソコンをもたせても、やることはこれだけなのかよー」と私などはつい嫌味を言ってしまうのである。

日本人はもうちょっと豊かな写真生活を送っているのではないか。と思ったら、最近は日本でもカメラを自分に向けて至近距離で撮影する「自分撮り」というのがはやっているらしいから、いずこの国でもこの年代の女の子たちのナルシズムは共通しているようで。「自己愛もたいがいにして、もうちょっと自分以外のものに関心を持てよなあ」と鼓舞してみても、いっこうに「外部」への関心は見られない。

蛇足だが、この徹底した「ジコチュー」ぶりは寮生活の中でも広範に見受けられる。

 たとえば清潔の感覚。寮の女の子たちはみなとても清潔好きで、毎晩念入りにシャワーを浴びる。朝シャンをする子もいる。もちろん衣類は毎日着替え、洗濯し、丁寧にアイロンをかけ、きちんとロッカーの中にハンガーでつるしてある。

ところが同じ布類でも、共有のものとなると悲惨な状態だ。たとえば各部屋のカーテン。言われなければ1年でも2年でも洗濯しないので、もう全面手垢だらけである。掃除のモップや足拭きマットも同様だ。

たとえば水道の蛇口が壊れて水が出っ放しになっていても、見てみぬふりをして誰も修理しようとしない。修理どころかスタッフに報告にさえ来ない。たとえばトイレが三室あったとして、そのうち二室のトイレの便器が詰まっていたとしても、最後のひとつの便器が詰まって使えなくなるまでは、その残ったひとつの便器を不便を承知で使い続ける以外、なんの対策も講じようとしない(がまん強いという言い方もできるが)。

 個人の所有物に対する愛情と、公共の物に対してのぞんざいな態度。この落差はいったいなんなのか。

 なんて今回も、オチもなにもない、ただのぼやきに終始してしまった。

print3.jpg 
print5.jpg  print6.jpg


さくら寮生たちのステッカー写真。 
スポンサーサイト

コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック:
この記事のトラックバック URL

プロフィール

三輪隆

Author:三輪隆
1955年岐阜県生まれ。写真家・文筆家。タイ在住26年。さくらプロジェクト代表。

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。