さくらプロジェクトのブログ

タイ北部チェンラーイで活動する山地民の子どもたちのための教育支援NGO「さくらプロジェクト」代表の三輪隆が綴るさくら寮での日々

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翻訳ソフトは文豪か

2010/12/23 00:28 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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12月はとにかくやたら忙しかった。

この時期はウィンパパオの暁寮との親善スポーツ大会、父の日のイベント、それに寮内クリスマス大会など毎週末にイベントが目白押しなのに加え、寮生たちが自分のそれぞれの里親宛てにいっせいに手紙やクリスマスカードを書く時期なので、100通を超える手紙を日本語に訳して発送する作業をこなさなければならない。

 さくらプロジェクトにはタイ語の読み書きができる翻訳ボランティアのかたがたが日本やバンコクに8名ほどいらっしゃって、メールのやり取りなどによって子どもたちの手紙の翻訳をお手伝いいただいているのだが、今年はなぜか引き受けてくださるかたが少なく、苦労した。師走はどなたも忙しいというのもあるのだが、もしかしたら翻訳ボランティアのかたも長年寮生たちの手紙を翻訳してきて、そのワンパターンな内容にややうんざりしはじめているのかもしれないとも思った。ボランティアの人だって無償の仕事とはいえ、訳しながら手紙の内容にときめきや感動や新しい発見をしたいのだ。

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今年のクリスマス会のステージより。

 原因はひとえに寮生たちの作文能力と創造力の貧困にある。

以前にも書いたが、タイの学校の国語の授業方針のせいなのか、はたまた本人の努力が足りないのか、子どもたちには紋切り型の文章は書けても、自分の感想や意見を盛り込んだ自由奔放な作文をする能力が培われていないように見える。学校でも手紙の書き方は教えているとみえて、季節、気候の挨拶や相手の健康への気遣いに始まり、最後は相手の幸運と健康、仕事の活躍と繁栄を願うという定型句はちゃんと書けているのだが、問題はその間に挿入すべき本文である。これがまったくなっていない。あんこの入っていない饅頭、具のないサンドイッチのような状態なのだ。

寮生たちの手紙の内容はどれもが10月の学期休みに村に帰って両親の畑仕事の手伝いをしてきたという話だけである。もうちょっとなんというか、目先を変えて書けないものか。ちょっと気になる異性のことでも、家族や友人に関する悩みでもいい。日々の生活のなかで起こった小さな事件や、揺れ動く自分の心の内面をさりげなく綴ってみるとかさあ。

タイの価値観では、そういう私事を目上の人に対して率直に吐露するのは失礼でもあると教育されているのだろうか。判で押したようにあたりさわりのないきれいごとしか書けないのである。これじゃあ、毎年同じ内容の手紙を読まされる里親のほうだってうんざりしてくる。

と、まあ、愚痴ばかりこぼしていてもしょうがない。とにかく目の前にある手紙の山の翻訳をこなしていかねば、こちらとて安心して年が越せないのである。

そんなとき、10月に日本への研修旅行から帰ってきたばかりのモリラット・ジャトーが「私、隆兄さんの負担にならないように、日本語で手紙を書いてきました。訳する必要はありません。そのまま送ってください」とパソコンでプリントアウトされた手紙を手に嬉々としてやってきた。漢字も使ってある。日本へ行ったからといってまだ彼女に漢字まじりの手紙を書くほどの能力はないはずだ。どうやらインターネットの無料翻訳ソフトを使ったようだ。

一読して私はその珍文に噴き出してしまった。内容は以下のとおりである。宛てたのは日本でお世話になった里親の容子さんというかたである。

私の車にヨーコ市フーミン。

こんにちは、私の市フーミン。罰金かは私の罰金。喜んで私の手紙を探してください。カン市ミン今タイの非常に寒いと日本のことを私は好きです。この時点で、初めて日本への旅。カムは、経験を見つけるのに良い思い出です。日本では今日はない夢を持っていなかった。日本ではそれがすべてのケアは非常によかった、特に兄弟が待って、良い習慣を愛して非常に良い時間をすれば良いのです。ポンは、すべてで厳格な規律、非常に日本の印象的です。利他的な彼らはパーティーに苦難を作成せずに生計を立てていた。ほとんどのタイ人は日本人は日本の町に行きたいです。とても奇妙驚くべき新は、常に非常に暖かい歓迎、天気は寒いですが、しかし、暖かい心に感動され、多く存在するため。私は私のようなタイの人々は、日本が実際に考えたことがない思い出を作成する機会があることを信じることができない。完全に問題はないがそして今日、私は、ほとんど私自身が行うことが幸せにお会いする機会があった。私はまた、私は彼らが本当に感謝して与えているすべてをありがとうございました。

すぐに戻ってからタイに住んでいる。私は日本の生活の中で最初に行くことについて多くの質問を参照してくださいに返されます。それから、彼らは別の場に行くことに興奮して高校の学生のためのマリアムさんの本の最後の学期に私を開始した。日本ではパイフー市は、常にログインそれと医療を考えるように頼まれませんでした。一緒に活動を行う瞬間をいただき、ありがとうございます。非常に楽しさと幸せを感謝しています。
はラットから織り込まれています。


フーミンとは、カンとは、ポンとは(笑)。一見、誤訳だらけの意味不明の文章だが、外国語と格闘されたことのあるかたはその経験から半分ぐらいの内容が想像できると思う。タイ語から日本語への翻訳ソフトを使ったのか、一度英語に翻訳したのを再度日本語に翻訳したのかは定かではないが、「私は罰金」という訳文によって、一度英語を経由しているらしいことが推測できる。英語で「元気」を意味する「fine」という単語には「罰金」という意味もあるからだ。  タイ語、英語に関わらず、翻訳ソフトの迷訳ぶりにはときどきはっとさせられる。そして爆笑させられる。人間の頭脳では思いもつかないような斬新な名文、珍文を紡ぎだしてくれるからだ。天然ボケの大作家である。

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クリスマス会の出し物。スタッフはヘビメタ・バンドに挑戦(?)


 おそらく人間の脳内の言語野には、たえずファジーに自己修復を繰り返しながらバランスを保とうとする本能というかホメオスタシスのようなものが備わっているのだろう。あえて支離滅裂なことを書こうとしても、どこかわざとらしい不自然なものになってしまう。論理的なまっとうさを保とうとする知能の回路が働いてしまうのだ。音痴でない人が音痴の人を真似てわざと音程をはずして歌を歌っても、本物の音痴のかたの繰り出すメロディの滑稽さには遠く及ばないのと同じである。普通の人が気のふれた人を演じるのもけっこう演技力を必要とする。

 さくら寮ではときどき「宇宙人同士が出会って会話をしたらどうなるか」というテーマでワークショップをする。いろんな星からやってきて一同に会した宇宙人たちに扮し、それぞれが星の代表としてその星の言語を使って宇宙平和について意見を述べ、激論をかわす宇宙円卓会議というような設定である。しかし、子どもたちは結局どんなにでたらめな異星語を操ろうとしても、その発音や語彙の傾向は自分の母言語に引き寄せられてしまう。

作為的に自分の論理や生理に反したランダムネスを作りあげるという作業に人間は適していないのかもしれない。

できの悪い愚直な翻訳ソフトはその点、そのあたりのまっとうさをやすやすと超越して、はからずも意外性に満ちたシュールリアリズム風の文学作品を作ってくれる。コンピューターはもしかしたら新たなる現代文学の傑作の誕生を可能にさせるかもしれない。

 里親のかたがたにもこういう奇妙奇天烈な訳文を送りつければ、凡庸な内容の手紙を読まされるよりも、かえってパズルでも楽しむ感覚で読んでいただけるかもしれない。

 来年はひとつ、子どもたちの手紙は翻訳ソフトに全部翻訳させて送ってみようか、なんて。

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今年のクリスマス会のステージより。
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プロフィール

三輪隆

Author:三輪隆
1955年岐阜県生まれ。写真家・文筆家。タイ在住26年。さくらプロジェクト代表。

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