さくらプロジェクトのブログ

タイ北部チェンラーイで活動する山地民の子どもたちのための教育支援NGO「さくらプロジェクト」代表の三輪隆が綴るさくら寮での日々

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スタッフ慰安旅行メーホンソン編

2007/05/10 02:13 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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「どこでもいいから連れて行け!」という主体性のない要望にこたえ、5月初旬、さくらプロジェクトのスタッフ慰安旅行が敢行された。

さくらプロジェクトは超零細NGOなので、スタッフ全員合わせても両手の指に満たない。今回は不参加者も3名あり、参加者はたまたま日本から来ていた私の友人であるKさんも合わせて計7名。このKさん、熱狂的な蝶コレクターで、最近はタイのみならず、ラオス北部やスラウェシ、ボルネオ、はては南米まで遠征している。蝶を採っているときは人格が変貌してトランス状態となるので、珍蝶を追いかけて昆虫網を持ったまま橋の上をオーバーランし、10メートル下の川に転落するなど、数々の武勇伝の持ち主である。

ianryoko1_R.jpg メーホンソンでは森の中のコテージに宿泊

さて毎年恒例のスタッフ慰安旅行、一昨年はラオスのヴィエンチャン、昨年はミャンマーのチェントンと2年続けて「パスポート不要だけど一応、外国」だったが、今年は円安バーツ高による運営予算不足が懸念されるおり、節約モードで国内旅行となり、チェンダオからパイへ抜け、メーホンソンからクンユアム、メーサリアンをまわって、チェンマイを経由してチェンライに戻ってくるという、安宿B級グルメ6日間の旅ということに落ち着いた。とりあえずなんとなくリゾート気分に浸りたいという女性スタッフと、ギャルのいそうなスポットが希望のカンポン、Kさんの秘境蝶採集ポイント、それに国境オタク茅賀宏の国境貿易の現状査察などというさまざまな要望を取り入れねばならないので、調整は難航をきわめた。そして初日からいきなり車がパンクである。

それにしてもあきれたのは、うちの女性スタッフたち、そろいもそろってよく眠るということである。カンポン運転のハイエースがチェンライを出発して走り出した途端、みな最後部でいびきをかいて眠り始めた。車酔い防止のためには眠りにつくのが手っ取り早いというのが彼女たちのいい訳であるが、車窓から刻々と変わり行く風景を見てしみじみと旅情にふけるなどという態度は毛頭見られない。しかし、飯の時間になるときっちりと起きてきて豪快に食べ、満腹になったあとはまた車の定位置に戻り、大口を開いてガーガーと眠っていた。いったいこの人たちにとって、旅する意味がどこにあるのか。

そんなわけで、M150などを飲みながらひたすら運転を続けるカンポン、蝶のいそうなポイントにさしかかると、車を飛び降りて狂ったように網を振りまわすKさん、そんなときもあいかわらず後部座席でいびきをかく女性スタッフたちという構図は、終始変わることがなかった。

ところで今回のこのルートには個人的な思い入れがあった、あれは20年近く前のこと、私はランプーン在住の元日本兵、藤田松吉さんと一緒に、日本兵の遺骨探しの旅にきたことがあったのだ。

藤田さんは当時70歳。第二次世界大戦中、インパール作戦に従軍し、敗戦後の混乱の中でタイに取り残され、数々の辛酸をなめながらもタイで家庭をもって永住する決意をした。暮らしぶりは少しずつよくなったが、戦後10年ほどたったある日、ビルマ戦線で亡くなった多くの戦友たちの霊が何千人も夢枕に立ち、「苦しい、水をくれ」と迫ってきた。いてもたってもいられなくなった藤田さんは、以来、かつて「白骨街道」と呼ばれたこのパイ~メーホンソン~メーサリアンにかけての一帯をまわって、遺骨を回収するようになったというのは有名な話だ。 

  ianryoko2_R.jpg 

クンユアムの町の中には「戦争博物館」なるものもできていた。

20年前の乾期、日本のあるローカルテレビ局が、その藤田さんの遺骨回収の旅を追うドキュメンタリー番組の取材するためにタイを訪れ、私はひょんなことからボランティアのタイ語通訳および穴掘り人夫として同行させていただいたことがあるのだ。約10日間の旅だった。まださくらプロジェクトをはじめるずっと前の話だ。

乾期とはいえ日中は気温が30度以上に上昇した。炎天下の中、私たちは朝から夕方まで、地元の住民雄のかたがたから情報を得ながら、森の中や住民の家の庭、道路わきなど、遺骨が埋まっていると思われる場所を掘り続けた。人生初のボランティア体験であったが、日本でもあんまり肉体労働したことのなかった私は当然ながらすぐにバテてしまい、ほとんど使い物にならなかった。

当時すでに戦後50年近くたっており、もう日本兵の墓のことを正確に記憶している人も少なく、藤田さんの発掘は難航していた。遺骨の近くには銃剣などの遺品が一緒に埋められているはずだということで金属探知機も使ったが、探知機が感応して、必死に掘り続けても、出てくるのは空き缶ばかりということも多かった。

それでも藤田さんは休むことなく掘り続けた。掘って、掘って、掘り続けた。その一心不乱の形相は、まるでなにかにとりつかれているかのようだった。もう遺骨が出てくるかどうかという問題を超えて、掘ること自体がなにかの祈りの姿勢であるような気がしたのだ。
クンユアムの安宿に泊まった夜、私たちは藤田さんからさまざまな思い出話を聞いた。

敗走する途中で、道沿いにはマラリヤや負傷で動けなくなった戦友たちが折り重なるように息絶えていた。自分も傷口が化膿して蛆がわき、それをナイフで抉り取りながら、道端で亡くなった戦友たちのポケットから「すまない」といって薬をもらい、やっとタイに逃げ延びてきたという。

町の中には、帰国した旧日本兵の子供もだという人もいて、なんとかマスコミに頼んで日本にいる自分の父親を探してほしいと涙ながらに訴えかける人もいた。日本兵の遺品を見せに持ってくる人もいた。
20年前に見たクンユアムはさびれた田舎町という感じで、まだ日本人の亡霊が漂っているような雰囲気があったが、今回久しぶりに訪れて、その変貌ぶりに驚いた。

かくして、スタッフ慰安旅行は終わり、さくら寮はにぎやかな新学期を迎える。

ianryoko3_R.jpg 
メーサムレップにてミャンマー国境を望む

ianryoko4_R.jpg 
チェンマイでは一部同好の志の希望によりバタフライ・ファームにも立ち寄る

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プロフィール

三輪隆

Author:三輪隆
1955年岐阜県生まれ。写真家・文筆家。タイ在住26年。さくらプロジェクト代表。

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