さくらプロジェクトのブログ

タイ北部チェンラーイで活動する山地民の子どもたちのための教育支援NGO「さくらプロジェクト」代表の三輪隆が綴るさくら寮での日々

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スタッフ旅行・ムアンシン・ルアンパバーンへ

2012/01/20 01:29 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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 クリスマス1



12月24日には、恒例の寮内クリスマス会が開催され、子どもたちやスタッフ、ゲストのみなさんの出し物で盛り上がった。午前中には、チェンラーイ日本人会のかたがたがさくら寮生でもちつき大会を開いてくださり、寮生たちはおいしいあんころ餅をおなかいっぱいいただいた。ステージでのスタッフかくし芸では、期待にたがわずボランティアのK嬢(21歳)が膝上20センチの真っ赤なスケスケドレスでレディ・ガガの『バッド・ロマンス』を踊り、昨年の夏に結成された日本人オヤジバンドも、さくらホールのステージで吠えまくった。


そのクリスマス会が終わり、子どもたちが村へと帰っていった年末の数日間、リーマンショック以来4年ぶりにスタッフ慰安旅行を敢行した。4年前のスタッフ旅行も行き先は同じラオスだったが、当時のスタッフとは顔ぶれがほぼ一新しているため、私以外のスタッフはみなラオス初体験である、なかにはこれが人生初の外国旅行というスタッフもいる。ちなみに参加7名のうち、5名が女
性である。 

 私の旅のスタイルはこの年齢になってもいまだ風の向くまま気の向くままのバックパッカー方式で、今回の旅行もまったく同様、車の手配も宿の予約もなにもしていない。とりあえず北部ラオスの小さな町、ムアンシンと定番のルアンプラバンへ行くということ以外は何も具体的な計画がなく、その巡行ルートさえも決めていなかった。一人旅ならまだしも、総勢7名ものおのぼりさんを引き連れてそんなことで大丈夫なのかとスタッフから不安や疑問の声のひとつも出そうなものだが、不満をもらす者は誰一人いない。そもそもまったくラオスの文化も地理も歴史も予備知識がなく、また調べるつもりもさらさらないような不勉強な連中(そもそも地図が読めない)であるから、どこを引き回されようと文句の言いようもなく、一切の段取りを私に依存しきっているのだ。日本人なら自分がこれから旅する場所についてガイドブックでも仕入れて、多少の知識や薀蓄ぐらい仕入れていくものであろうが、タイでは完全お任せ団体見物ツアーがほとんどで、自分で旅をプランニングするという発想がないのだろう。まあ、予算をけちって安ホテルに泊まらせてもクレームが出ないのは実にありがたいことだが。

さて第一日目は、チェンコンからボートでメコン川を渡ってラオスのフエサイに渡り、そこでワゴン車をチャーターして、ルアンナムター経由でムアンシンに行くことになった。ムアンシンはアカ族、モン族など山地民の村も多く、ちょうどモン族の正月祭りたけなわの時期でもある。今から15年ほど前、私は初めてこの地を訪れた帰り、やむにやまれぬ事情によりシェンコックから3日間メコン川沿いの岩場を歩いてチェンセンまでたどり着き、帰ってきたらマラリアにかかって瀕死の重態に陥ったという因縁の土地でもある。
ルアンナムターで昼食。15年前に来たときにバス停の近くで見つけた中華料理屋を探し出す。古びた建物で、老夫婦が営む簡易旅社を兼ねた小さな食堂である。

クリスマス2 クリスマス3


クリスマス4


いきなりここでスタッフたちが不満な表情を露わにした。言葉には出さぬが、「旅の初日からこんな小汚い食堂で私たちにご飯を食べさせるわけ?」と目が訴えている。テーブルには埃がたまり、お茶を出すオヤジの手はなぜか小刻みに震えている。しかし、出てきた料理を恐る恐る食べ始めてから、彼女たちの表情が一変した。予想外においしかったのである。四川料理、あなどるなかれ。料理屋は外見で判断してはいけない。以来スタッフたちは旅の先々で中華料理を食べたいとせがむようになった。

さて、ひさしぶりに訪れた我が青春のムアンシンである。一時期、欧米のバックパッカーのたまり場になって、たいそう賑わっているという噂は聞いていたが、来てみれば予想外にさびれていて、街にも活気が感じられない。昔のようにアカ族の若い人たちが民族衣装で着飾って市場に降りてくるということもなくなっていた。貧乏旅行者のたまり場だったタイルー・ゲストハウスはまだ昔のままだったが、外人さんとのコミュニケーションのすべてをジェスチャーで行なっていた愛想のいいオヤジさんはすでに天に召されたのか姿が見えず、一階のレストランの料理はひどくまずくなっていた。

昔流行っていたサウナもほとんどが潰れていたが、町外れの田んぼの中に一軒だけ細々と営業しているところがあった。ぼろい木造の高床式の一軒家で、ラオス人のオヤジが、床下に潜り込んで咳き込みながら薪をくべているその上の2疊ほどの小さな部屋がサウナであった。

ほかのスタッフたちは、「きゃっ、サウナって裸になんなきゃいけないんでしょ」と尻込みしたが、さすがは好奇心旺盛なボランティアのK嬢、「私いきます」と同行した。照明も裸電球ひとつの薄暗いベランダにある着替え場で、K嬢は着ているものを全部脱いだと思うと「お先に入りまーす」とサウナ室に突入していった。と、中には中国人の若い兄ちゃんが先客として入っていて、じっとりと汗を流していたのだった。私たちは昼間の下見でそこが日本でいえば個室サウナのようなものだと思い込んでいたのだが、狭くてもそれは共同サウナだったのだ。ただしK嫦が全部脱いですっぽんぽんになっていたというのは私の思い込みで、用意周到にも水着を着用していたのだが。


laos1.jpg


ルアンプラバンからの帰りはスピードボートでメコン川下りである。ルアンプラバンからフエサイまでは約7時間。乾期の一番肌寒い時期なので、超スピードで水しぶきを上げて爆走するボートの上はかなり冷える。女性たちもほぼ1時間ごとに尿意を催し、船頭に頼んで何度も砂浜にボートを停留させてトイレ休憩をした。トイレといっても隠れるところは岸辺の砂浜の上方にある林の茂みの中しかない。が、このあたりの砂浜は急斜面で、細かい砂がボロボロと崩れ落ちて足をすくわれ、登れど登れど上までたどりつかない。下半身肥満気味のスタッフたちが、すべったり転んだりしながら、砂浜の斜面を駆け上がり、最後は力尽きて砂浜の窪みですませたりする姿に、まるでウミガメの産卵を連想してしまった私は不謹慎だろうか。

laos2.jpg


写真1:クリスマス会もちつき大会
写真2:クリスマス会 子どもたちの演技
写真3:クリスマス会 K嬢(右)の怪しい踊り
写真4:M大学日本語学科の学生さんも飛び入りでコスプレ・ショー
写真5:サウナでご満悦のK嬢。
写真6:砂浜を駆け上がる人たち
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プロフィール

三輪隆

Author:三輪隆
1955年岐阜県生まれ。写真家・文筆家。タイ在住26年。さくらプロジェクト代表。

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