さくらプロジェクトのブログ

タイ北部チェンラーイで活動する山地民の子どもたちのための教育支援NGO「さくらプロジェクト」代表の三輪隆が綴るさくら寮での日々

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子どもたちからの手紙

2010/05/28 23:58 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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いつも子どもたちのことをけなしてばかりの私だが、たまには感心させられることもある。先日、子どもたちが里親にあてて手紙を書いた。その中にもちょっとウルッときたり、考えさせられる手紙が何通かあったので、紹介したい。


   viloo.jpg
寮生が「母の日」に書いたイラスト



 まずは中学2年のヤオ族の女子の手紙だ。

「日本のお母さんへ。お母さん、こんにちは。日本の気候はいかがですか。タイは、涼しい季節に入ろうとしています。
  私は10月のお休みは帰省して家族と2週間過ごしました。今回の帰省中にはいろいろなことがありました。今日はそのときのことをお母さんにお話ししたいと思います。

帰省中は、母の手伝いをしました。父は私たちに送金するために外国に出稼ぎに出たので、家には母しかいません。
 今回の帰省では葬式にも参列しました。それは、私の兄の葬式でした。兄は、兄を捨て新しい恋人のもとへ去ってしまった恋人に落胆し、悩んだ末、川に身を投げて自殺してしまいました。去って行った恋人のお姉さんが、「あなたの恋人(私の兄)は貧しいのに、妹はなぜがそんな貧しい男と結婚したいのか」となじったことにもがっかりしたようです。兄を捨てた恋人の新しい相手は銀行員で兄よりも裕福なので、自分たちが貧乏なことを棚に上げて兄のことを見下したのだそうです。私の母は、兄を捨てた恋人のせいで何ということになってしまったのかと嘆きました。誰もがこんな葬式を挙げたくありませんでした。葬式は3、4日続き、私も夜も寝ず、ずっとご飯を炊いたり、料理を作ったり、水を汲んだり、まきを準備したりして手伝いました。 お母さん、こんな私の話を最後まで聞いてくださり、どうもありがとうございました。

 最後になりましたが、お母さんのご幸せとご健康をお祈りしています。愛をこめて。お母さんの里子より」

2010shugo.jpg 
17年間住んだスミレ館に最後のお別れ

 次は中学3年のアカ族の女子の手紙。
 
 こんにちわ。お母様お元気ですか。私はとても元気です。日本の天気はいかがですか。タイでは、乾期に入りました。

9月11日に、父が交通事故に遭い、約1ヶ月入院しました。 私は期末試験が間近だったので、 学校を休みことができず、月曜日から金曜日までは学校が終わってから、夜に父のいる病院に行きました。そして土曜日と日曜日は病院にいました。休んでいる時間はありませんでした。

 父が事故にあったのは私のせいでもあります。父は私の遠足の参加費用を学校に支払うため、私のところに持ってくる途中で事故にあったのです。私のために父が事故に遭ってしまったことが、私はとても残念でした。

 家族は今、みなとても困っています。父は右脚の骨を複雑骨折していて、手術をしなければならず、これから数年は仕事ができないかもしれないからです。母の仕事を手伝う人は誰もいません。兄は父の介護をしなければならないし、私は勉強しにいかなければなりません。病院で父は、起き上がったり座ったりすることさえできませんでした。病院で過ごしていて、父は処方された薬にかぶれて炎症を起こし、かゆみと発疹ができてしまいました。 

父が交通事故にあったことで、私は遠足には行かない決心をしました。こういう状況で、遠足に行くことはそれほど重要ではないと感じたからです。

 10月1日に父は退院しました。

 その日は試験が始まる日でしたが、私はまったく勉強をすることができず、教科書を本を読む時間もありませんでした。試験が終わったあと、家に戻り、両親の家の手伝いを毎日しました。父の入院費は1万9千バーツ(約5万4千円)でしたが、まだ払うことができていません。

 今年はトウモロコシの価格が上がらず、よい値段で売れません。今、私の家では稲刈りの仕事が残っています。米の収穫が終われば、兄は町に出て働く準備をします。

今、父は義理の兄の家にいます。私の実家は山奥にあり、道が悪く、ここにいると不便なので、義理の兄家に寄宿しているのです。義理の兄の家は便利なところにあり、病院にも行きやすいからです。

 このところ父は、脚が治りはじめてきました。杖なしで歩くことができるようになりました、が、まだ脚が痛いので、今までどおりには歩けません。普通に歩けるようになるまでは、これから何年もかかるだろうとのことです。

 私の家はとても困難に陥っています。オートバイもありません。 オートバイは故障だらけで、今、修理工場に預けてあって、修理代が3千バーツもかかってしまうのです。父と母にはまったく貯金がないので、修理代を近所にいる友達に借りなければなりません。弟と妹が家に戻っているので、迎えに行くために親戚の人にバイクを借りに行かなければなりませんでした。

今、私の家にはまったくお金がありません。母は、子どもたち3人のために街に降りて、お金を稼ぐために仕事をしなければならない、と言っています。兄と母は仕事をしていますが。残りの2人は学校に通っています。

 来年、妹が卒業します。母は、どうしたら学校に行かせるお金が工面できるかわからないと言いました。父が働けないからです。私は家にいても日雇いの仕事をしていないのでお金がありません。私の家には換金作物を植えられるような土地もありません。

今は人生で一番困難な時期だと思います。父がこんな状態で、私は家で一人、毎日泣いています。

私は一度学校を辞める決心しました。が、父はだれかにお金を借りて学費を作るから、学校をやめる必要はない。中学校3年の卒業まであと何ヶ月もないんだからと言ってくれました。それで私は学校に戻り、勉強を続けて卒業をする決心をしたのです。

 進学する望みがなくても、私は努力して勉強を続けようと思っています。今は後期の授業が始まっています。私はできるかぎり一生懸命勉強をします。

 もう一度学校に戻ることができて、私はとてもうれしく思っています。お母様、心配なさらないでください。努力して夢に到達するために、一生懸命勉強をすることを私は約束します。

 お話が長くなってしまいました。

 お母様のほうもご自身の問題が解決され、安心して生活できるよう応援しております。」


life  
ラフ族の住居


中1のカレン族の女子が書いた手紙。

「日本のお父さん、こんにちは。お元気ですか。私は元気です。10月の学期休みには、私は村に帰省していました。祖父と唐辛子の収穫をしたり、稲刈り、まきを背負い運んだりする手伝いをしました。たまに家にいると姉に叱られました。

私は、父のことがとても哀れでなりません。父は「おまえのためなら働いて疲れはてることなど何ともないことだ」と言いますが、私は、この言葉を父から聞くたびに涙が流れます。私は、「疲れたときは休んでね」と父に言いいます。ある雨が降った日、私は、父が倒れてしまうのではないかととても心配でなりませんでした。でも、父は、その日、何ごともなく無事に帰宅し、ほっとしました。両親の負担を少しでも軽くするために私もしっかりと働きたいと思っています。

 私はさくら寮にいるとき、父と母が元気にしているかどうかよく考えています。ですから今回帰省して両親と毎日顔を合わせいっしょに過ごすことができて、とても幸せでした。両親に、さくら寮にいるときもよく二人のことを心配しているのだと話すと、父と母は「心配しなくても幸せに過ごしているから大丈夫だ」と言っていましたが、私はそうではないことを知っています。

 この私たち家族の状況を日本のお父さんにうまくお伝えできたかどうかわかりませんが、これからも私たちの人生は長く続いていきます。

 最後になりましたが、これからもお父さんがお幸せにそしてご健康でたくさんのご成功を収められますようにお祈りしています。

sumire hall 
すみれ館でくつろぐさくらエコホームの子供たち


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プロフィール

三輪隆

Author:三輪隆
1955年岐阜県生まれ。写真家・文筆家。タイ在住26年。さくらプロジェクト代表。

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