さくらプロジェクトのブログ

タイ北部チェンラーイで活動する山地民の子どもたちのための教育支援NGO「さくらプロジェクト」代表の三輪隆が綴るさくら寮での日々

スポンサーサイト

--/--/-- --:-- ジャンル: Category:スポンサー広告
TB(-) | CM(-)Edit

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

生と死の閾

2007/08/28 02:25 ジャンル: Category:さくら寮日誌
TB(0) | CM(0) Edit

ラフ族の寮生Nが、祖母が危篤になったので村に帰らせてほしいという。私もNの家にはよく泊まらせてもらったことがあり、そのおばあさんとも面識があるが、とてもいい人だった。末期のガンだという。これまで市内の病院に入院していたのだが、もう医師も手の施しようがなく、村で最期を看取ることにしたので、親戚たちと一緒に車で村に帰るという。ラフ族では村の外で人が亡くなるのはよくないこととされているのだ。回復の見込みがないとなると、家に連れて帰ることが多い。

「お葬式、もし隆兄さんも時間があればきてくださいね」とNは言った。

「ああ、もし時間がとれたら、後を追っていくよ」

あいにく私は所用が重なって、葬儀に参列することはできなかった。数日してNは帰ってきた。お葬式はどうだったかと尋ねると、Nから意外な答えが返ってきた。

「いえ、まだ祖母は亡くなっていないんです」

なんでもその後、奇跡的な回復力でもちなおして、今は小康状態を保っているとのこと。それはとりあえずよかったじゃないか。喪服など着て、のこのこ出かけていかなくてよかった。

 だが、それから1週間ほどして、またNが切羽詰った声で、「祖母が亡くなったので村に帰らせてほしい」といってきた。

「そうか、今度はついに、亡くなったのか。じゃ、身支度して早く村に帰りな」

「隆兄さん、お葬式にこられますか」

「うーん、確約はできないけれど、できるだけ努力する」

翌日、Nは帰ってきた。あれ、もうお葬式が終わったの。ずいぶん早いな。普通、ラフ族のお年寄りが亡くなった場合、通夜に2、3日費やすのだけれど、どうなってるんだろうと思って聞くと、Nは少し申しわけなさそうにいった。

「あの、祖母はまだ生きているんです。」

「え、キミ、帰る前に、おばあさんは亡くなったと言ったよね。だから家に帰ったんじゃ…」

    Nは少し口ごもりながら、

「はい、一度亡くなったのは亡くなったのだけど、しばらくしてまた生き返ったのです」

 本当かいな。笑っている場合ではないのだが、思わず私は笑ってしまい、つられてNもにっと笑った。

 生き返るって、ゾンビじゃあるまいし。本当は死にかけていただけだろう。いくら山の人々だって、通常の死の判定ぐらいはできるだろうに。いや、Nが2度目に帰るときも、実はまだ祖母が危篤の状態で、亡くなってはいないことを知っていたのだが、正直に私にそう言うと帰らせてくれないと思って、つい、死んだことにしてしまったのかもしれない。で、結果的に亡くならなかったので、しょうがないから生き返ったことにしようと…。まあいいや。一命をとりとめたのはめでたいことだから。

 しかしNの祖母のように、こうして親類一族が協力し合って重病の患者を病院に搬送したり、また村に連れ帰ったりと懸命にケアしてもらえる例は幸福なほうである。悲惨としかいえないケースもある。

 00030.jpg

ラフ族の葬儀風景

エコホームの寮生、Iの父親が肺炎や腫瘍など多臓器不全の症状でタイ病院に入院し、誰も親戚が見舞いに来ないというので、小学校6年生のIがずっとつきそって看病をしている。プライバシーの保護のためか、医師は父親の病名を明言しなかったが、父親が寝ているドミトリーのその病棟は地元の人々の間ではひそかに「エイズ病棟」の名で知られていた。Iはラフ族の少女で、3年前に母親をエイズで亡くしている。父親がなくなればもう誰も彼女の面倒を見るものはいなくなる。

 ラフ族の人々にとっては、今は農繁期で畑仕事が忙しいし、親戚兄弟が入院したからといってずっとつきそいをすることはできない。そこで子供が借り出される。子供には拒否権がないのだ。それにさくら寮の子供であれば、スタッフが車で送り迎えしてくれ、食事代まで子供に渡してくれる。実をいうと、大人たちは時間がないわけではない。お金を使いたくないから付き添いにきたくないのだ。病院で付き添いをすれば食事代とか交通費とか、何かと金がかかる。自分の家族で精一杯で、兄弟や親戚のことまで手がまわらないという。

   「プアン・キンカウ(食事友達)」というタイの言葉は、食べるときだけの友達という意味だ。食事に誘うときは喜んでやってくるが、困ったときはさっと潮が引くように離れていってしまう友達のことだ。親戚も同様で、「ヤート・キンカウ(食事親戚)」である。結婚式やお祭りで飯や酒にありつけるときは。みな親戚面をさげてやってくるけれど、いざ困ったときには、兄弟親戚であっても見てみぬふりで、誰も助けに来てくれない。面倒なこと、都合の悪いことは全部子供におしつけてしまう。

タイの公立病院は、IDカードさえ持っていればほとんど無料(30バーツ)で治療を受けられる。Iの父親の場合も入院費を請求されるわけではない。親類たちは交通費と手弁当代を惜しんでいるだけなのだ。実のところ、Iの父親には6人の兄弟姉妹がいて、何人かは四駆のピックアップトラックを所有しており、ガソリン代も出せないほど生活には困っていない。

 Iも、本当は勉強が遅れるのが心配なので早く学校に戻りたいという気持ちもあるが、自分が父親の世話をしなければ、誰も代わって父親の世話をする人がいないため、ずっと病院で寝泊りしていた。熱帯の野戦病棟のように蒸し暑く、末期的な症状を呈している数十人の患者とその家族たちでひしめいているドミトリーのベッドの下の茣蓙一枚の寝具で毎日寝泊りしながら、父親の面倒を見ていた。親戚の人は1バーツたりともお金をくれないという。それではIはご飯も食べられないではないか。要するにIとIの父親は親戚一同から完全に見放されているのだった。

私たちにできることは、ただ、Iに食費を支援し、Iが寂しくないように寮の友人を一緒につきそわせることだけだ。が、Iにしても、そう長く学校を休むわけにはいかない。苦しそうな呼吸を続ける父親と、泣きそうな顔でその手を握り続けるIのやせた小さな肩を見ながら、つらい気持ちになった。

結局、Iが父親を連続5晩看病したところで、私たちスタッフはIを寮に帰らせた。小6の彼女をいつまでも病院で寝泊りさせるわけにはいかないし、彼女自身も父親のことは心配ながら、疲れがたまって限界のようだった。

それから1週間後、病院で父親は誰にも看取られることなく死んでいった。5日たっても親戚は誰一人遺体を引き取りにこなかった。自分のバイクは借金してでも買うが、人の棺桶のために借金するのは惜しいのだろうか。12歳のIの意向を聞き、さくらのスタッフがすべての手続きをして、父親の遺体を荼毘にふし、お骨を村に持ち帰り、埋めることにした。

山岳民族の人たちは兄弟親戚の絆が強く、貧しいながらも互いに助け合って生きている、というのが私たちの一般的なイメージだ。もちろん大半の人は今もそうに違いないけれども、そんなイメージの修正を迫られるようなケースも出始めた。

 

00034.jpg

ラフ族の葬儀風景

sports.jpg

2、8月半ば、さくら寮では恒例の寮内スポーツ大会が行われた。白熱の女子サッカー。

sports2.jpg 

sports3.jpg 
運動会

 

スポンサーサイト

プロフィール

三輪隆

Author:三輪隆
1955年岐阜県生まれ。写真家・文筆家。タイ在住26年。さくらプロジェクト代表。

カレンダー
07 | 2007/08 | 09
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。