さくらプロジェクトのブログ

タイ北部チェンラーイで活動する山地民の子どもたちのための教育支援NGO「さくらプロジェクト」代表の三輪隆が綴るさくら寮での日々

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泰流ドラマ雑感

2012/10/20 14:22 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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一心不乱にテレビを見る寮生たち。

 さくら寮では毎週金曜日と土曜日の夜がテレビタイムである。寮生たちは、午後8時半ぐらいから各チャンネルで一斉に始まる恋愛ドラマが大好きだ。小学生から大学生までみんな一緒に見ている。(小学生がこういうのを見るのはいかがなものかと思うが、この時間帯、少なくとも地上波では子ども向け番組など一切放送していない)

私の妻も例にもれず、この手のドラマが大好きだ。このゴールデンタイムに始まるタイドラマを見たいがために、その前に子どもを寝かしつけようと、「早く寝ろ」と息子を恫喝している。ドラマが佳境を迎えているときは、私が帰宅しようと、腹が減ったとつぶやこうと、完全無視で一心不乱にテレビに釘づけになっている。たまに機嫌がいいときには、事細かにストーリーや人間関係を説明してくれるのだが、説明されるまでもなく、しばらく画面を見ているだけで内容は容易に想像がつく。こんな単純で陳腐なドラマを飽きもせずに毎回毎回見続けてどこが面白いのか。

以下は私のタイのドラマに対する総合的な印象である。 独断と偏見も当然含まれている。

まず、タイのドラマはどれを見てもワンパターン。金太郎飴のように同じにしか見えない。

タイのドラマの登場人物は大きく分けて3つの類型にしか分類されない。性格のいい美男美女、性格の極悪な人、そしてブサイクで性格が面白い人(シリアスなドラマの中でも必ずこうした三枚目の道化回しが出てくる)である。

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今年も大阪からボランティアのかたがたがお芝居を店に来てくださった。
今年の演目は「わらしべ長者」


ヒーロー、ヒロインであるイケメンの男女が幸せをつかもうとするたびに、恋敵の意地悪な女とか意地悪な姑みたいが邪魔をして困らせる。そして波乱万条の末、悪人は降参し、意地悪だった姑は悔い改めしたりして、ハッピーエンドの最終回で幕を閉じる。とくにタイのドラマはワンクールが短く、この「最終回」が頻繁にやってくる。さくらっ子たちは、結末がわかっているくせにこの最終回を楽しみにしていて、ふだん見ていないドラマでも、最終回となると、「お願いだから最終回だけは見せて」と懇願してくる。こんなことなら毎回最終回にすれば視聴率があがるのではと皮肉のひとつでもいいたくなるほどだ。


登場人物の職業的は医者とか成功した実業家とか芸能人とか、一定の社会的ステータスにある人たちである。住んでいる家も一般庶民には縁のないような、瀟洒な白塗りの車庫着き一戸建て住宅。ゴージャスな広いリビングにベッドルーム。庶民の憧れを絵に描いたようなシチュエーションばかりだ。(満員電車で押しつぶされながら出勤するサラリーマンのドラマなんてまず見たことがない) 俳優たちの着ているファッションもタイの人気ブランドものばかり。(ドラマのエンドロールの衣装を提供した協賛スポンサーの多さに辟易する) ちなみに、今さくら寮生たちの通う高校の女子たちの流行語は「ハイソ!」 友人同士でちょっと最新のグッズなんか目にすると「きゃー、これハイソ!」などと叫んでいる。日本でも20年ぐらい前に流行った言葉だが、まさに今、タイの若者たちはハイソ志向なのだ。


ドラマの舞台はそういった高級住宅街の家の中以外では、ディスコやバーなんかのお店の中、でなければいきなりとんでもない山の中に分けいっての野外ロケというのが定番。カンチャナブリの森林とかカオヤイ国立公園あたりでロケをしているのだろうが、森の中での追いつ追われつの格闘シーンや銃撃シーン、滝のあたりでのロマンスなんかをやたら多い。そんなときに山岳民族(ふうの)人々が脇役として登場することもあるが、たいていナイトバザールの土産物屋に売っているようなまがいものの民族衣装を着ている。文化考証などむちゃくちゃだ。あと、ドラマには警察官もよく登場し、病院のシーンも多いのだが、こういう話を始めると長くなるので省略。


まあ、あの喧騒のバンコク市内じゃ屋外ロケなどできる場所も限られているだろうし、スポンサーとのタイアップで商品をバカスカ映し込んで制作費を節約しようというのも製作者の都合としてはわかる。


だがドラマを見ていて一番気になるのは、登場人物たちが全然幸せそうではなく、嫉妬や憎悪に満ちみちており、しじゅう感情をあらわにし、泣き喚いたり、ふさぎこんだり、相手を怒鳴り散らしてばかりいることである。どのチャンネルをまわしても喧嘩、いがみあいの場面ばかりで、画面の中の女優たちはいとも容易に取り乱し、血相を変えて相手を罵り、あたりかまわずわめきちらし、気が狂ったかと思うほど暴れまくったりしたあげく、失神してしまい、誰かにかかえて運ばれていったりするのだ。感情と感情の真っ向勝負である。


日本のドラマに見られるような、「顔で笑って心で泣いて」というような感情の抑制、言葉にはしないが僅かな表情の陰りとか変化で視聴者にその内面を読み取らせるというようなところがまったくない。その演技作法も古色蒼然というのか直接的というか、まるで田舎の高校の演劇部のように大げさである。ドラマを見ながらその脚本のト書きが容易に想像されてしまう。わかりやすいといえばわかりやすいけれど、私など、隣の部屋で妻が見ているドラマの中でタイの他人が怒鳴り合って、最後は泣き崩れ、「んぎゃー」とか言葉にならない悲鳴を発しながら気を失ったりする姿を横目で見るにつけ、いったいこの国にはやさしく穏やかで、慎み深い人はひとりもいないのだろうかと暗澹たる気分におちいる。「俺はもっとやさしく穏やかなタイの人々の微笑みと慈愛に満ちた生活に触れたいのに」とぼやきたくなる。そしてこの感情表現の激しさこそが、もしかしたらこのタイの人のデフォルトな性格なのではと思ってしまう。


「いやいや、これはドラマだからそういうふうにオーバーに演技しているのよ」とう言う人がいるかもしれない。だが、ドラマの中であろうとフィクションであろうと、その脚本家なり演出家なりの属する社会における行動規範とか感情の表現のしかた、価値観の本質といったものは、作品中におのずと現れてくるものだと私は思う。つまりドラマを見れば、タイ人女性が怒るとどうなるかとか、ライバルの女が出現するとどんなリアクションをとるかとか、旦那の浮気を発見するとどういう行動に出るかなど推察可能なのであり、これからタイ女性との結婚を考えている人は、タイのドラマの中の女性たち見ればある程度参考になるだろう。そして、ドラマが現実を映し出しているとすれば、現代タイ国民(特にバンコク人)の幸福度指数はかなり低いぞ。


もちろんこれはあくまでタイ族の感情表現や行動パターンであって、もともと山地民の人々たちは、これほど他者に対し感情をストレートに表すことは希だったと思う。少なくとも20年ぐらいまでは。しかしこういうドラマをお茶の間で見ていながら育つ山地民の子どもたちもそのうち「こういうふうに感情を表現すりゃいいんだ」と思って自分たちの日常生活の行動や感情表現に取り入れていくのだろう。その影響は苦慮するところである。


余談だが、ドラマに限らず、タイのテレビはツッコミどころ満載である。


先日などは、私はロンドン・オリンピックの開催式を睡魔と闘いながら朝方まで見ていた。うかつにも眠ってしまうといけないので、DVD録画の用意までして。


聖火点灯が終わり、今回の開会式の目玉のひとつ、老境に入ったポール・マッカートニーが今にも卒倒するんじゃないかというようなテンションで「ヘイ・ジュード」を熱唱しはじめ、いよいよ最後の一番盛り上がるリフレインのあたりにはいったところで、いきなりぷっつりと中継が途切れ、スタジオ解説者のおっさん二人の画面に切り替わってしまった。そして「ではこれで開会式の中継を終わります」といって、そのまま番組は終わってしまった。なんじゃい、このいい加減さ。これ、日本だったら放送局にクレームの電話殺到ですがな!
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プロフィール

三輪隆

Author:三輪隆
1955年岐阜県生まれ。写真家・文筆家。タイ在住26年。さくらプロジェクト代表。

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