さくらプロジェクトのブログ

タイ北部チェンラーイで活動する山地民の子どもたちのための教育支援NGO「さくらプロジェクト」代表の三輪隆が綴るさくら寮での日々

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空白の5日間

2011/06/10 00:54 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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新学期早々、新入寮生のPにはすっかり振りまわされてしまった。

Pはアカ族の16歳の少女で今年から市内の専門学校の1年生である。入寮試験の成績もよく、面接での受け答えもしっかりしていて、いかにも聡明そうな生徒だった。

だが、応募時の入寮案内や入寮時のオリエンテーリングでさくら寮が携帯電話の持ち込みや使用を禁止していることを了解していたはずなのに、入寮早々、携帯電話をいきなり寮内に持ち込んで使っていたことでさっそく寮母に目をつけられた。

入寮してまだ数日後のこと、彼女が進学予定の職業専門学校の授業開始までにはまだ数日間あるというので、Pはちょっと家に帰ってきますとスタッフに一時帰宅届けを出して寮を出た。木曜日のことである。そしてそのまま6日間行方不明になってしまったのである。

ことが発覚したのは、帰っているはずの実家の父親から、娘に取り次いでくれと電話がかかってきたためだ。父親によれば家には帰ってきていないという。それは大変だということになり、Pが家にいたとき使っていたという携帯電話の番号を父親から聞き出して電話を入れて見た。

電話に出たのはP本人だった。いきなりさくらのスタッフから電話が入ってちょっと驚いたようだが、落ち着いた声で「今、風邪をひいてメースアイ病院に入院しているんです」と言う。メースアイ病院はさくら寮から約50キロ離れた公立病院で、彼女の村へ帰る途中に位置しており、近隣の山地民の人たちもよく利用している。

「さっき、お父さんから電話があったんだよ。親御さんは君が病気で入院していることを知らないのか」

「いえ。家は山中にあるので携帯の電波がつながりにくいんです。それに心配かけるといけないから…」

だけど16歳の少女が親にも連絡もせず自分の判断で入院なんて、なんか不自然だ。風邪ぐらいの症状なら、まずは村の実家に帰ってパラセタモールでも飲んで安心できる親の元で休養するというのがたいていのさくら寮生が選択するだろう行動パターンだ。だが、Pは自分が寝ている病室番号とベッドの番号まで告げてきたので、さくらのスタッフは「心配だからメースアイ病院に出向いて見てきましょうか」と提案した。私は直感的にPが嘘をついていると見抜き、スタッフに「無駄足になる可能性大だから、まずはメースアイ病院に直接問い合わせてみたら」とアドバイスした。案の定、病院のスタッフからはそんな名前の少女は入院していないという答えが返ってきた。

再び彼女に電話して、「本当に病院にいるのか。病院で調べてもらったらここ3日間に君の名前での入院履歴は見当たらないと言われたぜ」と追及すると、Pはしばらく沈黙を保ったあと「すみません。本当は今、バンコクにいるんです、いろいろ事情があって。詳しいことは帰ってから話します」

と答えた。

「とにかくすぐに帰ってきなさい。スタッフも君のお父さんお母さんも心配してるんだからね。それにもう明後日から授業だろ」

「わかりました。明日の朝、チェンラーイ行きのバスに乗りますから」

そう言って彼女は電話を切ったが、それ以後しばらく、こちらから彼女の携帯にはつながらなくなってしまった。親のほうにも連絡はないという。本当に彼女はバンコクにいるのか。誰とどこで過ごしているのか。
翌日の午後、電話がつながった。

「今、まだバスの中にいます。実は今朝、モチットに着いたのが遅くて、バンコクからチェンラーイ行きのバスがなくなってしまったので、チェンマイ行きのバスに乗りました。で、明日、チェンマイからバスに乗ってチェンラーイに帰ることにしました」

「おいおい、何考えてんだ。だったらわざわざチェンマイに行かなくったって、夕方の夜行便でチェンラーイに帰ってくるっていう手があるだろう」

やれやれである。結局その日はチェンマイの知り合いの家に泊まるという電話が入ったまま、再び連絡は途切れた。ときどきつながっては途切れる携帯電話での短いやりとりだけが頼りの追跡劇。だんだん、サスペンスドラマを見ているような気になってきた。

5日目の昼ごろ、Pはようやく寮に戻ってきた。寮母とともにさっそく調書作成開始である。

Pの口からよどみなく出てくる5日間の行動の軌跡はなかなか衝撃的で興味深いものだった。そこで出てきた固有名詞は伏せるが、すべて実在するものである。

「新学期が始まる前、S財団(山地民の人は誰でも知っている著名な支援財団である)のスタッフというMさんから電話がかかってきて、バンコクで奨学生の集まりがあってそこに招待するからきなさいといわれていたんです。それで私はそれに参加することにして、寮を出た木曜日、まずバスでメースアイに行って、そこからソンティオに乗り換えて村の実家に立ち寄って―家には誰にもいなかったんです―預金通帳をもってワウィのS銀行に預けていた奨学金を引き出して、夕方、チェンラーイに戻ってきました。でもチェンラーイに着いたのが遅くてバンコク行きのバスがもう終わってしまっていたので、その日はチェンラーイの友人の家に一泊して、翌日の夕方、夜行バスでバンコクに向かいました。利用したバス会社ですか、ナムカムツアーです。

翌朝、バンコクイのモチットバスターミナルに着いたのですが、待ち合わせしていたS財団のMさんは現れず、電話をかけても「代理の者が迎えに行くので待っていてくれ」と言われたきり、その電話もつながらなくなってしまいました。午後3時ぐらいまで待っていても誰も迎えに来てくれず途方に暮れていたら、30代ぐらいのお姉さんが私に声をかけてきて、「もし今晩泊まるところがないようだったら、私のところへ泊まっていきなさい」といって、私をタクシーに乗せて彼女のアパートまで連れて行ってくれました。そこに二日間泊めてもらい、月曜の朝、モチットのバス停までバイクで送ってもらってチェンマイ行きのバスに乗ったのです。その女の人の電話番号ですか? 知りません。一人暮らしで、昼間はお仕事をしている様子でした。その間、私はアパートで留守番をしていたんです。その人のことは職業も、名前も、住所も何も知りません。S財団の人とも無関係です」

ありえねー。

「普通、二日間もお世話になったら、別れ際に名前と電話番号ぐらい聞くだろ。で、チェンマイではどこに泊まったの」

「もうチェンラーイ行きのバスもなかったし、知り合いもいないので、アーケード・バスステーションの待合室で一夜を過ごしました。で、朝いちばんのバスでチェンラーイ行きの切符を買って帰ってきたんです」

  そういう彼女が差し出した唯一の物的証拠は、チェンマイからチェンラーイまでのグリーンバスの片道切符の半券であった。木曜日の夕方に泊めてもらったというチェンラーイの友人の証言と、彼女が火曜日の朝にチェンマイからチェンラーイ行きのバスに乗ったらしいということだけが信憑性ある状況だった。それ以外の金曜日夕方から火曜日の朝までの空白の5日間、彼女はいったい、どこで何をしていたのか。Pの説明はおそらくすべて作り話であろう。自分の数少ない体験から得たあらゆるディティールをつなぎ合わせて編集したフィクションに違いない。が、なんのために?

 真相はチェンマイの男友達のアパートにでも遊びに行っていたのだろうか。それならそれで素直にそう告白してくれたほうがこちらにとっては精神衛生上よい。実在するS財団を名乗る者からの誘いの電話とか、バンコクで知らないお姉さんに連れられていって二晩を明かすなんてストーリーのほうがよっぽど大ごとに発展しかねない。Pの話には具体的なディティールがちりばめられていてそれなりのリアリティーがあるが、全体としてはやはり破たんしていた。小さな嘘が新たな嘘を紡ぎだし、その嘘を塗り固めるために新たな嘘を思いつく。それが際限なく雪だるま式に荒唐無稽なストーリーに膨張していく。

私は以前読んだ作家・吉岡忍さんの『日本人ごっこ』というルポルタージュ作品を思い出した。貧しい家庭で育った北部出身のある少女がバンコクに出てきて「自分は日本大使館員の娘だ」とふれまわり、それを信じた周囲の大人たちを振り回すという、ある種の虚言癖をもった少女の人生を追った実話である。

その後、Pは自主退寮してしまったが、この先どんな人生が待っているのか、ちょっと気がかりだ。

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写真1:さくらエコホームの子どもたち
写真2、3:さくら寮での新入生歓迎会より。奇抜なメイクをさせられる。
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プロフィール

三輪隆

Author:三輪隆
1955年岐阜県生まれ。写真家・文筆家。タイ在住26年。さくらプロジェクト代表。

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