さくらプロジェクトのブログ

タイ北部チェンラーイで活動する山地民の子どもたちのための教育支援NGO「さくらプロジェクト」代表の三輪隆が綴るさくら寮での日々

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20周年記念イベント

2011/02/10 00:37 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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新寄宿舎開館セレモニーの様子


1月28日、チェンラーイのさくら寮にてさくらプロジェクト20周年記念のイベントが開催された。新しく完成した新男子寮「せいほく館」の竣工式典も兼ねており、日本からは新寄宿舎の建設費を提供してくださった東京西北ロータリークラブのメンバー12名をはじめ子どもたちの里親、支援者など総勢50名の日本人が訪タイして式典に参加してくださった。タイ国内からはチェンラーイ県副知事、 在チェンマイ日本国総領事館の佐藤領事にもご出席いただき、ご祝辞をいただいた。またチェンラーイ社会開発人間保護省のお役人、各NGO、地域住民の代表者、子どもたちの通う学校の関係者の来賓、それにさくら寮卒業生、OBも多数駆けつけてくれ、なかなかの盛況のうちに終わった。


こうした記念イベントを開催するのはさくらプロジェクト20年の歴史の中では初めてのことである。10周年を迎える頃はあわただしく、なんとなく機を逸してしまい、15周年が過ぎる頃は さくら寮の大黒柱だったジョイさんの闘病やスタッフ不足など諸事情が重なってそんなことを考える余裕さえなかった。そもそも私自身はこの手のセレモニーを執り行うのも、また参加するのも苦手だ。形式的で堅苦しいことが嫌いなのである。一年じゅうTシャツと短パンでギターでもつま弾いているのが至福だと思う人間である。できるかぎり肩肘張ったことは避けてとおりたい。

 しかし、この先、さくらプロジェクトに30周年を迎える日はくるのだろうか、そもそもそれまで私自身は生きているのだろうかと考えると、20周年のこの節目をやり過ごしたら、もう永遠に○○周年イベントなんてことをやることはないだろうという予感を抱いた私は、なりゆき婚で長年挙げそびれていた古女房との結婚式を挙げるような気持ちで、重い腰をあげ、えいと気合を入れてこのイベントを企画したのだった。

 予算も限られているので、式典準備はすべて手作りで行った。お客さまにふるまう料理はもちろんのこと、20周年記念会報(タイ語版)の編集や印刷、記念品の選定や包装、プログラムの作成、招待状の作成、会場の設営から装飾、垂れ幕のレタリング、パネル展示、庭の整備、司会進行、PAにいたるまですべてさくらのスタッフと寮生、卒業生の協力によって行った。あまり見栄えがよくない出来のものもあったが、外部のイベント屋に依頼すればすむことも自力ですべてをこなしたことは、スタッフや寮生には大きな自信と経験になったのではないだろうか。

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新寄宿舎の開館式典会場


 思いおこせば1991年の3月の暑期まっさかりの時期に、熱中症で倒れそうになりながら、手作業での最初の木造のさくら寮寄宿舎建設が始まってから20年。あっという間だった。

 確かこのコラムの最初の回にも書いたと思うが、さくらプロジェクトを始めたのはちょっとした偶然の出会いときっかけが重なってのことだった。最初は2、3年お手伝いしたらあとは現地に人にまかせて、ふたたび放浪の旅にでも出る計画であった。しかし、次から次と待ち受ける艱難辛苦のトラブルと格闘しているうちに、簡単に現地の人にまかせてトンズラできる状況ではなくなってしまった。途中からはなんだか変な意地もでてきて、さらにその後は責任とか義理とか人情とかいろいろなしがらみがくっついてきた。で、気がついてみたら「タイで骨を埋められるんですか」と聞かれるまでどっぷりとこの地にはまりこむことになった。

 ここまでやってこられたのは、日本の支援者のかたがたの経済的なバックアップ、歴代のスタッフ、ボランティアのみなさんの努力の結果であることはもちろんだが、最初にプロジェクトをたちあげた土地がこのナムラット村だったということも、大きな要因だったと思う。

 ナムラット村は、山岳民族の子どもたちを受け入れる私立の学校としてはタイ北部でも最大規模のサハサートスクサー・スクール(現在の生徒児童数は2000人を超える)を擁し、この学校を中心に日本、韓国、台湾、オランダ、シンガポールなどのNGOが運営する大小20以上の寄宿舎がひしめく、いわば「NGO銀座」である。まさにかつてサハサートスクサー・スクールの英語名だった「United Village」であり、ある意味特殊な環境の村なのである。50年以上前から、遠く離れた村からやてきた山岳民族の子どもたちが寄宿舎生活をして、村の一員としてなじんでいた。住民の約半分もカレン族など少数民族の人たちで、仏教を信仰する平地タイ族の住民の方々もこうした異文化の存在を受容する寛容さを身につけているのである。子どもたちが多少騒いでも目をつぶってくれるし、クリスマス会や運動会などのイベントで大音響を鳴らしても大目に見てくれる。 このことが地域の活性化にも役立っており、共存共栄というわけでもあるが、仮にさくら寮を建てたのがナムラット村でなく、コンムアン(平地タイ族)100%の村の中だったりしたら、少なくとも私はここまで続けることはできなかったと思う。

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写真展示場での寮生たち


 今回の式典開催で一番うれしかったのは、多数のさくら寮OBが駆けつけてくれたことである。さくら寮の歴代入寮者数はこれまでに439名。卒業生は中途退寮を含め約340名。難関の試験を突破して国家公務員になった3名を含め、学校の教員、日系企業に勤める者、村の役員をやっている者などいわゆる出世組も多数輩出している。

 出席者の中には一人でぽんと5000バーツもの寄付金をおいて帰ったOBもいた。いや、出世していようといまいと、寄付金も手土産もなかろうとも、とにかくさくら寮を忘れずにいてくれて、平日の開催であったにもかかわらず仕事を休んでバンコクやチェンマイから駆けつけ、顔を出してくれただけでも私としてはうれしかった。

式典が終わって、夕食後のさくら寮生との交流会では、OBたちが次々と自発的にステージに上がって、さくら寮での思い出やさくらプロジェクトに対する思いを語ってくれた。これまでの苦労が報われ、ボランティア冥利に尽きるひとときであった。やっぱ少し疲れたけどね。

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壇上に上がって記念写真を撮るさくらOBたち。


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プロフィール

三輪隆

Author:三輪隆
1955年岐阜県生まれ。写真家・文筆家。タイ在住26年。さくらプロジェクト代表。

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