さくらプロジェクトのブログ

タイ北部チェンラーイで活動する山地民の子どもたちのための教育支援NGO「さくらプロジェクト」代表の三輪隆が綴るさくら寮での日々

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パローン族の基礎知識

2012/04/30 05:09 ジャンル: Category:山地民族の基礎知識
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昨年11月チェンライ、ラジャパッド大学でメコン川流域少数民族フェスティバルの会場にきていたパローン族の少女たち。
 


タイではパローン族もしくはベンロン族という名前で知られている。中国ではデーアン族(徳昂族)とも呼ばれる。

 もともとは中国雲南省やミャンマー東部に多くが居住し、タイ国内へは約30年程前に、ミャンマーの内戦を避けるために国境を越えて移住してきたと言われている。タイのパローン族は、チェンマイ県のチェンダオ郡やファン郡に4ヶ所の村が知られている。チェンダオの観光コースとして有名なパデン村のパローン族の人たちは、国道沿いに村をかまえ、立ち寄る欧米人観光客たちに民族衣装やアクセサリーなどのみやげ物を売っている。

 女性は一定の年齢に達すると、腰に籐や竹で作ったさまざまな輪の飾りものをつけるのが特徴。以前、日本の民放テレビでこのパローン族が紹介され、巨乳が売り物の某女優がレポーターとして、なんだか見当違いな質問をしたりしていた。その中に、パローン族はこの腰の「たが」をどういった理由で身につけるのかという問題もあったと記憶しているが、その「正解」なるものも、「ホントかいな」とつっこみたくなるようなものだった。実際には、この腰の飾り物の由来や意味は不明だが、長い歴史をもっていることだけは確かである。

 日本放送協会出版から発行されている「雲南の少数民族」の中で、中国人研究者の桑耀華は以下のように記述している。

「徳昴族の女性には「たが」をはめる習俗がある。これには長い歴史と伝統があり、はるか唐代の史書にも記述があり、当時これを「籐蔑を腰にまとう」と称した。徳昴族の娘は成人に達すると腰部に5、6本から10本以上の籐でできた「腰箍(こしたが)」といわれる輪をつける。なかには2、30本つける者もいる。その太さなどは一定ではなく、多くは浅葱(あさぎ)、紅、黒などの色で仕上げてあり、また各種の模様を刻み、薄い銀の板で包んだものもあり、陽光のもとできらきら光る様は鮮やかで目を奪う」

 パローン族の人々は上座部仏教(いわゆるタイ仏教、小乗仏教)を信仰しており、村の中に寺や僧侶をおいている。パローン族の男子の中にも僧侶になってあの黄色い僧衣をまとっている者を見かける。

 パローン族の人たちは中国においてもミャンマーにおいても古くから茶の栽培を得意とし、自分たちでも愛飲している。「若い青年が求婚するとき、媒酌人をたのんで相手方の親に会いに行くときも、まず2、3斤の茶の包みを持っていく(桑耀華)」という。

 そういえば私自身、ミャンマーのラングーンで、あの民族衣装を着てお茶の葉を売りに来ていたパローン族の女性を見かけ、嬉しくなって声をかけ、友達になったことがある。パローン語もビルマ語も話せない私が、どうやって彼女と会話したのか、さっぱり思い出せないのだが。

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2011年度

2012/04/14 19:14 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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設立20周年 第8回訪日研修実施

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せいほく館竣工セレモニー


2011年度さくらプロジェクト タイ スタッフ

ペン・ジャチョン(寮長)

タンヤラット・シースワン

ワナサナン・サポン(さくらエコホーム寮母)

ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)

シリントラー・パテ(食事)

ラッポン・ワタナソンパン(運転手)

三輪隆 (代表・ボランティア)

山中(ボランティア)

木下奈津季(ボランティア)

さくら寮生86名 さくらエコホーム25名

 

20115月 立命館アジア太平洋大学に在学中の木下奈津季が10ヶ月間の体験ボランティア・スタッフとして来寮。


2011
5月10日 さくら通信第41号(設立20周年記念号)発行


2011
6月18日 東京芝浦工業大学豊洲校舎にて「第25回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」(芝浦工業大学清水研究室主催)開催され、講演。


2011
9月5日 さくら通信第42号発行


2011
9月30日〜10月13日 さくらプロジェクトスタッフのタンヤラット・シースワンと寮生のパジャリー・べセクが日本研修旅行に参加。10月1日、2日に日比谷公園で開催された外務省主催の海外協力の祭典「グローバルフェスタ2011」に参加。


2011
12月9日、10日 さくら寮にてウィンパパオのルンアルン・プロジェクト(中野穂積さん主宰)、パヤオ県のシャンティ財団の子どもたちと友好スポーツ大会開催。 


2011
12月24日 日本事務局長の清水郁郎氏(芝浦工業大学准教授)来寮。


2011
12月27日〜31日 三輪引率により現地スタッフのラオス研修旅行実施(ムアンシンとルアンプラバン


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スタッフ旅行でラオス・ムアンシンへ


2010年度

2012/04/14 19:00 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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新男子寮せいほく館完成 第7回寮生訪日研修実施

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2010年度さくらプロジェクト タイ スタッフ

カンポン・チャオワタナーサクン(寮長)9月まで

ペン・ジャチョン(10月より寮長)

タンヤラット・シースワン(経理)

ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)

ラッポン・ワタナソンパン(運転手)

ワナサナン・サポン(さくらエコホーム寮母)

シリントラー・パテ(食事)


三輪隆 (代表・ボランティア)

山中俊彦(ボランティア)

さくら寮生99名 さくらエコホーム23名

 

20104月10日 さくら通信39号発行


2010
5月 しみず館開寮。すみれ館から女子寮生が転居を完了。


2010
6月12日 東京芝浦工業大学豊洲校舎にて開催された「第24回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」にて講演。


2010
8月 寮内スポーツ大会開催される。


2010
9月 寮長のカンポン・チャオワタナーサクンが国家公務員試験に合格して、10月1日付で文化省に入省。さくらプロジェクトを退職。寮長をペン・ジャチョンが引き継ぐ。


2010
9月10日 さくら通信第40号(創刊40号記念号)発行。


2010
10月 第7回寮生訪日研修が実施される。メンバーはノンヌット・パンブー、モリラット・ジャトー、チャワリット・ジャハケー、パニー・ムポ、ワサナー・ジャチョー、スウィモン・ジットパーヌポンの6名。10月2日、3日に日比谷公園で開催された外務省主催による国際協力活動の祭典「グローバルフェスタ」にも参加。神戸ではさくらプロジェクトの活動報告説明会開催。


2010
11月 新男子寮西北館が完成。11月より男子寮生がひまわり館から転居完了。これによりすみれ館、ひまわり館のふたつの施設がさくらプロジェクトの手を離れる。


2011
1月28日 さくら寮にて設立20周年記念式典および新男子寮「せいほく館」(東京西北ロータリークラブ寄贈)の贈呈式が行われる。

 

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訪日寮生、原宿竹下通りで


2009年度

2012/04/14 18:51 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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新女子寮しみず館完成 第6回寮生訪日研修実施

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完成したばかりのしみず館の前で


2009年度さくらプロジェクト タイ スタッフ

カンポン・チャオワタナーサクン(寮長)

ペン・ジャチョン(さくら寮寮母)

タンヤラット・シースワン(経理)

タンヤポーン・スパープポチャナー(食事)3月まで

ニラー・パッソンアナコット(さくらエコホーム寮母)7月まで

ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)

ラッポン・ワタナソンパン(運転手)

サイプレー・セイラオ(寮母)5月より12月まで

ワナサナン・サポン(さくらエコホーム寮母)8月より

シリントラー・パテ(食事)2010年1月より

三輪隆 (代表・ボランティア)

志賀宏(ボランティア)9月まで

山中俊彦(10月より)

さくら寮生 112 名 さくらエコホーム33名。

 


2009
年4月
 静岡県の清水中央ロータリークラブ寄贈による「しみず館」完成。


2009
年4
月22日〜5月8日 第6回さくら寮生訪日研修旅行実施される。メンバーはメー・センヌワン、ナルモン・セドゥク、チンタナー・シースワンの3名。日本事務局事務局長が畑聰一芝浦工大名誉教授より清水郁郎芝浦工大准教授に引き継がれる。


2009
年4月26日
 第23回「タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が芝浦工業大学豊洲校舎にて開催され、三輪が活動報告および講演。


2009
年8月 
芝浦工業大学建築工学科清水研究室の学生、タイ・チェンラーイのラフ族の村で集落調査。さくら寮の子供たちと交流を深める。


2009
年8月
 新スタッフのワナサナン・サポンがさくらエコホームの寮母に就任。


2009
年9月1日 
さくら通信第38号発行。


2009
年9月6日
 三輪、さくらプロジェクト現地スタッフのタンヤポーン・スパープポチャナーと結婚。


2009
年10月
 ボランティア・スタッフの志賀宏が帰国し、山中俊彦が新ボランティアスタッフとして加わる。


2009
年10月3日、4日
 東京日比谷公園で開催された外務省主催の「グローバルフェスタ」2009」に参加。


2010
年2010年3月
 JICAボランティアとしてチェンラーイ赴任中の高垣彩子さんが、任務外の自由時間を利用してさくら寮の子どもに日本語指導を開始。

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完成したばかりのしみず館の内部


2008年度

2012/04/14 18:37 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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 日本事務局、畑研究室から清水研究室に


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グローバルフェスタ2008に出展

2008年度さくらプロジェクト タイ スタッフ

カンポン・チャオワタナーサクン(寮長)

アリサー(ミボ)・ベチュグ(寮母)

カンチャナ・セイハーン(さくら寮食事係)

ニラー・パッソンアナコット(さくらエコホーム寮母)

ペン・ジャチョン(5月より)

タンヤラット・シースワン(6月より)

アユ・セドゥク(さくらエコホーム寮母)11月まで

ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)

ラッポン・ワタナソンパン(運転手)

三輪隆 (代表・ボランティア)

志賀宏(ボランティア)

さくら寮生121名 さくらエコホーム35名。

 

 

20084月 さくら寮の卒業生であるタンヤポーン・スパープポチャナー、ラッポン・ワタナソンパンの2名がさくらプロジェクトスタッフに加入。さくらプロジェクトスタッフ、ラオスに研修旅行(ボーテン、ルアンプラバン)


2008
年5月 
新スタッフとしてさくら寮卒業生のペン・ジャチョンとタンヤラット・シースワンが加入。


2008
年6月 
2010年度中にひまわり館、すみれ館をサハサートスクサー・スクールに開けわたし、新寄宿舎にすべて寮生を移転する検討を開始。


2008
年8月
 昭和女子大学松本淳准教授の引率による初等教育科学生のスタディーツアーがさくら寮を訪問。さくら寮の子どもたちと交流をはかる。


2008
年9月
 豊橋南ライオンズクラブよりミシン、パソコンなどの物品の寄贈を受ける。

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ミシン購入に立ちあう豊橋ライオンズクラブ会長の鈴木さん(左)


20089月10日 さくら通信第36号発行(この号以降さくらプロジェクト・タイ事務局の編集・発行となる)


2008
10
月4日、5日 日比谷公園で開催されたグローバルフェスタに参加。芝浦工業大学畑研究室の学生も参加。


2009
年1月
 春日部ロータリークラブ、春日部西ロータリークラブほかの寄付によりさくら寮に地下水を組み上げる簡易給水システムと貯水タンクの寄贈を受ける。1月22日に贈呈式が行われる。


2009
年3月
 スタッフのアリサー・ベチュグとカンチャナ・セイハーンが退職


2009
年3月16日
 さくら通信37号発行

 

 


2007年度

2012/04/14 17:51 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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横浜で三輪隆写真展、第5回寮生訪日研修実施

 

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三輪隆写真展の会場で。訪日した寮生たちと里親の松下英子さん(中央)

2007年度さくらプロジェクト タイ スタッフ

カンポン・チャオワタナーサクン(寮長)

アリサー(ミボ)・ベチュグ(寮母)

カンチャナ・セイハーン(さくら寮食事係)

ニラー・セイリー(さくらエコホーム寮母)

アユ・セドゥク(さくらエコホーム寮母)

ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)

ラッポン・ワタナソンパン(運転手)

ウィラット・ウィセットガムワシン

アンポン・シリパンチョンクン(寮母)

三輪隆 (代表・ボランティア)

志賀宏(ボランティア)

さくら寮生147名 さくらエコホーム39名。

 


200741日~17 さくらプロジェクト代表三輪隆が文化交流と日本文化体験のためにタンヤポーン・スパープポチャナー、デッスリチャイ・エウ、ジャルニー・ソカク(以上寮生)、カンチャナ・セイハーン(さくらプロジェクト・スタッフ)の4名を寮生日本に連れて行く。神奈川、京都、滋賀、岐阜、千葉などを訪問。


2007
年4月3日~8日
 横浜市の「あーすぷらざ」にて三輪隆写真展「タイ・山地民の生活と文化」が開催される。訪日中の寮生、スタッフ4名も、連日アシスタントとして会場に出向する。


2007
4月 さくらプロジェクト発起人の一人である中村清彌氏、バンコクで逝去。

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さくら寮で子どもたちと話す中村清彌さん(2006年8月撮影)


2007
7月9日 ヌッチャナート・ロンジャイカムの一周忌、交流会館の横にジョイ・メモリアルガーデンをオープンさせる。


2007
813日、14
 チェンマイ民族博物館による山岳民族文化のドキュメンタリー撮影にさくらプロジェクトが協力する。ラフ族、アカ族、ヤオ族に伝わる歌垣の実演を収録する。

 


2007
年9月16日 
さくら通信第34号発行


2007
年10月6日、7日
 東京日比谷公園で開催されたグローバルフェスタにさくらプロジェクトも5回目の出展。三輪が今年初参加。


2007
年10月13日
 東京芝浦工業大学豊洲校舎にてさくらプロジェクト支援者の会合第21回「タイ山岳民族の暮
らしを考える夕べ」が開かれ、三輪が講演及びさくら寮の活動を報告する。


2007
1014日~23
 さくら寮の男子寮生6人が学校から選ばれて、タイ国王の生誕80周年を祝う行事の一貫として出家する。


2007
128日、9日 
さくら寮を含めたチェンラーイ県の生徒寮2つとパヤオ県の生徒寮が合同になっての友好を深めるための3寮スポーツ大会がチャンライ県ウィアンパパオ郡のルンアルン寮で開かれる。


2008
18日~2008113
 芝浦工業大学建築工学科畑聡一教授と研究室の学生たちが山岳民族の住居調査をするため、チェンラーイ来訪。三輪が畑教授と学生たちを山岳民族の村々へと案内し、調査が行われる。


2008
3月16日 
さくら通信第35号発行

 


2006年度

2012/04/14 13:08 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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ジョイさんことヌッチャナーロンジャイカムさん


ジョイさん逝く



2006年度さくらプロジェクト タイ スタッフ

ヌッチャナート(ジョイ)・ロンチャイカム(寮長)(7月、逝去)

アリサー(ミボ)・ベチュグ(寮母)

カンチャナ・セイハーン(さくら寮食事係)

ニラー・セイリー(さくらエコホーム寮母)

ナドゥ・プハー(さくらエコホーム寮母)

ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)

ノイ・ルアキットチャイヤー(運転手)

アンポン・シリパンチョンクン(寮母)

カンポン・チャオワタナーサクン(寮長)

三輪隆 (代表・ボランティア)

志賀宏(ボランティア)

岸田直子(ボランティア)

さくら寮生150名 さくらエコホーム39名。

 

200668日~23 さくらプロジェクト代表三輪隆が日本へ一時帰国し、日本での滞在中、日本の支援者たちのために報告会を開く。


2006
78 さくら寮寮長ヌッチャナート・ロンチャイカムが慢性腎不全とその合併症のため、2年あまりの闘病生活ののち逝去。本人の希望により、さくら寮内でお通夜が執り行われ、チェンラーイのカトリック教会で葬儀が行われる。 

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さくらホールで行われたジョイさんの通夜


20068月 岐阜市のギャラリー「一休庵」にて三輪隆写真展「タイ・黄金の三角地帯―山地民の子どもたちとともに」開催。


2006
812日、13 寮内スポーツ大会が開かれる。


2006
8月31日 さくら通信第32号発行


2006
1123日、24 チェンマイ在住のシニアボランティアでチェンマイ民族博物館の映像制作の仕事をしている日本人、長澤潔氏がさくらプロジェクトを訪問し、山岳民族の子供を題材にドキュメントを撮影。三輪およびさくらプロジェクトが取材協力。


2006
129日、10 さくら寮を含めたチェンラーイ県の生徒寮2つとパヤオ県の生徒寮2つが合同になっての友好を深めるための4寮スポーツ大会がパヤオ県のサンティー寮で開かれる。


2006
1227日~200716 千里金蘭大学の平井和子教授、武庫川女子大学の大野佳美教授が山岳民族の栄養、食事に関しての調査をするため、さくら寮へやってくる。さくらプロジェクト代表三輪隆と寮生たちが教授を山岳民族の村々へと案内し、聞き取り調査が行われる。


2007
17
 チェンマイで開催中の世界園芸博覧会にスタッフの引率で寮生140人が見学。


2007
3月 大阪千里金蘭女子大学の平井和子教授の指導により、ドイメーサロンさんの梅の実を使った梅肉エキスをさくらプロジェクトで実験的に生産する活動が始まる。子どもたちの現金収入の一環として期待される。


2007
3月30日 さくら通信第33号発行

 


2005年度

2012/04/14 12:44 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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さくらエデュケーショナル・センター1階図書室

さくら教育センターがオープン



2005年度さくらプロジェクト タイ スタッフ

ヌッチャナート(ジョイ)・ロンチャイカム(寮長)

アリサー(ミボ)・ベチュグ(寮母)

ミユ・セパク(寮母)

ナチュ・リフー(さくら寮食事係)

カンチャナ・セイハーン(さくら寮食事係)

ブンチャイ・センチャン(さくらエコホーム寮長)

ナドゥ・プハー(さくらエコホーム寮母)

ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)

ジャガ・セイラーン(運転手)

三輪隆(代表・ボランティア)

志賀宏(ボランティア

寮生141名

 


2005
年4月7日~21日
 寮生4名(ラッポン・ワタナソンパン、ピンパー・サックモンコンサクン、スリワン・ジャプー、ラダー・アタポンプーシット)が三輪の引率により、文化交流と研修の目的で日本へ出発。東京、岐阜、飛騨高山、豊橋などに滞在。


2005
年6月22日~24日
 オランダ・フルフォード基金スタッフのハリー・ミューセン氏がさくらプロジェクトを視察。


2005
年8月15日
 さくら通信第30号発行。


2005
年11月16日~19日
 ハリー・ミューセン氏がさくら寮を再訪し、フルフォード基金により2007年度から3年間のさくらプロジェクトへの奨学金の支援が決定される。


2005
年12月17日~18日
 パヤオ県のYMCA寮がホストとなり、毎年恒例の四寮スポーツ大会が開かれる。


2006
年2月15日
 さくら通信31号発行

 


2004年度

2012/04/14 12:39 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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さくら教育センター(左)


さくらエデュケーショナル・センター完成

 

2004年度さくらプロジェクト タイ スタッフ

ヌッチャナート(ジョイ)・ロンチャイカム(寮長)

ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)

アリサー(ミボ)・ベチュグ(寮母)

カンポン・チャオワタナーサクン(さくらエコホーム寮長)

マニー・セイハーン(さくらエコホーム寮母)

ヌッサラー・セイクー(さくらエコホーム寮母)

テン・セイラオ(運転手・6月まで)

カンチャナ・セイハーン(さくら寮食事係)

三輪隆(代表・ボランティア)

志賀宏(ボランティア

さくら寮生139名(新学期開始時)

さくらエコホーム寮生35名(新学期開始時)

 

2004年4月17日 2004年度さくら寮新入寮生選抜試験。書類選考を通過した受験生30名が一泊二日で筆記試験や面接を受ける。


2004
年5月14日
 寮長のスタッフのヌッチャナート・ロンジャイカム(ジョイ)が、慢性腎不全の治療として連続携行式腹膜透析(CAPD)を実施することになり、そのための準備として、スリブリン病院にて腹部にカテーテルを埋め込む手術を受ける。


2004
年6月12日
 三輪とカンポン、日本平ホテルで開催された清水中央ロータリークラブの15周年記念式典に参加。


2004
年6月19日
 東京・芝浦工業大学にて、「第18回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。49名が参加。WEBカメラを通して里親とチェンラーイの寮生たちとの交流が実現する。同時に民芸品バザールも開催。


2004
14日 ABCキルト・ジャパンのメンバーの10名が、バンコクで開催された国際エイズ会議への参加を機に、さくら寮を訪問。5月4日に急逝された主幹メンバー藤本喬氏の遺志を継いで、故・藤本氏の浄財、その後の募金などをもとに「たかし基金」が設立され、さくらプロジェクトに寄贈されることになる。


2004
7月20日 交流会館横にて、複合学習施設の建設はじまる。


2004
年8月12日
 さくら通信第28号発行


2004
10月26日 さくらエコホームの建設資金などを協力してくださっている、おなじみエコジャパン21グループ(鈴木修二社長)の傘下のひとつ(株)横浜エコハウスより、藤田社長以下社員のみなさん19名が、社員旅行の一環として、さくらエコホームおよびさくら寮を訪問。


2004
12月 さくら寮がホストとなり、毎年恒例の四寮スポーツ大会が開かれる。


2004
12月17日~23日 里親ツアー。8名が参加。


2004
12月18日 さくら寮内クリスマス会開催される。


2005
年2月1日
 さくら通信第29号発行


2005
年3月5日
 さくらエデュケーショナル・センター竣工式がエコ21グループ鈴木修二代表ほか社員のかたがた、チェンラーイ社会開発局局長、サハサートスクール理事長、校長などの来賓を迎えて執り行われる。

 


2003年度

2012/04/14 12:06 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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さくらエコホーム


さくらエコホーム、新施設でスタート

 

2003年度さくらプロジェクト タイ スタッフ

ヌッチャナート(ジョイ)・ロンチャイカム(寮長)

ガイ(ブアパン)・アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)

アリサー・ベチュグ(寮母)

アチャヤシット・ウィラワットポンサトン(運転手・12月まで)

カンポン・チャオワタナーサクン(さくらエコホーム寮長)

マニー・セイハーン(さくらエコホーム寮母)

カラヤー・ジャレー(さくらエコホーム寮母)

ナチュ・エチュ(さくらエコホーム寮母)

ナボイ・ジャチェ(さくら寮食事係・12月まで)


三輪隆(代表・ボランティア)

志賀宏(ボランティア)

さくら寮生143名(学期開始時)

さくらエコホーム寮生38名(学期開始時)

 

 

2003年6月12日 さくら通信第26号発行


2003
年6月21日
 東京・芝浦工業大学で「第17回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催される。同時に民芸品バザールも開催。顧問の畑聡一先生が特別講演。


2003
年6月28日 
新橋の生涯学習センター3階にて、「日本海時代の祭典」の例会の講演として、三輪がタイの山岳少数民族の生活について講演。


2003
年7月9日 
ルアミットさくらエコホームの横の土地約600平方メートルを村人より購入。土地売買契約を交わす。

2003年7月23日 ボランティアの永野りさ来寮(29日まで)


2003
年7月26日
 里親の平野靖子さんが図書購入基金200万円を寄付。


2003
年8月10日 
さくらプロジェクトのタイ行政サイドのカウンターパートである社会開発人間福祉省の省長のパニット女史ほか、チェンラーイの社会開発局のスタッフ十数人が視察のため来寮。予算規模に見合った支援児童の数の拡大、支援内容の充実、また山岳民族文化交流会館、とくに山岳民族資料室の開設(民族文化の保存)やさくらー清水中央ホールの建設、さくらエコホームなど諸施設の充実などが評価された。


2003
年8月15日
 ルアミット村さくらエコホームにて、さくらエコマート開店記念式典。来賓としてルアミット村の村長がテープカット。民芸品と寮の子供達のお菓子、日用品の販売をするエコホーム直営のミニストア。資本金30000バーツ。

2003年8月22日 法政大学法学部政治学科国際開発協力論後藤ゼミの学生11人が来寮。三輪にインタビュー。


2003
年9月24日
 福岡より、昨年に続き、ABCキルト・ジャパンのメンバー13人が来寮。(ABCキルト・ジャパンは、日本全国のボランティア・キルターによるキルトの布を製作し、それをアジア各国のHIVに感染した子供たちやエイズ孤児に贈る活動を展開するグループ)メーチャン地区病院やAIDS関連のNGO・ドリームメーカー、アクセスなどを視察。


2003
年11月6日
 里親視察団一行(近藤聡美さん、阿部周彦さんご夫妻、風間玉美さん、愛子さん母娘、原良子さん、渡辺道子さんの計7名)がチェンラーイ到着。(1110日まで、ロイクラトンなどの祭り見学、寮生と交流をはかる)


2003
年12月6日
 ウィンパパオの暁寮にて、この日から2日間にわたり、第4回4寮親善スポーツ大会が開催される。さくらプロジェクトのほか、暁寮、シャンティ寮、パヤオYMCAが参加。


2004
年1月12日 
さくら通信第27号発行


2004
年2月5日 
交流会館横の土地(154平方メートル)を137000バーツで購入。契約書に調印する。


2004
年2月14日
 ナティ・パテの里親の伊藤憲史さん、ソンクリン・シースワンの里親の中田一弘さん、豊橋南ライオンズクラブのメンバーで社会福祉委員長の田中孝志さんほか9名が来寮。豊橋南ライオンズクラブでのチャリティ・バザーの収益金の一部(10万円)をさくらプロジェクトに寄付。


2004
年2月27日
 メーチャンの山岳民族開発支援センター内で行われた山岳民族文化フェスティバルに参加。さくら寮生たちも民族衣装でステージに上がり、踊りを披露。

13-8_R.jpg 
さくらエコホーム寮生たちの登校風景


 


2002年度

2012/04/13 23:32 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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13-1_R.jpg

 


ルアミット寮開寮

 

2002年度(タイ歴2545年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ

ヌッチャナー(ジョイ)・ロンチャイカム(寮長)

ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
マ二
ー・セイハーン(寮母)

ニラッチャラー(ナセ)・エブ(寮母)

アリサー(ミボ)・ベチュグ(寮母)

スティダー・ブレ(寮母)

アチャヤシット・ウィラワットポンサトン(運転手)

カンポン・チャオワタナーサクン(ルアミット村寮寮長、ジャトーブー村小学校教員)

ナミシ・ブレ(ルアミット村寮寮母)

三輪隆(代表・コーディネーター)

志賀宏(ボランティア)

さくら寮生141

 

 

200241 日本事務局が芝浦工業大学畑研究室から移転し、事務局長は畑聡一教授にかわって風間茂が就任し、事務作業は青井順子から久富淳司、静江に受け継がれる。


2002
5
13日 さくら寮新学期スタート。ルアミット村寮、26名の寮生を受け入れて開寮。カンポン・チャオワタナーサクンが初代寮長として就任。


2002
6
29 さくら通信第24号発行。東京・芝浦工業大学にて「第16回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。


2002
7
4日 国際基督教大学3年生の永野りさ、インターンシップの活動として来寮。ホンオー寮にて1ヶ月間ボランティア。(83日まで)永野はこのボランティアが機縁となって後にJICAに就職。


2002
7
13 さくら寮講堂(さくらー清水中央ホール)建設開始。


2002
9
8日 バンコクの社会福祉局のスタッフが、さくらプロジェクトを視察。


2002
9
12日 ルアミット村寮増築工事開始。


2002
9
17日 福岡のABCキルト・ジャパンのメンバーが、さくら寮を訪問。ボランティア・キルターが作成した約80枚の赤ちゃん用の敷布がさくらプロジェクトに託される。これらのキルトはエイズ孤児となった赤ちゃんをはじめとして、山岳民族の村の貧しい子供たちに配られる。


2002
10
20日 1万人が参加した王母記念ドイ・トゥン市民マラソンに、社会福祉局のNGO組織代表としてさくらプロジェクトのスタッフ、寮生12名が出場。寮生のミントラー・イェルグが17歳~29歳の女子部門で5位に入賞する。


2002
10
28日 TBSテレビの新番組『世界どこでもハローワーク』の取材班が、さくらプロジェクトを訪れる。


2002
12
14日、15日 パヤオ県のシャンティ寮で、日本のNGOが支援母体になっている四つの山岳民族生徒寮(さくら寮、暁寮、シャンティ寮、パヤオYMCA)合同による毎年恒例の四寮友好スポーツ大会が開催される。


2002
12
月8日 さくら通信第25号発行


2002
12
18日 里親有志による、さくら寮の子供たちを訪ねる会が実施される。


2002
12
23日 さくら寮生日本研修旅行メンバーがチェンラーイを出発。


2003
年1月6日 
訪日した寮生一同、さくらエコホームなどを支援している
静岡市のエコ21グループの新年総会にゲストとして出席。三輪の講演および子供達が山岳民族の踊りを披露する。


2003
年1月28日
 三輪、タイ南部トラン県にてサカイ族の調査。


2003
2
10日 さくらー清水中央ホールの贈呈式。日本から、清水中央ロータリークラブ会長の水野一保氏ほか10名の会員が参加。

14-1_R.jpg 
さくらホールの贈呈式


2003
3
2日 ルアミット村さくらエコホーム開寮式。施設の建設資金を寄贈していただいたエコ21グループの鈴木社長、エコ・インターナショナルの山田社長をはじめ、社員の方々20名が参加。チェンラーイ県知事による祝辞およびテープカット。

13-6_R.jpg 
さくらエコホーム竣工式典


2003
年3月21日 
この日を限りにホンオー寮を引き払う。ホンオー寮生たちは次年度よりさくら寮および、さくらエコホームに移転。


2003
年3月25日 
ルアミット村さくらエコホームの寮生スラデッド・ジャケー君がメーコック川で溺れて行方不明に。翌日遺体で発見される。


2001年度

2012/04/13 23:06 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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12-3_R.jpg ホンオー寮の子どもたち


ホンオー寮オープン

 

2001年度(タイ歴2544年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ

ヌッチャナー(ジョイ)・ロンチャイカム(寮長)

ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)

マニー・セイハーン(寮母)

ナセ・エブ(寮母)

ミボ・ベチュグ(寮母)

シラ・ジャガ(運転手)

カンポン・チャオワタナーサクン(スタッフ)

三輪隆(代表・コーディネーター)

志賀宏(ボランティア)

さくら寮生148

 

200146 前年に引き続き清水中央ロータリークラブのバックアップにより46日から422日までの日程で寮生5名(チュチャート・セイリー、ウィラット・ウィセットガムワシン、マンセン・セイチャオ、ラダワン・セイハーン、ヨニ・ヤプー)およびスタッフのジョイ・ロンチャイカムの計6名が三輪の引率により、文化交流と研修の目的で日本へ出発。東京周辺、

静岡県清水市、奈良、大阪に滞在。


2001
4
21 東京・芝浦工業大学で「第15回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が開催される。


2001
5
1 さくらプロジェクトのスタッフおよび年長の寮生約30名がホンオー村小学校にて、老朽化した宿舎の修繕作業を開始。


2001
5
15 ホンオー村小学校寮に23名の子どもたちが入寮。


2001
5
17 2001年度サハサートスクサー・スクール新学期開始。


2001
6
28 さくら通信第22号発行。


2001
10
21  バンコク・シリキット王女会議センターでおこなわれている国際ボランティア年祭でタイのチュアイ・ブンロン副首相より三輪が「優秀ボランティア賞」の表彰を受ける。

00010.jpg 
優秀ボランティアの授賞式


20011023  寮生チュチャート・セイリー(ヤオ族)がダムロン高校の最優秀生徒に選出され、新聞にも紹介される。寮生のアンカーン・レチュー(アカ族)もサマーキー中学の優秀生徒として表彰される。


2001
11
  里親の小暮克彦様の寄付により、寮内に子どもたち用の図書室が完成。


2001
11
13  本日よりルアミット村寄宿舎建設工事が始まる。建設資金は里親の阿部周彦氏の寄付による。


2002
1
25  さくら通信第23号発行。


2002
3
  寮生のチュチャート・セイリー(ダムロン高校)がチェンマイ大学に合格。


2002
3
30 畑教授多忙のため、日本事務局が芝浦工大畑研究室から里親有志に暫定的に引き継がれる。新事務局スタッフは、石田公也・恵子、岡山豊・陽子、風間茂・玉美、金子泰輔、近藤鈴男・聡美、菅原範子、久富淳司・静江。畑聰一教授にはアドバイザーとして後方
から支援していただくことになった。


2000年度

2012/04/13 22:54 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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10-2_R.jpg


寮生初訪日、ナハ基金設立

 

2000年度(タイ歴2543年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ

ジョイ・ロンチャイカム(寮長)

ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)

マニー・セイハーン(寮母)

ナセ・エブ(寮母)

ミボ・ベチュグ(寮母)

シラ・ジャガ(運転手)

三輪隆(コーディネーター)

志賀宏(ボランティア)

堀川守正(ボランティア)

さくら寮生141

 

200041 早朝さくら寮生日本研修生一行が成田到着。


2000
4
  寮生のナハ・ジャプーさんが突発性血小板減少性紫斑病と診断され、脾臓摘出手術を受けてチェンラーイ公立病院に入院していたが、症状が改善せず、再度骨髄検査をうけた結果、再生不良性貧血であることが判明。治療法として骨髄移植にもっとも大きな希望があることを医師から告げられる。


2000
4
22 東京・芝浦工業大学で「第14回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が開催される。訪日中のさくらプロジェクト寮生6名の送別会も開かれる。里親有志の会の提案により、「ナハちゃん救済基金」の募金活動が開始される。

ScanImage00020002.jpg
ナハ・ジャプーさん


200069 懸命の治療と看護の甲斐なくナハさんが脳内出血のため永眠。


2000
7
11  さくら通信第20号発行。闘病していたナハさんのために、100人を超える支援者から約300万円の寄付金が集まり、これを今後寮生が事故に遭ったときや難病にかかったときの医療費として「ナハ基金」として役立てていくことを報告。


2000
9
10日 ラフ族の寮生ナヨー・ジャルーが膿瘍摘出手術を受け、ナハさん治療のために集まった寄付金「ナハ基金」の初の適用者となる。手術は成功し、その後ナヨは回復。


2000
12
5 さくら通信第21号発行。


2001
1
26 テレビ大阪の番組「ボランティア21」でさくらプロジェクトが取り上げられ、放送される。畑聰一教授がスタジオ出演。


2001
2
17 23日 3回「さくら寮をたずねる会」(通称里親ツアー)が実施される。9名の里親の方々が参加。


1999年度

2012/04/13 22:38 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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11-1_R.jpg しらゆり館


しらゆり館と山岳民族資料館開館

 

1999年度(タイ歴2542年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ

ジョイ・ロンチャイカム(寮長)

ガイ(ブアパン)・アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)

サティアン・パーンカワン(運転手ただし途中退職)

ソムケート・トラウォン(運転手)

マニー・セイハーン(寮母)

ナセ・エブ(寮母)

三輪隆(コーディネーター)

志賀宏(ボランティア)

さくら寮生148

 

19995 交流会館裏手に新寄宿舎・しらゆり寮が完成。総工費210000バーツ(約7000000円)。


1999
6
5 しらゆり寮完成式典開催。建設資金の一部を寄付してくださった里親の三枝紀雄・令子ご夫妻、ユナイテッド・ヴィレッジ・スクール校長、チェンラーイ社会福祉局の局長、日本大使館チェンマイ駐在官事務所の白鳥氏らを招いておこなわれる。


1999
6
26 さくら通信第18号発行。東京・芝浦工業大学にて「第13回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。1992年より7年間日本事務局を支えてきた高澤安喜さんにかわり、青井順子さんが日本事務局の事務作業を引き継ぐ。


1999
11
3  113日から118日までの予定で第2回「さくら寮をたずねる会」ツアーが実施され、4名の里親の方々が参加。


1999
11
26 さくら通信第19号発行。


2000
2
13 東京西北ロータリークラブの支援により交流会館3階に完成した「山岳民族文化資料展示室」が開館。東京西北ロータリークラブの方々を招いてテープカットがおこなわれる。

6-1_R.jpg 
交流会館山岳民族展示資料室オープンセレモニー



2000
2
24 清水中央ロータリークラブによるさくらプロジェクトの寮生たちのためのスクールバス(トヨタ・ハイエース)の寄贈式がさくら寮にておこなわれる。引き続き交流会館中庭にて清水中央ロータリークラブにより、合歓の木の記念植樹がおこなわれる。


2000
3
寮生のオラピン・ペッパチャラークンがチェンマイ大学医学部看護学科に合格、ウィチャイ・セイヤーンがバンコクのタマサート大学工学部に合格。



2000
3
17 寮生のブンタム・モンコンロートクン君(アカ族)が学期休みで実家に帰省中、村の近くの池で深みにはまり、溺死。現役の寮生ではじめての死亡事故となる。


2000
年3月31
  三輪の引率で寮生代表6名(カンポン・セイチャオ、タニン・ムンチャカー、ウィタヤー・スックカセムサクン、マリサー・チャイクソンダムロン、オンチラー・セイリー、ティカンポン・ウティブンチャイ)が日本研修旅行に出発。清水中央ロータリークラブおよび里親有志のバックアップを得て、東京周辺および
静岡県清水市および関東周辺にホームステイして、文化交流と研修をする。

 


1998年度

2012/04/13 21:56 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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9-3_R.jpg 
ジャトーブー小学校新校舎



ジャトーブー小学校新校舎完成
 

1998年度(タイ歴2541年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ

ジュリラット(ナコーイ)・バンブー(寮長ただし年度途中にて退職)

ジョイ・ロンチャイカム(寮母 ジュリラット退職後、寮長に)

ガイ(ブアパン)・アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)

クリヤンカイ・サムケオ(運転手)

インチャン(ジャトーブー村小学校教員)

ナミチャ(寮母ただし途中退職)

ペッド・トラウォン(寮母)

三輪隆(コーディネーター)

さくら寮生132名

 

19984月 さくらプロジェクト・タイの公式ホームページが開設される。


1998
5
1998年度新学期が始まる。


1998
6
27 さくら通信第16号発行。東京・芝浦工業大学にて「第12回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。


1998
8
1997年末、歌手の五木ひろしさんから贈呈された寄付金と里親の三枝令子さんからの寄付をもとに、交流会館のとなりに新寄宿舎建設に着手。基本設計図面は前回の交流会館同様、芝浦工業大学建築工学科大学院生鳥越一成と三輪が共同でおこなう。


1998
9
  静岡県の清水中央ロータリークラブよりジャトーブー村小学校新校舎建設資金として180000バーツの寄付を受ける。


1998
10
20 さくら通信第17号発行。


1998
12
  ジャトーブー村小学校新校舎の建設着工。


1999
1
  ジャトーブー村小学校新校舎完成。総工費200000バーツ。


1999
2
13 17  1回「さくら寮をたずねる会」(通称里親ツアー)が実施され、1217名の里親の方々が夕刻チェンラーイ空港に到着する。


1999
2
15 ジャトーブー村にて、ジャトーブー村小学校新校舎竣工式典開催。主催はルアミット村小学校。学校関係者、ジャトーブー村住民のほか、校舎を寄贈した清水中央ロータリークラブのメンバー15名、第1回「さくら寮をたずねる会」でチェンラーイを訪問中の里親の方々17名が参加。


1999
3
寮生・マリサー・チャクソンダムロンがさくら卒業生では初めてチェンマイ大学)社会学部)に合格。

00012.jpg 
スタッフのジュリラット・パンブーさん、支援者の浪岡雄二さんと結婚

 


1997年度

2012/04/13 21:29 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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5-2_R.jpg 文化交流会館


文化交流会館完成
 



1997年度(タイ歴2540年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ

ジュリラット・パンブー(寮長)

ジョイ・ロンチャイカム(寮母)

ガイ・(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)

クリヤンカイ・サムケオ(運転手)

三輪隆(ボランティア)

さくら寮生104

 

19974 郵政省に国際ボランティア貯金寄付金申請。


1997
4
22日~26 ホイメリアム村小中学校内で新寄宿舎の建設開始。パラン村、ティセ村、ジャハ村、ハジャオ村、ゲルアン村の父兄たちが集まり、竹と茅を用いて男女別棟の寄宿舎が完成。同時に炊事小屋、食堂も改築される。


1997
4
23 テレビ東京「ドキュメンタリー人間劇場」で三輪およびさくら寮を取材したドキュメント番組『忘れないで 心の歌を』が放送される。翌日から日本事務局への里親申し込み、問い合わせ電話が殺到する。


1997
5
畑聰一教授訪タイ、交流会館建設現場を視察。


1997
6
ジャトーブー村小学校運営資金、ホイメリアム村小中学校パラン寮運営資金として郵政省国際ボランティア貯金寄付金が配分される。配分総額は2020000円。内訳は1、ルアミット村小学校ジャトーブー村分教室への支援(教員寄宿舎増築費87000円、教育費205000円、給食費209000円、教育人件費509000円)2、ホイメリアム村小中学校パラン寮運営費の支援(給食費354000円、教材費99000円、生活用品費、医療費9000円、寮母意人件費48000円、寄宿舎増築費436000円)。


1997
6
28 さくら通信第15号発行。東京・芝浦工業大学にて「第11回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。


1997
8
里親の三枝紀雄様・令子様ご夫妻来寮。ご厚意により、寮生全員、チェンマイへの遠足が実現する。


1997
10
JICA(国際協力事業団)の農業研修旅行団がさくらプロジェクト・タイの寮を訪問し、ジャトーブー村などを視察、また寮生たちとの交流会が開かれる。


1997
11
22 郵政省ボランティア貯金の預金代表者によるさくらプロジェクト・タイへの視察がおこなわれる。さくら寮をはじめ、郵政省ボランティア貯金の配分金で運営されているジャトーブー村小学校、ホイメリアム村小中学校パラン寮を視察する。


1997
12
歌手の五木ひろしさんがチャリティーコンサートの売り上げの1部約500万円をさくらプロジェクトに寄付。贈呈式の模様が1230日にテレビ東京にて放送される。


1998
2
ナムラット村にタイ山岳民族文化交流会館完成。総工費約1730000バーツ。


1998
2
18  タイ山岳民族文化交流開館の落成式開催。資金協力は東京西北ロータリークラブ。

5-5_R.jpg 文化交流会館竣工セレモニー

 

 

 

 


1996年度

2012/04/13 20:26 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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 00035.jpg 
ホイメリアム小学校パラン寮の子どもたち


ホイメリアム小学校支援開始、ドイレム村に水道設備

 

1996年度(タイ歴2539年)さくらプロジェクト・タイ・スタッフ

アミ・チェゴン(寮長 ただし5月をもって退職)

ジュリラット・パンブー(アミの退職後、5月より寮長を引き継ぐ)

ジョイ・ロンチャイカム(寮母)

ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)

クリヤンカイ・サムケオ(運転手)

アロン・ゲイサン(ジャトーブー村小学校教員 ただし途中退職)

ヨーン・プラブン(ジャトーブー村小学校教員 ただし途中退職)

三輪隆(ボランティア)

小原靖弘(ボランティア)

さくら寮生93

 

19964 郵政省に国際ボランティア貯金寄付金3件を申請。


1996
年5月
東京西北ロータリークラブから施設建設資金が寄付され、山地民の文化を記録、紹介し、同時に交流を目的とする施設「文化交流会館」の建設計画が決定。

19965 チェンラーイ県ムアン郡ホイチョンプー地区ホイメリアム村小中学校に隣接するラフ族寮(パラン寮)に朝、夕食費、生活用品援助を開始


1996
年6月
郵政省国際ボランティア貯金寄付金申請分3件の配分が決定する。配分金総額1500000円。内訳は1.ジャトーブー村小学校運営費(校舎修繕費53000円、教員宿舎修繕費38000円、教育費219000円、教員人件費453000円)2.ドイレム村簡易水道建設プロジェクト(306000円)、3.ホイメリアム村小中学校生徒寮への支援プロジェクト(給食費183000円、教材費64000円、医療費8000円、寄宿舎維持費13000円)


1996
6
28 さくら通信第13号発行。東京・芝浦工業大学にて「第9回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。


1996
8
ナムラット村に交流会館建設のための土地を800000バーツで購入する。約900平方メートル。芝浦工業大学建築工学科大学院生鳥越一成が交流会館設計のため来タイ、三輪と打ち合わせ。


1996
10
5 チェンマイ県メーアイ郡ドイレム村にて水道工事開始。


1996
10
14 ドイレム村水道工事貯水タンク完成。


1996
10
14 深夜、さくらプロジェクト・タイの寮長であるジュリラット・パンブーが三輪とともに12日間の日程で日本研修旅行に。東京、大阪、奈良、岐阜などに滞在。


1996
10
19 訪日中のジュリラット・パンブーを囲んで、大阪で「里親の会」開催。


1996
10
21 里親の谷正直さん経営のペンション「奈良倶楽部」にて、関西在住の里親が中心になり、ジュリラット・パンブーの歓迎会およびさくらプロジェクトの報告会。


1996
10
26 さくら通信第14号発行。さくらプロジェクト・タイのジュリラット・パンブーの訪日に合わせて東京・芝浦工業大学にて「第10回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。三輪と芝浦工業大学建築工学科大学院生鳥越一成、交流会館基本計画案について打ち合わせ。


1997
1
11 ドイレム村水道工事完成セレモニーがおこなわれる。これ以後水道にかんするメンテナンスは村民の自主管理となり、ドイレム村水道援助プロジェクトは完了する。

00058.jpg 
ドイレム村水道管敷設工事
00070.jpg

ドイレム村貯水タンク敷設工事


1997
2
テレビ東京「ドキュメンタリー人間劇場」の撮影スタッフが、さくらプロジェクトの寮を題材にしたドキュメンタリー番組を制作するために約2週間にわたってさくら寮を取材する。


1997
3
交流会館建築工事業者決定し、契約調印。建築工事が始まる。


1995年度

2012/04/13 19:31 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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郵政省視察団来訪

 

1995年度(タイ歴2538年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ

アミ・チェゴン(寮長)

ナコーイ(ジュリラット)・バンブー(寮母)

ジョイ・ロンチャイカム(寮母)

ナヘ・ジャヘラー(ジャトーブー村小学校教員 ただし年度途中で退職)

シティチャイ・ジャヘラー(ジャトーブー村小学校教員 ただし年度途中で退職)

ガイ(ブアパン)・アイチャー(寮母ただし年度途中よりジャトーブー村小学校教員)

三輪隆(ボランティア)

小原靖弘(ボランティア)

さくら寮生99名

 

19954 郵政省に国際ボランティア貯金寄付金申請。


1995
6
郵政省国際ボランティア貯金寄付金申請が認められ、ジャトーブー村小学校運営費として資金が配分される。配分金総額71500円(うち、教育費123000円、給食費100000円、教員人件費372000円)


1995
6
24 さくら通信第11号発行。東京・芝浦工業大学において「第8回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。


1995
6
30 
滋賀県大津市の田上中学校で三輪がさくらプロジェクトの紹介をテーマにした講演会を開催。


1995
7
1 
滋賀県大津市の西光寺で、関西の里親、支援者を対象とした三輪の報告会、講演会が開催される。


1995
8
ジャトーブー村小学校台所建設開始。


1995
8
6 チェンラーイ県メーチャン郡にある山地民福祉局の研修所で山地民の女性たちによって縫製された学生服をさくらプロジェクトで買い取り、ルアミット村小学校ジャトーブー村分室の生徒に配布。


1995
8
24 ジャトーブー村分室の給食室完成。


1995
9
1 ルアミット村小学校ジャトーブー村分室で子どもたちへの昼の給食支援開始。

00045.jpg 
ジャトーブー村小学校教員のガイさん



1995
11
12日~13  郵政省貯金局、NGO活動推進センター、そして預金者を代表する自治体首長からなる郵政省ボランティア貯金援助プロジェクト視察団がチェンラーイのさくらプロジェクトを訪問。チェンラーイにあるひまわり寮、すみれ寮およびルアミット村小学校ジャトーブー村分室などを視察。


1995
11
26 ユナイテッド・ヴィレッジ・スクールのグランドで周辺の6つの山地民学生寮対抗球技大会が開かれ、さくらプロジェクトが総合優勝。


1995
12
3 さくらプロジェクト生徒寮とリス生徒寮との親善スポーツ大会がユナイテッド・ヴィレッジ・スクールのグラウンドでおこなわれる。


1996
1
チェンマイ県メーアイ郡にあるラフ族のドイレム村への水道敷設計画がまとまる。



1996
2
1 さくら通信第12号発行。


1996
3
さくらプロジェクト中学3年卒寮生20名がバンコク、サメット島へ卒寮旅行。バンコク在住の里親、白子富三郎さんも同行。(白子さんは1997年8月、バンコクにて逝去される)

000022.jpg 

ジャトーブー小学校の教室

 


1994年度

2012/04/13 19:16 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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3-3_R.jpgひまわり館



ひまわり館開寮、ジャトーブー村小学校支援開始

 

1994年度(タイ歴2537年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ

アミ・チェゴン(寮長)

ナコーイ(ジュリラット)・バンブー(寮母)

ジョイ・ロンチャイカム(寮母)

ナド・ヤパー(寮母)

センサク・アイ(ジャトーブー村小学校教員)

三輪隆(ボランティア)

小原靖弘(ボランティア)

清水郁郎(ボランティア)

中野学(ボランティア)

さくら寮生97

 

199441 さくら通信第9号発行。

1994420  アカ族のセンサック・アイを常勤の教員、さくらプロジェクト・タイのスタッフでもあるラフ族のジュリラット・パンブーを非常勤の教員兼小学校の責任者とし、ルアミット村小学校ジャトーブー村分室に派遣することを決定する。

19944 ひまわり寮完成。総工費約1500000バーツ(675万円)。

19944 郵政省に国際ボランティア貯金寄付金の交付2件を申請。

19945 さくらプロジェクト元スタッフのヨハン・チェムー氏にさくら寮の施設が譲渡される。ヨハン氏はさくらプロジェクトを離れ、独自に寮運営をすることになる。初代さくら寮の施設はのちに「若竹寮」と改名される。


1994
5
ひまわり寮がオープンし、旧さくら寮の男子生徒がすべてひまわり寮に移る。新年度の寮生は97名に。


1994
5
10 チェンラーイ県社会福祉局とチェンラーイ県メーチャン郡にある山地民福祉局からジャトーブー村小学校がルアミット村小学校分教室としての認可を受ける。


1994
6
20 ジャトーブー村小学校開校。生徒数は46名。

000014.jpg 
建設中のジャトーブー村小学校


1994
6
郵政省国際ボランティア貯金寄付金申請分2件のうち、チェンラーイ県ジャトーブー村における小学校の建設及び運営に関する1件の申請が認められ、運営資金が郵政省より配分される。配分金総額740000円(うち、教育費274000円、教員人件費493000円)


1994
7
月1日 さくら通信第10号発行。東京・芝浦工業大学にて「第7回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。


1994
7
9日 里親の谷正直氏が経営する奈良市内のペンション「奈良倶楽部」にて関西在住の支援者を対象に三輪隆の講演会とさくらプロジェクトの報告会。


1995
1
 阪神大震災発生。ボランティアでさくら寮に滞在中の中野学の実家が被災。


1995
2
 三輪、テレビ朝日「ネイチャリング・スペシャル」のタイ・ロケのコーディネーターとしてチェンラーイ県のホイサン村、ナーン県などに同行。リス族、ムラブリ族の集落で通訳を行なう。


1995
3
 中野学、1年間の体験ボランティア生活を終えて帰国。

000021.jpg 
ジャトーブー村小学校

 


1993年度

2012/04/13 19:00 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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2-3_R.jpg すみれ館


すみれ館開寮

 

1993年度(タイ歴2536年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ

ヨハン・チェムー(寮長)

アミ・チェゴン(寮母)

セレ・チェムー(寮母)

ナコーイ(ジュリラット)・バンブー(寮母)

ジョイ・ロンチャイカム(寮母)

三輪隆(ボランティア)

小原靖弘(ボランティア)

清水郁郎(ボランティア)

安達英信(ボランティア)

さくら寮生86

 

199341 さくら通信第6号発行。


1993
4
すみれ館完成。総工費約1300000バーツ。


1993
4
郵政省に国際ボランティア貯金寄付金の交付を申請する。


1993
5
18 夕方より学校関係者、地元住民を招き、すみれ寮開寮セレモニーがおこなわれる。さくら寮は男子寮、すみれ寮は女子寮として使用することになる。


1993
6
21 郵政省より「山岳民族の子どものための寄宿舎建設、運営」にたいしての国際ボランティア貯金寄付金の交付先に選ばれ、郵政省(当時)でおこなわれた通知式で郵政大臣による配分決定通知書を交付される。配分金総額7695000円。(うち、ひまわり寮建設工事費675万円、寄宿舎備品購入費945000円)


1993
7
1 さくら通信第7号発行。


1993
7
3 「第5回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」および第2回里親会が芝浦工業大学で開催される。


1993
10
月6日  国際ボランティア貯金の交付対象団体に選ばれたさくらプロジェクトの活動内容とタイ山地民の生活を写した写真数点が東京高輪郵便局で展示される。(11月1日まで)


1993
10
30 さくら通信第8号発行。芝浦工業大学にて「第6回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。


1994
2
1 三輪隆、プラパン・タサニヤコーン氏(ユナイテッド・ヴィレッジ・スクール理事長)、建築工事実施業者の3者でひまわり寮建設工事に関する契約書に調印。


1994
2
2 ひまわり寮建設工事始まる。


1994
2
24 チェンラーイ県にあるアカ族の村メーモン村で村の家屋、家畜のほとんどが焼失する大火災が発生。同日、さくらプロジェクトから小原靖弘が現地を視察。米、古着などの配給支援の準備を開始。


1994
2
25 三輪およびさくらプロジェクト・タイ スタッフのジュリラット・パンブー、芝浦工業大学建築工学科大学院生の神田淳、さくら寮の寮生2人がメーモン村への救援物資を届けるため車をチャーターし、米約1.5トンを積みメーモン村に向かい、山地民福祉局を通じて、村人たちに配布、支給する。


1994
3
7 三輪、ジュリラット・パンブー、小原靖弘の3名がジャトーブー村に出向き、ジャトーブー村地域の管轄であるルアミット村小学校校長とジャトーブー村における小学校分室設置問題について懇談。


1994
3
20 さくらプロジェクトが20000バーツの資金援助をし、木材、竹、茅などを用い、村人たちによってジャトーブー村に校舎の建設が始まる。


1994
3
25 郵政省貯金局・国際ボランティア貯金推進室の小林良和氏がひまわり寮建設現場を視察。

1992-3.jpg 
郵政省ひまわり館進捗状況を視察

1994331 ルアミット村小学校ジャトーブー村分室完成。



1992年度

2012/04/13 06:32 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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46_R.jpg


さくら寮開寮

 

1992年度(タイ歴2535年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ 

ヨハン・チェムー(寮長)

アミ・チェゴン(寮母)

セレ・チェムー(寮母)

カニカー・カンプラスク(寮母)

三輪隆(ボランティア)

小原靖弘(ボランティア)

西村美紀(ボランティア)

安達英信(ボランティア)

さくら寮生58

 

199246 さくら通信第3号発行。

1992511 さくらプロジェクト・タイ・スタッフによる初めてのミーティングが開かれる。一部の寮生が入寮開始。

1992512 さくら寮入寮日。この日よりフリーのテレビディレクター、瀬川正仁氏によるテレビ東京のドキュメンタリー番組製作のための取材が始まる。

1992516 午前9時半より、さくら寮の開寮式。ユナイテッド・ヴィレッジ・スクールのプラパン理事長、ウィチャイ校長、ナムラット村村長、そして寮建設資金提供者の中村清彌氏、21世紀農場の谷口巳三郎氏、リス生徒寮の中野穂積氏らを招いてさくら寮前でおこなわれる。幼稚園児から高校生まで58人がさくら寮のメンバーとなる。

1992611 テレビ東京系列にてさくら寮の開寮までを追った番組「さくら寮INタイ」(ディレクター・瀬川正仁氏、スポンサー・東京都)が放映される。

1992619 さくら通信第4号発行。東京・芝浦工業大学にて「第3回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。

19927 さくら寮の二つ目の寄宿施設をユナイテッド・ヴィレッジ・スクールの敷地内に建設する許可が学校からえられ、第2さくら寮(すみれ寮と命名)建設計画がスタートする。芝浦工業大学建築工学科大学院生木村剛士を中心に同大学大学院卒業生の清水郁郎、現地カレン族の建築士の3人によってすみれ寮の設計図が書かれる。

1992109 東京で「里親の会」開催。

19921030 さくら通信第5号発行。東京・芝浦工業大学にて「第4回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。

199211 すみれ寮設計のため199212 有償ボランティアとして里親である高沢安喜さんが東京事務局の事務の仕事を受け持つ。

1992123 東京西北ロータリークラブの資金援助によるすみれ寮建設工事が始まる。

19921220 日本人中野穂積さんが運営するチェンラーイ県メースアイ郡の山地民学生寮「リス生徒寮」とのスポーツ交流大会をチェンラーイ県メースアイ郡のリス生徒寮で開催。

199336 さくら寮で初めての入寮生選抜試験実施。35名の合格枠をめぐり、書類選考で選ばれた110名の子どもたちが受験。(以後,毎年月に入寮選考会を実施)

45_R.jpg 初代さくら寮


47_R.jpg 初代さくら寮の食堂

 


1991年度

2012/04/13 05:14 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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 8名の寮生でスタート、寮建設開始!

 

1991年度(タイ歴2534年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ

ヨハン・チェムー(コーディネーター)

三輪隆(ボランティア)

小原靖弘(ボランティア)

清水郁郎(ボランティア)

寮生8

 

19914 畑聰一、三輪隆、志賀宏、清水郁郎、ヨハン・チェムー氏ほか芝浦工大の学生らが寮建設中のナムラット村にて会議。この教育支援プロジェクトを「さくらプロジェクト」と命名、建設中の寮もその名前をとって「さくら寮」と名づけることに決定。

19915 前年よりヨハン氏の敷地内の仮設宿舎に寄宿し、さくらプロジェクトとして援助することが決まっていた8名のアカ族の子どもたちが、第一期さくら寮生して生活をはじめる。

48_R.jpgさくら寮生第0期生、最初の8名

00046_R.jpg なぜか立ったまま食事をしていた。

199161 タイ山地民の子どもたちのための教育支援活動。タイ山地民の保健医療・福祉・厚生・人権のための援助活動。タイ山地民の文化・社会の調査・研究・保護活動。タイ山地民とタイ人、日本人の相互文化交流活動などを設立の目的にかかげ、さくらプロジェクトが正式に設立される。

1991615 さくらプロジェクトの活動を報告するさくら通信第1号が発行される。

同時に東京・芝浦工業大学芝浦校舎において、さくらプロジェクトの活動内容報告、タイ山地民の現況など、畑と三輪の講演を中心とした「第1回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が開催される。

19918 再び芝浦工業大学建築工学科畑研究室の学生、岩崎学園の学生、そして杉野女子大学の学生ら約30名がボランティアとしてさくら寮の建設工事に参加する。

19919 チェンラーイ県メースアイ郡一帯で雨期の集中豪雨による大洪水が発生。特に被害の大きかったトンプラオ村には、さくらプロジェクトとして救援活動に参加。古着、生活用品などを配布する。

19911022 さくら通信第2号発行。同時に東京・芝浦工業大学にて「第2回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が開催される。

19923 さくら寮完成。総工費608409バーツ(約350万円)。

 

 


1991年以前

2012/04/13 05:01 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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 さくらプロジェクト設立

 

19861  三輪隆初訪タイ、これ以後タイ北部での取材、調査活動がメインとなる。

19909 三輪隆他執筆・撮影による「地球の歩き方フロンティア タイ北部山岳民族を訪ねて」(ダイヤモンド社)発刊される。この一冊のガイドブックが当時、建築人類学の観点からタイ山岳民族の集落の生成に関心を寄せていた芝浦工業大学建築工学科の畑教授と三輪を結びつける機縁になる。

199011 芝浦工業大学建築工学科の畑聰一教授、写真家の北田英治氏および学生数名がチェンラーイ県山地民の住居調査のため、初めてチェンラーイを訪れ、三輪を案内人としてアカ族メーモン村などの集落調査を実施。その際、三輪と畑教授のあいだでタイ山地民の子どもたちへの教育支援の可能性について話し合われる。

199012月 三輪隆、畑聰一助教授(当時)が東京・芝浦で会談し、三輪隆を代表に、畑聰一助教授を日本事務局長としてタイ山地民の子どもたちへの教育支援NGO組織(生徒寮の建設と運営)を発足させることで合意。寮建設の資金は、同じ頃チェンラーイの三輪のもとを訪ねてきた、東京の中村清彌氏(故人・当時株式会社日新工業社長)が提供を申し出る。中村氏は当時すでに在タイのミャンマー難民支援をはじめており、タイ北部に新たな支援の場を模索していた。

199131 チェンラーイ県ムアン郡リムコック区ナムラット村403番地のユナイテッド・ヴィレッジ・スクールに隣接するヨハン・チェムー氏(アカ族)宅の敷地内で山岳民族の子ども達のための学生寮の建設工事が始まる。畑教授をはじめ、三輪、志賀宏、山崎久勇、芝浦工業大学建築工学科畑研究室の学生および岩崎学園の学生ら約20名も参加。当時ヨハン・チェムー氏はこのプロジェクトに賛同し、無償での土地提供を申し出た。

43_R.jpg 炎天下の中

44_R.jpg柱を立てる

1991
3
約1年かけての入寮生調査がスタート。三輪と日本人ボランティア小原靖弘がチェンラーイ県、チェンマイ県、パヤオ県、ナーン県、メーホンソン県など100以上の村で6民族1500名以上の生徒を調査する。 


 


さくらプロジェクト活動年表

2012/04/09 15:46 ジャンル: Category:さくらプロジェクト活動年表
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さくらプロジェクト・タイ活動年表

[1991~2011]


さくらプロジェクト設立

1986年1月  三輪隆初訪タイ、これ以後タイ北部での取材、調査活動がメインとなる。
1990年9月 三輪隆他執筆・撮影による「地球の歩き方フロンティア タイ北部山岳民族を訪ねて」(ダイヤモンド社)発刊される。この一冊のガイドブックが当時、建築人類学の観点からタイ山岳民族の集落の生成に関心を寄せていた芝浦工業大学建築工学科の畑教授と三輪を結びつける機縁になる。
1990年11月 芝浦工業大学建築工学科の畑聰一教授、写真家の北田英治氏および学生数名がチェンラーイ県山地民の住居調査のため、初めてチェンラーイを訪れ、三輪を案内人としてアカ族メーモン村などの集落調査を実施。その際、三輪と畑教授のあいだでタイ山地民の子どもたちへの教育支援の可能性について話し合われる。
1990年12月 三輪隆、畑聰一助教授(当時)が東京・芝浦で会談し、三輪隆を代表に、畑聰一助教授を日本事務局長としてタイ山地民の子どもたちへの教育支援NGO組織(生徒寮の建設と運営)を発足させることで合意。寮建設の資金は、同じ頃チェンラーイの三輪のもとを訪ねてきた、東京の中村清彌氏(故人・当時株式会社日新工業社長)が提供を申し出る。中村氏は当時すでに在タイのミャンマー難民支援をはじめており、タイ北部に新たな支援の場を模索していた。
1991年3月1日 チェンラーイ県ムアン郡リムコック区ナムラット村403番地のユナイテッド・ヴィレッジ・スクールに隣接するヨハン・チェムー氏(アカ族)宅の敷地内で山岳民族の子ども達のための学生寮の建設工事が始まる。畑教授をはじめ、三輪、志賀宏、山崎久勇、芝浦工業大学建築工学科畑研究室の学生および岩崎学園の学生ら約20名も参加。当時ヨハン・チェムー氏はこのプロジェクトに賛同し、無償での土地提供を申し出た。
1991年3月 約1年かけての入寮生調査がスタート。三輪と日本人ボランティア小原靖弘がチェンラーイ県、チェンマイ県、パヤオ県、ナーン県、メーホンソン県など100以上の村で6民族1500名以上の生徒を調査する。


1991年度
8名の寮生でスタート、寮建設開始!

1991年度(タイ歴2534年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ヨハン・チェムー(コーディネーター)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
清水郁郎(ボランティア)
寮生8名

1991年4月 畑聰一、三輪隆、志賀宏、清水郁郎、ヨハン・チェムー氏ほか芝浦工大の学生らが寮建設中のナムラット村にて会議。この教育支援プロジェクトを「さくらプロジェクト」と命名、建設中の寮もその名前をとって「さくら寮」と名づけることに決定。
1991年5月 前年よりヨハン氏の敷地内の仮設宿舎に寄宿し、さくらプロジェクトとして援助することが決まっていた8名のアカ族の子どもたちが、第一期さくら寮生して生活をはじめる。
1991年6月1日 タイ山地民の子どもたちのための教育支援活動。タイ山地民の保健医療・福祉・厚生・人権のための援助活動。タイ山地民の文化・社会の調査・研究・保護活動。タイ山地民とタイ人、日本人の相互文化交流活動などを設立の目的にかかげ、さくらプロジェクトが正式に設立される。
1991年6月15日 さくらプロジェクトの活動を報告するさくら通信第1号が発行される。
同時に東京・芝浦工業大学芝浦校舎において、さくらプロジェクトの活動内容報告、タイ山地民の現況など、畑と三輪の講演を中心とした「第1回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が開催される。
1991年8月 再び芝浦工業大学建築工学科畑研究室の学生、岩崎学園の学生、そして杉野女子大学の学生ら約30名がボランティアとしてさくら寮の建設工事に参加する。
1991年9月 チェンラーイ県メースアイ郡一帯で雨期の集中豪雨による大洪水が発生。特に被害の大きかったトンプラオ村には、さくらプロジェクトとして救援活動に参加。古着、生活用品などを配布する。
1991年10月22日 さくら通信第2号発行。同時に東京・芝浦工業大学にて「第2回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が開催される。
1992年3月 さくら寮完成。総工費608409バーツ(約350万円)。



1992年度
さくら寮開寮

1992年度(タイ歴2535年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ヨハン・チェムー(寮長)
アミ・チェゴン(寮母)
セレ・チェムー(寮母)
カニカー・カンプラスク(寮母)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
西村美紀(ボランティア)
安達英信(ボランティア)
さくら寮生58名

1992年4月6日 さくら通信第3号発行。
1992年5月11日 さくらプロジェクト・タイ・スタッフによる初めてのミーティングが開かれる。一部の寮生が入寮開始。
1992年5月12日 さくら寮入寮日。この日よりフリーのテレビディレクター、瀬川正仁氏によるテレビ東京のドキュメンタリー番組製作のための取材が始まる。
1992年5月16日 午前9時半より、さくら寮の開寮式。ユナイテッド・ヴィレッジ・スクールのプラパン理事長、ウィチャイ校長、ナムラット村村長、そして寮建設資金提供者の中村清彌氏、21世紀農場の谷口巳三郎氏、リス生徒寮の中野穂積氏らを招いてさくら寮前でおこなわれる。幼稚園児から高校生まで58人がさくら寮のメンバーとなる。
1992年6月11日 テレビ東京系列にてさくら寮の開寮までを追った番組「さくら寮INタイ」(ディレクター・瀬川正仁氏、スポンサー・東京都)が放映される。
1992年6月19日 さくら通信第4号発行。東京・芝浦工業大学にて「第3回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1992年7月 さくら寮の二つ目の寄宿施設をユナイテッド・ヴィレッジ・スクールの敷地内に建設する許可が学校からえられ、第2さくら寮(すみれ寮と命名)建設計画がスタートする。芝浦工業大学建築工学科大学院生木村剛士を中心に同大学大学院卒業生の清水郁郎、現地カレン族の建築士の3人によってすみれ寮の設計図が書かれる。
1992年10月9日 東京で「里親の会」開催。
1992年10月30日 さくら通信第5号発行。東京・芝浦工業大学にて「第4回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1992年11月 すみれ寮設計のため1992年12月 有償ボランティアとして里親である高沢安喜さんが東京事務局の事務の仕事を受け持つ。
1992年12月3日 東京西北ロータリークラブの資金援助によるすみれ寮建設工事が始まる。
1992年12月20日 日本人中野穂積さんが運営するチェンラーイ県メースアイ郡の山地民学生寮「リス生徒寮」とのスポーツ交流大会をチェンラーイ県メースアイ郡のリス生徒寮で開催。
1993年3月6日 さくら寮で初めての入寮生選抜試験実施。35名の合格枠をめぐり、書類選考で選ばれた110名の子どもたちが受験。(以後,毎年月に入寮選考会を実施)

1993年度
すみれ館開寮

1993年度(タイ歴2536年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ヨハン・チェムー(寮長)
アミ・チェゴン(寮母)
セレ・チェムー(寮母)
ナコーイ(ジュリラット)・バンブー(寮母)
ジョイ・ロンチャイカム(寮母)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
清水郁郎(ボランティア)
安達英信(ボランティア)
さくら寮生86名

1993年4月1日 さくら通信第6号発行。
1993年4月 すみれ館完成。総工費約1300000バーツ。
1993年4月 郵政省に国際ボランティア貯金寄付金の交付を申請する。
1993年5月18日 夕方より学校関係者、地元住民を招き、すみれ寮開寮セレモニーがおこなわれる。さくら寮は男子寮、すみれ寮は女子寮として使用することになる。
1993年6月21日 郵政省より「山岳民族の子どものための寄宿舎建設、運営」にたいしての国際ボランティア貯金寄付金の交付先に選ばれ、郵政省(当時)でおこなわれた通知式で郵政大臣による配分決定通知書を交付される。配分金総額7695000円。(うち、ひまわり寮建設工事費675万円、寄宿舎備品購入費945000円)
1993年7月1日 さくら通信第7号発行。
1993年7月3日 「第5回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」および第2回里親会が芝浦工業大学で開催される。
1993年10月6日 国際ボランティア貯金の交付対象団体に選ばれたさくらプロジェクトの活動内容とタイ山地民の生活を写した写真数点が東京高輪郵便局で展示される。(11月1日まで)
1993年10月 30日 さくら通信第8号発行。芝浦工業大学にて「第6回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1994年2月1日 三輪隆、プラパン・タサニヤコーン氏(ユナイテッド・ヴィレッジ・スクール理事長)、建築工事実施業者の3者でひまわり寮建設工事に関する契約書に調印。
1994年2月2日 ひまわり寮建設工事始まる。
1994年2月24日 チェンラーイ県にあるアカ族の村メーモン村で村の家屋、家畜のほとんどが焼失する大火災が発生。同日、さくらプロジェクトから小原靖弘が現地を視察。米、古着などの配給支援の準備を開始。
1994年2月25日 三輪およびさくらプロジェクト・タイ スタッフのジュリラット・パンブー、芝浦工業大学建築工学科大学院生の神田淳、さくら寮の寮生2人がメーモン村への救援物資を届けるため車をチャーターし、米約1.5トンを積みメーモン村に向かい、山地民福祉局を通じて、村人たちに配布、支給する。
1994年3月7日 三輪、ジュリラット・パンブー、小原靖弘の3名がジャトーブー村に出向き、ジャトーブー村地域の管轄であるルアミット村小学校校長とジャトーブー村における小学校分室設置問題について懇談。
1994年3月20日 さくらプロジェクトが20000バーツの資金援助をし、木材、竹、茅などを用い、村人たちによってジャトーブー村に校舎の建設が始まる。
1994年3月25日 郵政省貯金局・国際ボランティア貯金推進室の小林良和氏がひまわり寮建設現場を視察。
1994年3月31日 ルアミット村小学校ジャトーブー村分室完成。

1994年度
ひまわり館開寮、ジャトーブー村小学校支援開始

1994年度(タイ歴2537年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
アミ・チェゴン(寮長)
ナコーイ(ジュリラット)・バンブー(寮母)
ジョイ・ロンチャイカム(寮母)
ナド・ヤパー(寮母)
センサク・アイ(ジャトーブー村小学校教員)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
清水郁郎(ボランティア)
中野学(ボランティア)
さくら寮生97名

1994年4月1日 さくら通信第9号発行。
1994年4月20日 アカ族のセンサック・アイを常勤の教員、さくらプロジェクト・タイのスタッフでもあるラフ族のジュリラット・パンブーを非常勤の教員兼小学校の責任者とし、ルアミット村小学校ジャトーブー村分室に派遣することを決定する。
1994年4月 ひまわり寮完成。総工費約1500000バーツ(675万円)。
1994年4月 郵政省に国際ボランティア貯金寄付金の交付2件を申請。
1994年5月 さくらプロジェクト元スタッフのヨハン・チェムー氏にさくら寮の施設が譲渡される。ヨハン氏はさくらプロジェクトを離れ、独自に寮運営をすることになる。初代さくら寮の施設はのちに「若竹寮」と改名される。
1994年5月 ひまわり寮がオープンし、旧さくら寮の男子生徒がすべてひまわり寮に移る。新年度の寮生は97名に。
1994年5月10日 チェンラーイ県社会福祉局とチェンラーイ県メーチャン郡にある山地民福祉局からジャトーブー村小学校がルアミット村小学校分教室としての認可を受ける。
1994年6月20日 ジャトーブー村小学校開校。生徒数は46名。
1994年6月 郵政省国際ボランティア貯金寄付金申請分2件のうち、チェンラーイ県ジャトーブー村における小学校の建設及び運営に関する1件の申請が認められ、運営資金が郵政省より配分される。配分金総額740000円(うち、教育費274000円、教員人件費493000円)
1994年7月1日 さくら通信第10号発行。東京・芝浦工業大学にて「第7回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1994年7月9日 里親の谷正直氏が経営する奈良市内のペンション「奈良倶楽部」にて関西在住の支援者を対象に三輪隆の講演会とさくらプロジェクトの報告会。
1995年1月 阪神大震災発生。ボランティアでさくら寮に滞在中の中野学の実家が被災。
1995年2月 三輪、テレビ朝日「ネイチャリング・スペシャル」のタイ・ロケのコーディネーターとしてチェンラーイ県のホイサン村、ナーン県などに同行。リス族、ムラブリ族の集落で通訳を行なう。
1995年3月 中野学、1年間の体験ボランティア生活を終えて帰国。

1995年度
郵政省視察団来訪

1995年度(タイ歴2538年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
アミ・チェゴン(寮長)
ナコーイ(ジュリラット)・バンブー(寮母)
ジョイ・ロンチャイカム(寮母)
ナヘ・ジャヘラー(ジャトーブー村小学校教員 ただし年度途中で退職)
シティチャイ・ジャヘラー(ジャトーブー村小学校教員 ただし年度途中で退職)
ガイ(ブアパン)・アイチャー(寮母ただし年度途中よりジャトーブー村小学校教員)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
さくら寮生99名

1995年4月 郵政省に国際ボランティア貯金寄付金申請。
1995年6月 郵政省国際ボランティア貯金寄付金申請が認められ、ジャトーブー村小学校運営費として資金が配分される。配分金総額71500円(うち、教育費123000円、給食費100000円、教員人件費372000円)
1995年6月24日 さくら通信第11号発行。東京・芝浦工業大学において「第8回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1995年6月30日 滋賀県大津市の田上中学校で三輪がさくらプロジェクトの紹介をテーマにした講演会を開催。
1995年7月1日 滋賀県大津市の西光寺で、関西の里親、支援者を対象とした三輪の報告会、講演会が開催される。
1995年8月 ジャトーブー村小学校台所建設開始。
1995年8月6日 チェンラーイ県メーチャン郡にある山地民福祉局の研修所で山地民の女性たちによって縫製された学生服をさくらプロジェクトで買い取り、ルアミット村小学校ジャトーブー村分室の生徒に配布。
1995年8月24日 ジャトーブー村分室の給食室完成。
1995年9月1日 ルアミット村小学校ジャトーブー村分室で子どもたちへの昼の給食支援開始。
1995年11月12日~13日 郵政省貯金局、NGO活動推進センター、そして預金者を代表する自治体首長からなる郵政省ボランティア貯金援助プロジェクト視察団がチェンラーイのさくらプロジェクトを訪問。チェンラーイにあるひまわり寮、すみれ寮およびルアミット村小学校ジャトーブー村分室などを視察。
1995年11月26日 ユナイテッド・ヴィレッジ・スクールのグランドで周辺の6つの山地民学生寮対抗球技大会が開かれ、さくらプロジェクトが総合優勝。
1995年12月3日 さくらプロジェクト生徒寮とリス生徒寮との親善スポーツ大会がユナイテッド・ヴィレッジ・スクールのグラウンドでおこなわれる。
1996年 1月 チェンマイ県メーアイ郡にあるラフ族のドイレム村への水道敷設計画がまとまる。
1996年2月1日 さくら通信第12号発行。
1996年3月 さくらプロジェクト中学3年卒寮生20名がバンコク、サメット島へ卒寮旅行。バンコク在住の里親、白子富三郎さんも同行。(白子さんは1997年8月、バンコクにて逝去される)

1996年度
ホイメリアム小学校支援開始、ドイレム村に水道設備

1996年度(タイ歴2539年)さくらプロジェクト・タイ・スタッフ
アミ・チェゴン(寮長 ただし5月をもって退職)
ジュリラット・パンブー(アミの退職後、5月より寮長を引き継ぐ)
ジョイ・ロンチャイカム(寮母)
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
クリヤンカイ・サムケオ(運転手)
アロン・ゲイサン(ジャトーブー村小学校教員 ただし途中退職)
ヨーン・プラブン(ジャトーブー村小学校教員 ただし途中退職)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
さくら寮生93名

1996年4月 郵政省に国際ボランティア貯金寄付金3件を申請。
1996年5月 東京西北ロータリークラブから施設建設資金が寄付され、山地民の文化を記録、紹介し、同時に交流を目的とする施設「文化交流会館」の建設計画が決定。
1996年5月 チェンラーイ県ムアン郡ホイチョンプー地区ホイメリアム村小中学校に隣接するラフ族寮(パラン寮)に朝、夕食費、生活用品援助を開始
1996年6月 郵政省国際ボランティア貯金寄付金申請分3件の配分が決定する。配分金総額1500000円。内訳は1.ジャトーブー村小学校運営費(校舎修繕費53000円、教員宿舎修繕費38000円、教育費219000円、教員人件費453000円)2.ドイレム村簡易水道建設プロジェクト(306000円)、3.ホイメリアム村小中学校生徒寮への支援プロジェクト(給食費183000円、教材費64000円、医療費8000円、寄宿舎維持費13000円)
1996年6月28日 さくら通信第13号発行。東京・芝浦工業大学にて「第9回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1996年8月 ナムラット村に交流会館建設のための土地を800000バーツで購入する。約900平方メートル。芝浦工業大学建築工学科大学院生鳥越一成が交流会館設計のため来タイ、三輪と打ち合わせ。
1996年10月5日 チェンマイ県メーアイ郡ドイレム村にて水道工事開始。
1996年10月14日 ドイレム村水道工事貯水タンク完成。
1996年10月14日 深夜、さくらプロジェクト・タイの寮長であるジュリラット・パンブーが三輪とともに12日間の日程で日本研修旅行に。東京、大阪、奈良、岐阜などに滞在。
1996年10月19日 訪日中のジュリラット・パンブーを囲んで、大阪で「里親の会」開催。
1996年10月21日 里親の谷正直さん経営のペンション「奈良倶楽部」にて、関西在住の里親が中心になり、ジュリラット・パンブーの歓迎会およびさくらプロジェクトの報告会。
1996年10月26日 さくら通信第14号発行。さくらプロジェクト・タイのジュリラット・パンブーの訪日に合わせて東京・芝浦工業大学にて「第10回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。三輪と芝浦工業大学建築工学科大学院生鳥越一成、交流会館基本計画案について打ち合わせ。
1997年1月11日 ドイレム村水道工事完成セレモニーがおこなわれる。これ以後水道にかんするメンテナンスは村民の自主管理となり、ドイレム村水道援助プロジェクトは完了する。
1997年2月 テレビ東京「ドキュメンタリー人間劇場」の撮影スタッフが、さくらプロジェクトの寮を題材にしたドキュメンタリー番組を制作するために約2週間にわたってさくら寮を取材する。
1997年3月 交流会館建築工事業者決定し、契約調印。建築工事が始まる。

1997年度
アジア通貨危機 さくらプロジェクトがテレビで紹介される

1997年度(タイ歴2540年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ジュリラット・パンブー(寮長)
ジョイ・ロンチャイカム(寮母)
ガイ・(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
クリヤンカイ・サムケオ(運転手)
三輪隆(ボランティア)
さくら寮生104名

1997年4月 郵政省に国際ボランティア貯金寄付金申請。
1997年4月 22日~26日 ホイメリアム村小中学校内で新寄宿舎の建設開始。パラン村、ティセ村、ジャハ村、ハジャオ村、ゲルアン村の父兄たちが集まり、竹と茅を用いて男女別棟の寄宿舎が完成。同時に炊事小屋、食堂も改築される。
1997年4月23日 テレビ東京「ドキュメンタリー人間劇場」で三輪およびさくら寮を取材したドキュメント番組『忘れないで 心の歌を』が放送される。翌日から日本事務局への里親申し込み、問い合わせ電話が殺到する。
1997年5月 畑聰一教授訪タイ、交流会館建設現場を視察。
1997年6月 ジャトーブー村小学校運営資金、ホイメリアム村小中学校パラン寮運営資金として郵政省国際ボランティア貯金寄付金が配分される。配分総額は2020000円。内訳は1、ルアミット村小学校ジャトーブー村分教室への支援(教員寄宿舎増築費87000円、教育費205000円、給食費209000円、教育人件費509000円)2、ホイメリアム村小中学校パラン寮運営費の支援(給食費354000円、教材費99000円、生活用品費、医療費9000円、寮母意人件費48000円、寄宿舎増築費436000円)。
1997年6月28日 さくら通信第15号発行。東京・芝浦工業大学にて「第11回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1997年8月 里親の三枝紀雄様・令子様ご夫妻来寮。ご厚意により、寮生全員、チェンマイへの遠足が実現する。
1997年10月 JICA(国際協力事業団)の農業研修旅行団がさくらプロジェクト・タイの寮を訪問し、ジャトーブー村などを視察、また寮生たちとの交流会が開かれる。
1997年11月 ~22日 郵政省ボランティア貯金の預金代表者によるさくらプロジェクト・タイへの視察がおこなわれる。さくら寮をはじめ、郵政省ボランティア貯金の配分金で運営されているジャトーブー村小学校、ホイメリアム村小中学校パラン寮を視察する。
1997年12月 歌手の五木ひろしさんがチャリティーコンサートの売り上げの1部約500万円をさくらプロジェクトに寄付。贈呈式の模様が12月30日にテレビ東京にて放送される。
1998年2月 ナムラット村にタイ山岳民族文化交流会館完成。総工費約1730000バーツ。
1998年2月18日 タイ山岳民族文化交流開館の落成式開催。資金協力は東京西北ロータリークラブ。




1998年度
文化交流会館完成

1998年度(タイ歴2541年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ジュリラット(ナコーイ)・バンブー(寮長ただし年度途中にて退職)
ジョイ・ロンチャイカム(寮母 ジュリラット退職後、寮長に)
ガイ(ブアパン)・アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
クリヤンカイ・サムケオ(運転手)
インチャン(ジャトーブー村小学校教員)
ナミチャ(寮母ただし途中退職)
ペッド・トラウォン(寮母)
三輪隆(コーディネーター)
さくら寮生132名

1998年4月 さくらプロジェクト・タイの公式ホームページが開設される。
1998年5月 1998年度新学期が始まる。
1998年6月27日 さくら通信第16号発行。東京・芝浦工業大学にて「第12回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1998年8月 1997年末、歌手の五木ひろしさんから贈呈された寄付金と里親の三枝令子さんからの寄付をもとに、交流会館のとなりに新寄宿舎建設に着手。基本設計図面は前回の交流会館同様、芝浦工業大学建築工学科大学院生鳥越一成と三輪が共同でおこなう。
1998年9月 静岡県の清水中央ロータリークラブよりジャトーブー村小学校新校舎建設資金として180000バーツの寄付を受ける。
1998年10月20日 さくら通信第17号発行。
1998年12月 ジャトーブー村小学校新校舎の建設着工。
1999年1月 ジャトーブー村小学校新校舎完成。総工費200000バーツ。
1999年2月13日 ~17日 第1回「さくら寮をたずねる会」(通称里親ツアー)が実施され、12組17名の里親の方々が夕刻チェンラーイ空港に到着する。
1999年2月15日 ジャトーブー村にて、ジャトーブー村小学校新校舎竣工式典開催。主催はルアミット村小学校。学校関係者、ジャトーブー村住民のほか、校舎を寄贈した清水中央ロータリークラブのメンバー15名、第1回「さくら寮をたずねる会」でチェンラーイを訪問中の里親の方々17名が参加。
1999年3月 寮生・マリサー・チャクソンダムロンがさくら卒業生では初めてチェンマイ大学)社会学部)に合格。

1999年度
しらゆり館寮完成! 山岳民族資料館開館

1999年度(タイ歴2542年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ジョイ・ロンチャイカム(寮長)
ガイ(ブアパン)・アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
サティアン・パーンカワン(運転手ただし途中退職)
ソムケート・トラウォン(運転手)
マニー・セイハーン(寮母)
ナセ・エブ(寮母)
三輪隆(コーディネーター)
志賀宏(ボランティア)
さくら寮生148名

1999年5月 交流会館裏手に新寄宿舎・しらゆり寮が完成。総工費210000バーツ(約7000000円)。
1999年6月5日 しらゆり寮完成式典開催。建設資金の一部を寄付してくださった里親の三枝紀雄・令子ご夫妻、ユナイテッド・ヴィレッジ・スクール校長、チェンラーイ社会福祉局の局長、日本大使館チェンマイ駐在官事務所の白鳥氏らを招いておこなわれる。
1999年6月26日 さくら通信第18号発行。東京・芝浦工業大学にて「第13回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。1992年より7年間日本事務局を支えてきた高澤安喜さんにかわり、青井順子さんが日本事務局の事務作業を引き継ぐ。
1999年11月3日 11月3日から11月8日までの予定で第2回「さくら寮をたずねる会」ツアーが実施され、4名の里親の方々が参加。
1999年11月26日 さくら通信第19号発行。
2000年2月13日 東京西北ロータリークラブの支援により交流会館3階に完成した「山岳民族文化資料展示室」が開館。東京西北ロータリークラブの方々を招いてテープカットがおこなわれる。
2000年2月24日 清水中央ロータリークラブによるさくらプロジェクトの寮生たちのためのスクールバス(トヨタ・ハイエース)の寄贈式がさくら寮にておこなわれる。引き続き交流会館中庭にて清水中央ロータリークラブにより、合歓の木の記念植樹がおこなわれる。
2000年3月 寮生のオラピン・ペッパチャラークンがチェンマイ大学医学部看護学科に合格、ウィチャイ・セイヤーンがバンコクのタマサート大学工学部に合格。
2000年3月17日 寮生のブンタム・モンコンロートクン君(アカ族)が学期休みで実家に帰省中、村の近くの池で深みにはまり、溺死。現役の寮生ではじめての死亡事故となる。
2000年3月31日 三輪の引率で寮生代表6名(カンポン・セイチャオ、タニン・ムンチャカー、ウィタヤー・スックカセムサクン、マリサー・チャイクソンダムロン、オンチラー・セイリー、ティカンポン・ウティブンチャイ)が日本研修旅行に出発。清水中央ロータリークラブおよび里親有志のバックアップを得て、東京周辺および静岡県清水市および関東周辺にホームステイして、文化交流と研修をする。

2000年度
寮生初訪日、ナハ基金設立

2000年度(タイ歴2543年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ジョイ・ロンチャイカム(寮長)
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
マニー・セイハーン(寮母)
ナセ・エブ(寮母)
ミボ・ベチュグ(寮母)
シラ・ジャガ(運転手)
三輪隆(コーディネーター)
志賀宏(ボランティア)
堀川守正(ボランティア)
さくら寮生141名

2000年4月1日 早朝さくら寮生日本研修生一行が成田到着。
2000年4月 寮生のナハ・ジャプーさんが突発性血小板減少性紫斑病と診断され、脾臓摘出手術を受けてチェンラーイ公立病院に入院していたが、症状が改善せず、再度骨髄検査をうけた結果、再生不良性貧血であることが判明。治療法として骨髄移植にもっとも大きな希望があることを医師から告げられる。
2000年4月22日 東京・芝浦工業大学で「第14回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が開催される。訪日中のさくらプロジェクト寮生6名の送別会も開かれる。里親有志の会の提案により、「ナハちゃん救済基金」の募金活動が開始される。
2000年6月9日 懸命の治療と看護の甲斐なくナハさんが脳内出血のため永眠。
2000年7月11日 さくら通信第20号発行。闘病していたナハさんのために、100人を超える支援者から約300万円の寄付金が集まり、これを今後寮生が事故に遭ったときや難病にかかったときの医療費として「ナハ基金」として役立てていくことを報告。
2000年9月10日 ラフ族の寮生ナヨー・ジャルーが膿瘍摘出手術を受け、ナハさん治療のために集まった寄付金「ナハ基金」の初の適用者となる。手術は成功し、その後ナヨは回復。
2000年12月5日 さくら通信第21号発行。
2001年1月26日 テレビ大阪の番組「ボランティア21」でさくらプロジェクトが取り上げられ、放送される。畑聰一教授がスタジオ出演。
2001年2月17日 ~23日 第3回「さくら寮をたずねる会」(通称里親ツアー)が実施される。9名の里親の方々が参加。
2001年度
さくらプロジェクト発足10周年

2001年度(タイ歴2544年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ヌッチャナー(ジョイ)・ロンチャイカム(寮長)
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
マニー・セイハーン(寮母)
ナセ・エブ(寮母)
ミボ・ベチュグ(寮母)
シラ・ジャガ(運転手)
カンポン・チャオワタナーサクン(スタッフ)
三輪隆(代表・コーディネーター)
志賀宏(ボランティア)
さくら寮生148名

2001年4月6日 前年に引き続き清水中央ロータリークラブのバックアップにより4月6日から4月22日までの日程で寮生5名(チュチャート・セイリー、ウィラット・ウィセットガムワシン、マンセン・セイチャオ、ラダワン・セイハーン、ヨニ・ヤプー)およびスタッフのジョイ・ロンチャイカムの計6名が三輪の引率により、文化交流と研修の目的で日本へ出発。東京周辺、静岡県清水市、奈良、大阪に滞在。
2001年4月21日 東京・芝浦工業大学で「第15回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が開催される。
2001年5月1日 さくらプロジェクトのスタッフおよび年長の寮生約30名がホンオー村小学校にて、老朽化した宿舎の修繕作業を開始。
2001年5月15日 ホンオー村小学校寮に23名の子どもたちが入寮。
2001年5月17日 2001年度サハサートスクサー・スクール新学期開始。
2001年6月28日 さくら通信第22号発行。
2001年10月21日 バンコク・シリキット王女会議センターでおこなわれている国際ボランティア年祭でタイのチュアイ・ブンロン副首相より三輪が「優秀ボランティア賞」の表彰を受ける。
2001年10月23日 寮生チュチャート・セイリー(ヤオ族)がダムロン高校の最優秀生徒に選出され、新聞にも紹介される。寮生のアンカーン・レチュー(アカ族)もサマーキー中学の優秀生徒として表彰される。
2001年11月 里親の小暮克彦様の寄付により、寮内に子どもたち用の図書室が完成。
2001年11月13日 本日よりルアミット村寄宿舎建設工事が始まる。建設資金は里親の阿部周彦氏の寄付による。
2002年1月25日 さくら通信第23号発行。
2002年3月 寮生のチュチャート・セイリー(ダムロン高校)がチェンマイ大学に合格。
2002年3月30日 畑教授多忙のため、日本事務局が芝浦工大畑研究室から里親有志に暫定的に引き継がれる。新事務局スタッフは、石田公也・恵子、岡山豊・陽子、風間茂・玉美、金子泰輔、近藤鈴男・聡美、菅原範子、久富淳司・静江。畑聰一教授にはアドバイザーとして後方から支援していただくことになった。

2002年度
日本事務局が新スタッフで始動。ルアミット寮開寮

2002年度(タイ歴2545年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ヌッチャナー(ジョイ)・ロンチャイカム(寮長)
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
マニー・セイハーン(寮母)
ニラッチャラー(ナセ)・エブ(寮母)
アリサー(ミボ)・ベチュグ(寮母)
スティダー・ブレ(寮母)
アチャヤシット・ウィラワットポンサトン(運転手)
カンポン・チャオワタナーサクン(ルアミット村寮寮長、ジャトーブー村小学校教員)
ナミシ・ブレ(ルアミット村寮寮母)
三輪隆(代表・コーディネーター)
志賀宏(ボランティア)
さくら寮生141名


2002年4月1日 日本事務局が芝浦工業大学畑研究室から移転し、事務局長は畑聡一教授にかわって風間茂が就任し、事務作業は青井順子から久富淳司、静江に受け継がれる。
2002年5月13日 さくら寮新学期スタート。ルアミット村寮、26名の寮生を受け入れて開寮。カンポン・チャオワタナーサクンが初代寮長として就任。
2002年6月29日 さくら通信第24号発行。東京・芝浦工業大学にて「第16回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
2002年7月4日 国際基督教大学3年生の永野りさ、インターンシップの活動として来寮。ホンオー寮にて1ヶ月間ボランティア。(8月3日まで)永野はこのボランティアが機縁となって後にJICAに就職。
2002年7月13日 さくら寮講堂(さくらー清水中央ホール)建設開始。
2002年9月8日 バンコクの社会福祉局のスタッフが、さくらプロジェクトを視察。
2002年9月12日 ルアミット村寮増築工事開始。
2002年9月17日 福岡のABCキルト・ジャパンのメンバーが、さくら寮を訪問。ボランティア・キルターが作成した約80枚の赤ちゃん用の敷布がさくらプロジェクトに託される。これらのキルトはエイズ孤児となった赤ちゃんをはじめとして、山岳民族の村の貧しい子供たちに配られる。
2002年10月20日 約1万人が参加した王母記念ドイ・トゥン市民マラソンに、社会福祉局のNGO組織代表としてさくらプロジェクトのスタッフ、寮生12名が出場。寮生のミントラー・イェルグが17歳~29歳の女子部門で5位に入賞する。
2002年10月28日 TBSテレビの新番組『世界どこでもハローワーク』の取材班が、さくらプロジェクトを訪れる。
2002年12月14日、15日 パヤオ県のシャンティ寮で、日本のNGOが支援母体になっている四つの山岳民族生徒寮(さくら寮、暁寮、シャンティ寮、パヤオYMCA)合同による毎年恒例の四寮友好スポーツ大会が開催される。
2002年12月8日 さくら通信第25号発行
2002年12月18日 里親有志による、さくら寮の子供たちを訪ねる会が実施される。
2002年12月23日 さくら寮生日本研修旅行メンバーがチェンラーイを出発。
2003年1月6日 訪日した寮生一同、さくらエコホームなどを支援している静岡市のエコ21グループの新年総会にゲストとして出席。三輪の講演および子供達が山岳民族の踊りを披露する。
2003年1月28日 三輪、タイ南部トラン県にてサカイ族の調査。
2003年2月10日 さくらー清水中央ホールの贈呈式。日本から、清水中央ロータリークラブ会長の水野一保氏ほか10名の会員が参加。
2003年3月2日 ルアミット村さくらエコホーム開寮式。施設の建設資金を寄贈していただいたエコ21グループの鈴木社長、エコ・インターナショナルの山田社長をはじめ、社員の方々20名が参加。チェンラーイ県知事による祝辞およびテープカット。
2003年3月21日 この日を限りにホンオー寮を引き払う。ホンオー寮生たちは次年度よりさくら寮および、さくらエコホームに移転。
2003年3月25日 ルアミット村さくらエコホームの寮生スラデッド・ジャケー君がメーコック川で溺れて行方不明に。翌日遺体で発見される。

2003年度 タイ歴2546年

さくらエコホーム、新施設でスタート

2003年度さくらプロジェクト タイ スタッフ
ヌッチャナート(ジョイ)・ロンチャイカム(寮長)
ガイ(ブアパン)・アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
アリサー・ベチュグ(寮母)
アチャヤシット・ウィラワットポンサトン(運転手・12月まで)
カンポン・チャオワタナーサクン(さくらエコホーム寮長)
マニー・セイハーン(さくらエコホーム寮母)
カラヤー・ジャレー(さくらエコホーム寮母)
ナチュ・エチュ(さくらエコホーム寮母)
ナボイ・ジャチェ(さくら寮食事係・12月まで)
三輪隆(代表・ボランティア)
志賀宏(ボランティア)
さくら寮生143名(学期開始時)
さくらエコホーム寮生38名(学期開始時)


2003年6月12日 さくら通信第26号発行
2003年6月21日 東京・芝浦工業大学で「第17回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催される。同時に民芸品バザールも開催。顧問の畑聡一先生が特別講演。
2003年6月28日 新橋の生涯学習センター3階にて、「日本海時代の祭典」の例会の講演として、三輪がタイの山岳少数民族の生活について講演。
2003年7月9日 ルアミットさくらエコホームの横の土地約600平方メートルを村人より購入。土地売買契約を交わす。
2003年7月23日 ボランティアの永野りさ来寮(29日まで)
2003年7月26日 里親の平野靖子さんが図書購入基金200万円を寄付。
2003年8月10日 さくらプロジェクトのタイ行政サイドのカウンターパートである社会開発人間福祉省の省長のパニット女史ほか、チェンラーイの社会開発局のスタッフ十数人が視察のため来寮。予算規模に見合った支援児童の数の拡大、支援内容の充実、また山岳民族文化交流会館、とくに山岳民族資料室の開設(民族文化の保存)やさくらー清水中央ホールの建設、さくらエコホームなど諸施設の充実などが評価された。
2003年8月15日 ルアミット村さくらエコホームにて、さくらエコマート開店記念式典。来賓としてルアミット村の村長がテープカット。民芸品と寮の子供達のお菓子、日用品の販売をするエコホーム直営のミニストア。資本金30000バーツ。
2003年8月22日 法政大学法学部政治学科国際開発協力論後藤ゼミの学生11人が来寮。三輪にインタビュー。
2003年9月24日 福岡より、昨年に続き、ABCキルト・ジャパンのメンバー13人が来寮。(ABCキルト・ジャパンは、日本全国のボランティア・キルターによるキルトの布を製作し、それをアジア各国のHIVに感染した子供たちやエイズ孤児に贈る活動を展開するグループ)メーチャン地区病院やAIDS関連のNGO・ドリームメーカー、アクセスなどを視察。
2003年11月6日 里親視察団一行(近藤聡美さん、阿部周彦さんご夫妻、風間玉美さん、愛子さん母娘、原良子さん、渡辺道子さんの計7名)がチェンラーイ到着。(11月10日まで、ロイクラトンなどの祭り見学、寮生と交流をはかる)
2003年12月6日 ウィンパパオの暁寮にて、この日から2日間にわたり、第4回4寮親善スポーツ大会が開催される。さくらプロジェクトのほか、暁寮、シャンティ寮、パヤオYMCAが参加。
2004年1月12日 さくら通信第27号発行
2004年2月5日 交流会館横の土地(154平方メートル)を137000バーツで購入。契約書に調印する。
2004年2月14日 ナティ・パテの里親の伊藤憲史さん、ソンクリン・シースワンの里親の中田一弘さん、豊橋南ライオンズクラブのメンバーで社会福祉委員長の田中孝志さんほか9名が来寮。豊橋南ライオンズクラブでのチャリティ・バザーの収益金の一部(10万円)をさくらプロジェクトに寄付。
2004年2月27日 メーチャンの山岳民族開発支援センター内で行われた山岳民族文化フェスティバルに参加。さくら寮生たちも民族衣装でステージに上がり、踊りを披露。

2004年度 タイ歴2547年

ジョイさんが慢性腎不全のため透析治療を開始、募金の輪広がる

2004年度さくらプロジェクト タイ スタッフ
ヌッチャナート(ジョイ)・ロンチャイカム(寮長)
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
アリサー(ミボ)・ベチュグ(寮母)
カンポン・チャオワタナーサクン(さくらエコホーム寮長)
マニー・セイハーン(さくらエコホーム寮母)
ヌッサラー・セイクー(さくらエコホーム寮母)
テン・セイラオ(運転手・6月まで)
カンチャナ・セイハーン(さくら寮食事係)
三輪隆(代表・ボランティア)
志賀宏(ボランティア)
さくら寮生139名(新学期開始時)
さくらエコホーム寮生35名(新学期開始時)

2004年4月17日 2004年度さくら寮新入寮生選抜試験。書類選考を通過した受験生30名が一泊二日で筆記試験や面接を受ける。
2004年5月14日 寮長のスタッフのヌッチャナート・ロンジャイカム(ジョイ)が、慢性腎不全の治療として連続携行式腹膜透析(CAPD)を実施することになり、そのための準備として、スリブリン病院にて腹部にカテーテルを埋め込む手術を受ける。
2004年6月12日 三輪とカンポン、日本平ホテルで開催された清水中央ロータリークラブの15周年記念式典に参加。
2004年6月19日 東京・芝浦工業大学にて、「第18回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。49名が参加。WEBカメラを通して里親とチェンラーイの寮生たちとの交流が実現する。同時に民芸品バザールも開催。
2004年7月14日 ABCキルト・ジャパンのメンバーの10名が、バンコクで開催された国際エイズ会議への参加を機に、さくら寮を訪問。5月4日に急逝された主幹メンバー藤本喬氏の遺志を継いで、故・藤本氏の浄財、その後の募金などをもとに「たかし基金」が設立され、さくらプロジェクトに寄贈されることになる。
2004年7月20日 交流会館横にて、複合学習施設の建設はじまる。
2004年8月12日 さくら通信第28号発行
2004年10月26日 さくらエコホームの建設資金などを協力してくださっている、おなじみエコジャパン21グループ(鈴木修二社長)の傘下のひとつ(株)横浜エコハウスより、藤田社長以下社員のみなさん19名が、社員旅行の一環として、さくらエコホームおよびさくら寮を訪問。
2004年12月 さくら寮がホストとなり、毎年恒例の四寮スポーツ大会が開かれる。
2004年12月17日~23日 里親ツアー。8名が参加。
2004年12月18日 さくら寮内クリスマス会開催される。
2005年2月1日 さくら通信第29号発行
2005年3月5日 さくらエデュケーショナル・センター竣工式がエコ21グループ鈴木修二代表ほか社員のかたがた、チェンラーイ社会開発局局長、サハサートスクール理事長、校長などの来賓を迎えて執り行われる。


2005年度 タイ歴2548年
さくら教育センターがオープン
2005年度さくらプロジェクト タイ スタッフ
ヌッチャナート(ジョイ)・ロンチャイカム(寮長)
アリサー(ミボ)・ベチュグ(寮母)
ミユ・セパク(寮母)
ナチュ・リフー(さくら寮食事係)
カンチャナ・セイハーン(さくら寮食事係)
ブンチャイ・センチャン(さくらエコホーム寮長)
ナドゥ・プハー(さくらエコホーム寮母)
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
ジャガ・セイラーン(運転手)
三輪隆(代表・ボランティア)
志賀宏(ボランティア)
寮生141名

2005年4月7日~21日 寮生4名(ラッポン・ワタナソンパン、ピンパー・サックモンコンサクン、スリワン・ジャプー、ラダー・アタポンプーシット)が三輪の引率により、文化交流と研修の目的で日本へ出発。東京、岐阜、飛騨高山、豊橋などに滞在。
2005年6月22日~24日 オランダ・フルフォード基金スタッフのハリー・ミューセン氏がさくらプロジェクトを視察。
2005年8月15日 さくら通信第30号発行。
2005年11月16日~19日 ハリー・ミューセン氏がさくら寮を再訪し、フルフォード基金により2007年度から3年間のさくらプロジェクトへの奨学金の支援が決定される。
2005年12月17日~18日 パヤオ県のYMCA寮がホストとなり、毎年恒例の四寮スポーツ大会が開かれる。
2006年2月15日 さくら通信31号発行


2006年度 タイ歴2549年
ジョイさん逝く。フルフォード基金より奨学金支援始まる
2006年度さくらプロジェクト タイ スタッフ
ヌッチャナート(ジョイ)・ロンチャイカム(寮長)(7月、逝去)
アリサー(ミボ)・ベチュグ(寮母)
カンチャナ・セイハーン(さくら寮食事係)
ニラー・セイリー(さくらエコホーム寮母)
ナドゥ・プハー(さくらエコホーム寮母)
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
ノイ・ルアキットチャイヤー(運転手)
アンポン・シリパンチョンクン(寮母)
カンポン・チャオワタナーサクン(寮長)
三輪隆 (代表・ボランティア)
志賀宏(ボランティア)
岸田直子(ボランティア)
さくら寮生150名 さくらエコホーム39名。

2006年6月8日~23日 さくらプロジェクト代表三輪隆が日本へ一時帰国し、日本での滞在中、日本の支援者たちのために報告会を開く。
2006年7月8日 さくら寮寮長ヌッチャナート・ロンチャイカムが慢性腎不全とその合併症のため、2年あまりの闘病生活ののち逝去。本人の希望により、さくら寮内でお通夜が執り行われ、チェンラーイのカトリック教会で葬儀が行われる。 
2006年8月 岐阜市のギャラリー「一休庵」にて三輪隆写真展「タイ・黄金の三角地帯―山地民の子どもたちとともに」開催。
2006年8月12日、13日 寮内スポーツ大会が開かれる。
2006年8月31日 さくら通信第32号発行
2006年11月23日、24日 チェンマイ在住のシニアボランティアでチェンマイ民族博物館の映像制作の仕事をしている日本人、長澤潔氏がさくらプロジェクトを訪問し、山岳民族の子供を題材にドキュメントを撮影。三輪およびさくらプロジェクトが取材協力。
2006年12月9日、10日 さくら寮を含めたチェンラーイ県の生徒寮2つとパヤオ県の生徒寮2つが合同になっての友好を深めるための4寮スポーツ大会がパヤオ県のサンティー寮で開かれる。
2006年12月27日~2007年1月6日 千里金蘭大学の平井和子教授、武庫川女子大学の大野佳美教授が山岳民族の栄養、食事に関しての調査をするため、さくら寮へやってくる。さくらプロジェクト代表三輪隆と寮生たちが教授を山岳民族の村々へと案内し、聞き取り調査が行われる。
2007年1月7日 チェンマイで開催中の世界園芸博覧会にスタッフの引率で寮生140人が見学。
2007年3月 大阪千里金蘭女子大学の平井和子教授の指導により、ドイメーサロンさんの梅の実を使った梅肉エキスをさくらプロジェクトで実験的に生産する活動が始まる。子どもたちの現金収入の一環として期待される。
2007年3月30日 さくら通信第33号発行

2007年度 タイ歴2550年
横浜で三輪隆写真展、第5回寮生訪日研修実施

2007年度さくらプロジェクト タイ スタッフ
カンポン・チャオワタナーサクン(寮長)
アリサー(ミボ)・ベチュグ(寮母)
カンチャナ・セイハーン(さくら寮食事係)
ニラー・セイリー(さくらエコホーム寮母)
アユ・セドゥク(さくらエコホーム寮母)
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
ラッポン・ワタナソンパン(運転手)
ウィラット・ウィセットガムワシン
アンポン・シリパンチョンクン(寮母)
三輪隆 (代表・ボランティア)
志賀宏(ボランティア)
さくら寮生147名 さくらエコホーム39名。

2007年4月1日~17日 さくらプロジェクト代表三輪隆が文化交流と日本文化体験のためにタンヤポーン・スパープポチャナー、デッスリチャイ・エウ、ジャルニー・ソカク(以上寮生)、カンチャナ・セイハーン(さくらプロジェクト・スタッフ)の4名を寮生日本に連れて行く。神奈川、京都、滋賀、岐阜、千葉などを訪問。
2007年4月3日~8日 横浜市の「あーすぷらざ」にて三輪隆写真展「タイ・山地民の生活と文化」が開催される。訪日中の寮生、スタッフ4名も、連日アシスタントとして会場に出向する。
2007年4月 さくらプロジェクト発起人の一人である中村清彌氏、バンコクで逝去。
2007年7月9日 ヌッチャナート・ロンジャイカムの一周忌、交流会館の横にジョイ・メモリアルガーデンをオープンさせる。
2007年8月13日、14日 チェンマイ民族博物館による山岳民族文化のドキュメンタリー撮影にさくらプロジェクトが協力する。ラフ族、アカ族、ヤオ族に伝わる歌垣の実演を収録する。
2007年9月16日 さくら通信第34号発行
2007年10月6日、7日 東京日比谷公園で開催されたグローバルフェスタにさくらプロジェクトも5回目の出展。三輪が今年初参加。
2007年10月13日 東京芝浦工業大学豊洲校舎にてさくらプロジェクト支援者の会合第21回「タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が開かれ、三輪が講演及びさくら寮の活動を報告する。
2007年10月14日~23日 さくら寮の男子寮生6人が学校から選ばれて、タイ国王の生誕80周年を祝う行事の一貫として出家する。
2007年12月8日、9日 さくら寮を含めたチェンラーイ県の生徒寮2つとパヤオ県の生徒寮が合同になっての友好を深めるための3寮スポーツ大会がチャンライ県ウィアンパパオ郡のルンアルン寮で開かれる。
2008年1月8日~2008年1月13日 芝浦工業大学建築工学科畑聡一教授と研究室の学生たちが山岳民族の住居調査をするため、チェンラーイ来訪。三輪が畑教授と学生たちを山岳民族の村々へと案内し、調査が行われる。
2008年3月16日 さくら通信第35号発行


2008年度 タイ歴2551年
リーマンショック 日本事務局畑研から清水研に引継ぎ
2008年度さくらプロジェクト タイ スタッフ
カンポン・チャオワタナーサクン(寮長)
アリサー(ミボ)・ベチュグ(寮母)
カンチャナ・セイハーン(さくら寮食事係)
ニラー・パッソンアナコット(さくらエコホーム寮母)
ペン・ジャチョン(5月より)
タンヤラット・シースワン(6月より)
アユ・セドゥク(さくらエコホーム寮母)11月まで
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
ラッポン・ワタナソンパン(運転手)
三輪隆 (代表・ボランティア)
志賀宏(ボランティア)
さくら寮生121名 さくらエコホーム35名。


2008年4月 さくら寮の卒業生であるタンヤポーン・スパープポチャナー、ラッポン・ワタナソンパンの2名がさくらプロジェクトスタッフに加入。さくらプロジェクトスタッフ、ラオスに研修旅行(ボーテン、ルアンプラバン)
2008年5月 新スタッフとしてさくら寮卒業生のペン・ジャチョンとタンヤラット・シースワンが加入。
2008年6月 2010年度中にひまわり館、すみれ館をサハサートスクサー・スクールに開けわたし、新寄宿舎にすべて寮生を移転する検討を開始。
2008年8月 昭和女子大学松本淳准教授の引率による初等教育科学生のスタディーツアーがさくら寮を訪問。さくら寮の子どもたちと交流をはかる。
2008年9月 豊橋南ライオンズクラブよりミシン、パソコンなどの物品の寄贈を受ける。
2008年9月10日 さくら通信第36号発行(この号以降さくらプロジェクト・タイ事務局の編集・発行となる)
2008年10月4日、5日 日比谷公園で開催されたグローバルフェスタに参加。芝浦工業大学畑研究室の学生も参加。
2009年1月 春日部ロータリークラブ、春日部西ロータリークラブほかの寄付によりさくら寮に地下水を組み上げる簡易給水システムと貯水タンクの寄贈を受ける。1月22日に贈呈式が行われる。
2009年3月 スタッフのアリサー・ベチュグとカンチャナ・セイハーンが退職
2009年3月16日 さくら通信37号発行


2009年度 タイ歴2552年
新女子寮しみず館完成 第6回寮生訪日研修実施
2009年度さくらプロジェクト タイ スタッフ
カンポン・チャオワタナーサクン(寮長)
ペン・ジャチョン(さくら寮寮母)
タンヤラット・シースワン(経理)
タンヤポーン・スパープポチャナー(食事)3月まで
ニラー・パッソンアナコット(さくらエコホーム寮母)7月まで
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
ラッポン・ワタナソンパン(運転手)
サイプレー・セイラオ(寮母)5月より12月まで
ワナサナン・サポン(さくらエコホーム寮母)8月より
シリントラー・パテ(食事)2010年1月より
三輪隆 (代表・ボランティア)
志賀宏(ボランティア)9月まで
山中俊彦(10月より)
さくら寮生 112 名 さくらエコホーム33名。

2009年4月 静岡県の清水中央ロータリークラブ寄贈による「しみず館」完成。
2009年4月22日〜5月8日 第6回さくら寮生訪日研修旅行実施される。メンバーはメー・センヌワン、ナルモン・セドゥク、チンタナー・シースワンの3名。日本事務局事務局長が畑聰一芝浦工大名誉教授より清水郁郎芝浦工大准教授に引き継がれる。
2009年4月26日 第23回「タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が芝浦工業大学豊洲校舎にて開催され、三輪が活動報告および講演。
2009年8月 芝浦工業大学建築工学科清水研究室の学生、タイ・チェンラーイのラフ族の村で集落調査。さくら寮の子供たちと交流を深める。
2009年8月 新スタッフのワナサナン・サポンがさくらエコホームの寮母に就任。
2009年9月1日 さくら通信第38号発行。
2009年9月6日 三輪、さくらプロジェクト現地スタッフのタンヤポーン・スパープポチャナーと結婚。
2009年10月 ボランティア・スタッフの志賀宏が帰国し、山中俊彦が新ボランティアスタッフとして加わる。
2009年10月3日、4日 東京日比谷公園で開催された外務省主催の「グローバルフェスタ」2009」に参加。
2010年2010年3月 JICAボランティアとしてチェンラーイ赴任中の高垣彩子さんが、任務外の自由時間を利用してさくら寮の子どもに日本語指導を開始。

2010年度 タイ歴2553年
新男子寮せいほく館完成 第7回寮生訪日研修実施

2010年度さくらプロジェクト タイ スタッフ
カンポン・チャオワタナーサクン(寮長)9月まで
ペン・ジャチョン(10月より寮長)
タンヤラット・シースワン(経理)
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
ラッポン・ワタナソンパン(運転手)
ワナサナン・サポン(さくらエコホーム寮母)
シリントラー・パテ(食事)
三輪隆 (代表・ボランティア)
山中俊彦(ボランティア)
さくら寮生99名 さくらエコホーム23名

2010年4月10日 さくら通信39号発行
2010年5月 しみず館開寮。すみれ館から女子寮生が転居を完了。
2010年6月12日 東京芝浦工業大学豊洲校舎にて開催された「第24回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」にて講演。
2010年8月 寮内スポーツ大会開催される。
2010年9月 寮長のカンポン・チャオワタナーサクンが国家公務員試験に合格して、10月1日付で文化省に入省。さくらプロジェクトを退職。寮長をペン・ジャチョンが引き継ぐ。
2010年9月10日 さくら通信第40号(創刊40号記念号)発行。
2010年10月 第7回寮生訪日研修が実施される。メンバーはノンヌット・パンブー、モリラット・ジャトー、チャワリット・ジャハケー、パニー・ムポ、ワサナー・ジャチョー、スウィモン・ジットパーヌポンの6名。10月2日、3日に日比谷公園で開催された外務省主催による国際協力活動の祭典「グローバルフェスタ」にも参加。神戸ではさくらプロジェクトの活動報告説明会開催。
2010年11月 新男子寮西北館が完成。11月より男子寮生がひまわり館から転居完了。これによりすみれ館、ひまわり館のふたつの施設がさくらプロジェクトの手を離れる。
2011年1月28日 さくら寮にて設立20周年記念式典および新男子寮「せいほく館」(東京西北ロータリークラブ寄贈)の贈呈式が行われる。


2011年度 タイ歴2554年
設立20周年 第8回寮生、スタッフ訪日研修実施
2011年度さくらプロジェクト タイ スタッフ
ペン・ジャチョン(寮長)
タンヤラット・シースワン
ワナサナン・サポン(さくらエコホーム寮母)
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
シリントラー・パテ(食事)
ラッポン・ワタナソンパン(運転手)
三輪隆 (代表・ボランティア)
山中(ボランティア)
木下奈津季(ボランティア)
さくら寮生86名 さくらエコホーム25名

2011年5月 立命館アジア太平洋大学に在学中の木下奈津季が10ヶ月間の体験ボランティア・スタッフとして来寮。
2011年5月10日 さくら通信第41号(設立20周年記念号)発行
2011年6月18日 東京芝浦工業大学豊洲校舎にて「第25回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」(芝浦工業大学清水研究室主催)開催され、講演。
2011年9月5日 さくら通信第42号発行
2011年9月30日〜10月13日 さくらプロジェクトスタッフのタンヤラット・シースワンと寮生のパジャリー・べセクが日本研修旅行に参加。10月1日、2日に日比谷公園で開催された外務省主催の海外協力の祭典「グローバルフェスタ2011」に参加。
2011年12月9日、10日 さくら寮にてウィンパパオのルンアルン・プロジェクト(中野穂積さん主宰)、パヤオ県のシャンティ財団の子どもたちと友好スポーツ大会開催。 
2011年12月24日 日本事務局長の清水郁郎氏(芝浦工業大学准教授)来寮。
2011年12月27日〜31日 三輪引率により現地スタッフのラオス研修旅行実施(ムアンシンとルアンプラバン)

ムラブリ族の基礎知識

2012/04/09 15:25 ジャンル: Category:山地民族の基礎知識
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 ムラブリ族はモン・クメール語族に属し、タイ北部のナーン県とプレー県の森の中に、わずか250人あまりが生活している。タイ北部では唯一の狩猟採集生活民族である。一般には「ピートンルアン」(黄色い葉の精霊)の呼称で有名である。日本のテレビ番組などでも最近何度か取り上げられたので、ご存知のかたも多いと思う。

 オーストリアの民族学者、フーゴー・アードルフ・ベルナツィークが1940年代に著した「黄色い葉の精霊」(大林太良・訳、平凡社東洋文庫所収)には、ピー・トン・ルアン(邦訳ではタイ語の発音に則してピー・トング・ルアングと綴られている)ことムラブリ族について、次のように記載されている。

「ピー・トング・ルアング族は、中央アジアの広大な山塊に端を発し、メコン河とメナム河の広い谷間にはさまれて南に伸びている山脈の、深い原始林の中に、伝説と謎につつまれて生活している。土地の言葉でピー・トング・ルアングとは、<黄色い葉の精霊>を意味している。というのは、少数の猟師が深い密林の中で見つける、急いで建てられて、すぐに捨てられた風除け以外には、彼らについて何も知らないからである。風除けのしぼんだ葉と、彼らの消えた焚き火が、精霊についてのラオ人の空想力を大いにかき立てた。他の人間との接触をそれほどまでに気づかって避けている人たちとは、いったいどんな種類の生き物なのだろうか。彼らは密林の奥深く生活することができ、いつも休みなく漂白するらしく、その痕跡を今はある場所に、次には別の場所にと残すので、野生の動物のあとを追うより彼らの後を追うほうが難しいのである。ラオ人はそれが一体、人間であるかどうかあやしんでいる」(大林太良訳)

 屋根材に使ったバナナの葉が枯れて黄色く変色する頃には、忽然とどこかへ消え去ってしまうことから、「黄色い葉の精霊」と呼ばれ、その生活ぶりは謎と伝説に包まれていたが、最近になって多くの研究者がその言語や世界観を研究し始めている。

 ムラブリ族は、先祖からの言い伝えにより、農耕を一切行わず、主にヤマイモや果実、山菜、蜂蜜などの採集、そして小魚や小動物の狩猟のみによって生活してきた。バナナの葉で小さな日よけ程度の住居を作り、森から森へと移動を繰り返すのだ。ただし、1999年ごろから、タイ政府などの指導により定住を果たし、「東南アジア最後の裸族」と呼ばれたかつての生活のスタイルは姿を消し始めている。もうほとんどの人が服を着ているし、一部では農耕や畜産を始めた人もいる。

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 もともとタイ北部の先住民的な存在だったムラブリ族だが、ここ数十年の間に森林の伐採や山地民の焼畑農業などによって森の中に食料が少なくなり、多くは自給自足の生活ができなくなり、モン族などに雇われて畑を手伝うようになった。そして最近では観光業者が欧米人などの客を連れてムラブリ族のもとを訪れるようになった。
 ムラブリはとても正直で心やさしく、穏やかな性格の持ち主で、争いごとを好まない。嘘をつかないし、盗みもしない。何かトラブルに見舞われそうになれば、ただ逃げるだけである。特筆すべきは彼らの話す言語の美しさで、まるで歌か小鳥のさえずりのようにやさしい、フラジャイルな響きを持っている。そんな世にも美しい民族が今、歴史から静かに消え去ろうとしている。なんともさびしいことだ。


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パドーン族の基礎知識

2012/04/08 23:44 ジャンル: Category:山地民族の基礎知識
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パドーン族という名は知らなくても、「首長(くびなが)族」という俗称を聞けば、たいていの人が、「ああ、あの首に金や銅、真鍮などでできた螺旋状の首輪をつけた奇妙なあの民族ね」と思い浮かべることができるはずだ。テレビ番組に出演するため、はるばる日本まで連れていかれたパドーン族の人もいる。タイ人からは、カリヤン・コーヤオ(首の長いカレン族)と呼ばれている。 

 パドーン族は、ミャンマーのカヤ州西北部に多くが居住する民族で、カレン語系の言語を話すカヤ族(ミャンマーでは赤いカレン=カレニーと呼ばれる)の一支系といわれている。タイにはメーホンソン県やチェンマイ県などに数ヶ所の観光村がある。
 実は、パドーン族はそれほど昔からタイには住んでいたわけではない。1980年代初頭に、カヤ州から国境を越えてメーホンソン県のピン川のほとりに、観光用として数家族が連れてこられたのが始まりといわれている。その後、やはり国境近くのシャン族の集落、ナイソイ村の近くに新しい集落ができ、約20年間にわたって、メーホンソン観光の目玉商品として多くの外国人観光客を集めてきた。入り口で徴収される入村料の250バーツは、当時ミャンマー政府に対して独立闘争を展開していたカヤ族独立軍の武器調達資金にまわされていたという噂もある。

 首輪をはめる習慣は、ご当地のカヤ州では時代遅れとしてすたれつつあるというが、逆にタイや中国などでは、パドーン族の女性は観光客をひきつけるための客寄せパンダ的な存在として、ますますもてはやされている。そんなわけで、出稼ぎパドーン族が急増しているの
だ。

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 実際、以前はタイではメーホンソンに行かないと見ることができなかったパドーン族だが、1990年代の終わり、突如としてチェンマイ県メーアイ郡タートンの近くにパドーン族の村が出現した。カヤ州から連れてこられたのだ。もちろんパドーン族の人たちはタイ国籍もIDカードももっていないから、観光業者は関係諸機関に、お目こぼし料を払っていたのだろう。ほどなくしてそこが何かの理由で閉鎖されたと思ったら、4年ほど前、今度は同じチェンマイ県でも、かなりチェンラーイ県境よりのヤパ村というアカ族の村の近くに村が出現した。気のせいか、だんだんチェンラーイに近づいてくるなあなどと思っていたら、昨年になってついにチェンラーイ市のすぐ近郊の国道沿いに、「パドーン族の村あります」の看板が・・・・・・。今ではメーサイの国境を越えたタチレクにも、ミャンマーと中国の国境の町、モンラーにも、パドーン族の人たちが観光客を待っている。本人たちの希望でやってきたのならそれはそれでよいのだが、異国の地まで連れられてきて見世物扱いされているとすれば、なんとなく物悲しい気もする。 パドーン族の少女たちは5歳ごろから首輪をつけるようになるといわれるが、すべてのパドーン族の女性が首輪をはめるのではなく、彼らの暦で満月の水曜日に生まれた女だけがつけるように定められているということを聞いたことがある。

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 パドーン族の女性があのような首輪をつける理由には、諸説があって、ひとつには、美的価値観、また富や地位の象徴としての装飾品説。男たちは首輪をつけた女性を結婚相手として高く評価するともいわれる。また、中国の纏足(てんそく)の習慣などと同様、既婚女性の貞操を守るためという説もある。夫以外の男と姦通した女は、首輪をはずされ、一生不安定な首を自分で支えながら暮らさなければならないからだ。トラに首をかまれないようにするためという説もある。少女が初めて輪をつけるときには儀礼を行う。村の呪医師(ベディン・サヤ)が縁起の良い日を慎重に選ぶと、村全体が飾りつけをし、米で作った酒をたくさんふるまうという。

(参考文献:「世界の民族11 東南アジア大陸部」(平凡社)

 


カレン族の基礎知識

2012/04/08 23:16 ジャンル: Category:山地民族の基礎知識
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チェンラーイの街中を流れるメーコック川(メコン川の支流の1つである)を、モーターボートで1時間ほど上流に上っていくと、ルアミット村という大きなカレン族の村に着く。ここはチェンラーイで最も有名な観光地のひとつといっても過言ではないほど、連日多くの欧米人観光客が訪れる。最近では道路も整備されたので、巨大観光バスも乗り入れるようになった。お目当てはゾウ乗りツアーである。村の中に50頭ほどのゾウが飼われ、観光客を乗せて村の中を闊歩したり、他の村までゾウ乗りトレッキングに連れて行ってくれる。

 カレン族は象使いの名手だ。かつては野生のゾウを捕獲、調教し、木材の運搬などに使役していたというが、現在はチェンラーイ近辺にはもう野生のゾウは生息しておらず、スリンなど東北部からゾウを買ってくることもあるという。

 カレン族の未婚女性の衣装は、処女性を象徴する純白の巻頭衣風ワンピースで、文字通り可憐で清楚なイメージで世の男性諸氏には絶大な(?)人気を誇る。結婚すると、赤や青の上着とサロンに分かれたツーピースの衣装に着替える。この儀礼は結婚式の式次第の中にも入っているとか。

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既婚女性


 タイのカレン族は、1925の村に87,793世帯、438,450人が住み、タイの山地民族の中では最大の人口を誇る(人口比はなんとタイの山地民の50%近くを占める)。居住地はタイ北部、中部の15の県に広くまたがっているが、特に人口が集中しているのが、チェンマイ県、メーホンソン県、ターク県の、カンチャナブリ県などのミャンマーとの国境地帯である。メーホンソン県では、カレン族の国会議員も誕生するほどの一大勢力をしめている。

 これまでに紹介してきた5つの民族が、主に中国南部からの移住者なのに対して、カレン族は現在のミャンマー東部が起源と考えられ、タイには18世紀から移住が始まったといわれている。現在もミャンマーにはカヤ州を中心に300万人以上のカレン族が住んでおり、民族の独立をかけて半世紀にわたって、ミャンマー政府と独立闘争を行ってきた歴史がある。
 自称は「パガニョー」で、「人」を意味する。タイ人からは、「カリヤン」「ヤン」などとも呼ばれる。チベット・ビルマ語派のカレン語を日常語としており、カレン語の表記はビルマ文字から借用されたものを使っている。

 カレン族は「スゴー・カレン」「ポー・カレン」という2つの大きな支族に別れ、それぞれ言語、習慣、民族衣装などが異なる。ポー・カレンは山地に住む傾向が強く、今でも伝統的なアニミズム宗教を保持している割合も高い。一方で、近年、キリスト教や仏教に改宗しているカレン族も多い。主な産業は農業で、ローテンションを守った定着型の焼畑農耕のほか、低地に住むカレン族では、水田耕作も行っている。

 ポー・カレン族の民族衣装にほどこされる織りのパターンや刺繍、そしてその上に縫いつけられるアクセサリーの数々は、スゴー・カレンよりもはるかに重厚かつ派手で、腕には数多くの銀や銅、錫、真鍮、アルミなどでできた手製のブレスレットをつける。男性も祭りなのときにはおしゃれに着飾り、顔に派手な化粧をする。
 スゴー・カレンの衣装はそれに比べるとかなりシンプルで、胸や腰、袖や裾の部分に赤い糸を織り込む程度である。織りの技術には定評がある。

 男性の衣装は、スゴー・カレン、ポー・カレンともに赤い糸で織った木綿の布を使った巻頭衣風の上着と黒または紺の筒型ズボン。老人にはターバンを巻く人もいる。男性は、山地民には珍しく、髭を蓄えた人も多い。

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カレン族は象使いの名手


モン族の基礎知識

2012/04/08 22:56 ジャンル: Category:山地民族の基礎知識
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毎年12月から1月頃に行われる、モン族のお正月祭り(ぺエ・チャオ・モン)もまた華やかである。村の広場では、色鮮やかで細かい刺繍やアップリケを施したろうけつ染の襞スカートに、エプロン、その上にさらに荘厳な銀のアクセサリーをちりばめた若い娘たちが、若者たちと「ジュポー」と呼ばれる鞠投げ遊びをする。列をなした男女が向かい合って布製の黒い鞠を投げ合うだけのいたって単純な遊びだが、これはモン族の未婚の若者たちに公認されたお見合いというか、「フィーリングカップル」のようなものでもある。鞠を一度受けそこなうごとに、罰として自分が身に付けているアクセサリーや衣装の一部を一点、相手に渡さなければならない。夜になると男の子たちは、昼間そうして得た戦利品を、その女の子の家に返しに行く。というか、そんな名目のもとに意中の女の子の家に遊びに行くのである。そこで恋が生まれ、カップルが誕生するのである。

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モン族の正月祭り

 かつてモン族には、正月が終わったあと、若者が友人と結託して、意中の娘を拉致してさらっていき、無理やり自分の嫁にしてしまうという、いささか乱暴な結婚の風習(略奪婚)があったが、さすがに最近では少なくなったという。しかし数年前、うちのさくら寮の女子生徒も、学期休み中にこの略奪婚によってさらわれて寮に戻ってこなくなり、退学、退寮を余儀なくされている。今は幸せに暮らしているらしいが。

 モン族のタイでは250の村に19,082世帯、151,080人が居住し(2002年山地民開発支援センター調べ)、チェンラーイ県、チェンマイ県、パヤオ県、メーホンソン県、ターク県、スコータイ県、ペチャブン県など、広い地域にまたがって住んでいる。自称はモン(HMONG)で、「自由」とか「独立自尊」を意味するとか。彼らの民族的性格をよく表わしている民族名である。言語はミャオーヤオ諸語に属し、ちなみにミャンマーやタイの中部に多く住むモン・クメール系の「モン族」とはまったくの別民族である。

 中国の雲南省、貴州省、四川省やベトナム、ラオス北部にも居住し、中国ではミャオ(苗族)、タイではメーオ族とも呼ばれるが、タイやラオスのモン族の人たちはメーオと呼ばれることを好まない。タイへはラオスから19世紀半ばに移住してきたと考えられている。

 タイのモン族は、白モン族(モン・ダオ)、青モン族(モン・ジュア)という2つの支系に別れている。両者のモン語には、言葉は方言程度の違いがあるが、もっとも大きな違いは、そのファッションである。青モン族の女性の襞スカートには、モン族伝統の技術によるろうけつ染が施され、頭は丸く大きな髷を結う。髷を膨らませるために抜け毛や切り毛を集めておいて黒い薄布で包む。白モン族は、ふだんは黒か藍色のズボンをはいているが、新年など冠婚葬祭時は麻の白い襞スカートを着用し、華やかに着飾る。頭には、黒または紺色の長い布をターバンのように巻いたり、正月祭りでは、鶏のとさかのような形の、ビーズをちりばめた帽子をかぶる若い女性も見られる。

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白モン族の少女
 

白モン族も青モン族も、ここ数年の間に、民族衣装の色や素材が多様、かつ派手になりつつあり、これまで藍や紺といった色合いが中心だった生地が蛍光色の黄緑色などにとって代わられつつある。伝統的な藍染めがすたれ、市販の化繊布やビーズなどのアクセサリーが入手しやすくなったのも一因であろうが、私などから見ると、地上に舞い降りた宇宙人みたいで、ちょっとやりすぎじゃないの、と思いたくなるほどのパンク的色彩感覚である。まあ、いつの世も、女の子たちは、少しでも人より目立とうと派手に着飾りたいものであるのだが。


ミエン族(ヤオ族)の基礎知識

2012/04/08 22:52 ジャンル: Category:山地民族の基礎知識
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鶏頭の花を思わせる重厚な赤い襟巻き状の袖がついた上着に、藍染めのターバン、100以上ものパターンがあるといわれる細かい刺繍がちりばめられたモンペ風のズボン。ヤオ族の女性の民族衣装は高度な技術と芸術性兼ね備えている。アメリカあたりでは、このヤオ族のズボンが500ドルを超える価格で取引されている。が、刺繍を完成させるまでに数ヶ月かかる場合もあるというから、この値段は、その気の遠くなるほどの根気と忍耐を要する作業を思えば、けっして高くないものだと思う。さらに結婚式などの儀礼時には、女性達は銀のアクセサリーをこの民族衣装に飾りつけて盛装する。

毎年チェンラーイのメンライ王祭りの会場で開かれる恒例の山地民美人コンテストでは、ヤオ族の女性が優勝することが多いが、これは色白で切れ長の目をもった顔立ちもさることながら、物量作戦によるゴージャスなアクセサリー群も少なからず得点に寄与しているかもしれない。

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「ヤオ」は自称ではなく、漢族やタイ族など他民族による他称である。が、国際的にもこの名があまりにも広く知られていることと、モン族やアカ族の別称とは異なってこの民族の人たちにとっても抵抗感が少ない通称であるということで、さくらプロジェクトではこの呼称を使っている。自称は「ミエン」。「ミエン」とはヤオ語で「人」という意味である。ヤオ族に限らず、多くの民族の自称は「人」を意味するものが多い。ただし、「ミエン」はアクセントをちょっと変えると「精霊」とか「霊魂」「お化け」の意味になってしまうので要注意。

ヤオ族は、タイではチェンマイ県、チェンラーイ県、パヤオ県、ナーン県を中心に、173の村があり、6692世帯、44017人が住んでいる(2002年タイ山地民開発援助センター調べ)。タイ以外では、中国広東省、広西壮自治区、雲南省、湖南省、ベトナム北部に分布する。

もともとは中国南部が民族の起源で、タイにはおよそ100年ほど前、ラオス方面から移動してきた。漢族文化、特に道教の影響を強く受けていて、葬式や結婚式など儀礼の際には、漢字で書かれた文書を使用する。タイのヤオ族にあっても、年長の男性の中には漢字の読み書きができる人が多い。また、かつて中国の皇帝から与えられた耕作狩猟許可証である「評皇券牒」という文書を大切に保管しており、これにはヤオ族の始祖にまつわる神話も書かれているという。
土間式の家に住み、箸を使って食事するのも漢文化の影響である。他の少数民族と比べて商売熱心なのも漢族ゆずりといえるのかどうか、チェンラーイのナイトバザールで露店を出しているのはヤオ族の人たちが多い。

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ヤオ族の結婚式は華やかな花嫁行列で始まる。早朝、新婦は舟形のかぶりものに赤い房をたらした巨大な角隠しをかぶり、ラッパやシンバル、太鼓の楽隊に先導されながら新郎の家までパレードをする。新郎の家に入って先祖を祭った祭壇の前でシャーマンが儀礼をしたあと、夕方からは祭壇を背にして腰掛けた来賓に向かって、新郎と新婦が膝まづいたり立ち上がったりしてお辞儀をする仕草を繰り返す儀礼を、来賓が途切れるまで、えんえんと続ける。来賓が多いとこの儀礼は深夜もしくは明け方にまでおよぶ。

ヤオ族には盤弧神話が残されている。

かつて、中国のある皇帝が犬を飼っていた。他国との戦争が起こったとき、この皇帝は、敵の将軍を倒したものに自分の娘を嫁がせると約束した。見事、敵の将軍を倒したのは皇帝が飼っていた犬だった。犬は約束どおり皇帝の娘を娶り、六男六女をもうけた。これがヤオ族の子孫で、ヤオ族に十二の姓があるのもこのためだという。また、結婚式のとき、花嫁が完全に顔が隠れるほどの巨大な角隠しをかぶるのは、犬のもとに嫁がねばならなくなった皇帝の娘が、羞恥心から顔を隠したのが由来とも言われている


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ヤオ族の嫁入り

ラフ族の基礎知識

2012/04/08 22:15 ジャンル: Category:山地民族の基礎知識
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ラフ・ニ族の少女たち

バイク・トレッキングなどでラフ族の村を探すとき、タイ人に「ラフ族の村はどこですか?」と聞いても、「さてね」と首をひねるばかりであるが、「ムスーの村を探してるんですが」と聞けば、「ああ、それならあっちだよ」と教えてくれる。コン・ムアン(北部の平地タイ族)の人々はラフ族のことを「ムスー」もしくは「ムソー」と呼ぶ。「狩人」の意味だという。しかし、彼らの自称はあくまで「ラフ」である。

 ラフ族はタイ国内ではチェンラーイ県、チェンマイ県、ターク県などを中心に409の村があり、18,361世帯、102,371人が住んでいる。特にチェンマイ県のメーアイ郡、チェンラーイ県のメースアイ郡やメーコック川沿いには多くの集落がある。

 ラフ族の定義をひとことで言えば、ラフを自称し、ラフ語を母語として話す人々である。ラフ語はかつて、アカ族やリス族、ヤオ族などタイ北部に住む多くの山地民の間でリンガ・フランカ(共通語)としても話されていた。発音、文法ともに単純で、習得が容易なことが理由の一つであろう。

 ラフ族はたくさんの支系(サブ・グループ)に別れている。タイではラフ・ナ(黒ラフ、ラフ・ニ(赤ラフ)、ラフ・シ(黄ラフ)、ラフ・シェレなどが、よく知られたサブ・グループである。ラフ・シにはラフ・バッキオ、ラフ・バランの2種類があり、さらに小さなグループとして、ラフ・クーラオ、ラフ・プ、ラフ・ラバー、ラフ・ミチャ、ラフ・ゴ、ラフ・ベア、ラフ・ガイシなど50以上のグループに分類することもできる。サブ・グループごとに文化様式や方言に違いがあり、民族衣装やショルダーバッグのデザインも違う。女性達は「テドゥ」と呼ばれるアップリケつきのサロンを巻いている。

 他の民族ではせいぜい2つか、3つのサブ・グループにしか分岐していないのに、なぜラフ族だけがこれほど多くの支系に別れているのか。これについては、歴史学や民族学上の定説はないのだが、推測するに、ラフ族の人々の気質と行動に関係があるのではないかと思う。

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ラフ・ラバー族の男女

 とにかくこの人たち、ふだんはとても優しくて温和な性格なのだが、一面、頑固で強情なところもある。いったん村の中でなにかのっぴきならぬもめごとが生じ、議論に収拾がつかなくなると、やがて対立する2つの派閥に分裂して、どちらかの派閥は、おまえらと一緒になんか住めないとばかり、ぷいとどこかへ引っ越して行ってしまう。そして新たな集団を作る。それがまたいつか2つに分裂し・・・・・・。まるで日本の派閥政治というか、昔の学生運動のようというか、典型的なセクト主義なのである。長い歴史の過程でそうした抗争と分裂が繰り返され、それぞれが小さなサブ・グループに分かれていった結果が現在のラフ族支系の百花繚乱ではないかと、私は推察している。

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ラフ・二族の正月の踊り
 

プロフィール

三輪隆

Author:三輪隆
1955年岐阜県生まれ。写真家・文筆家。タイ在住26年。さくらプロジェクト代表。

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