さくらプロジェクトのブログ

タイ北部チェンラーイで活動する山地民の子どもたちのための教育支援NGO「さくらプロジェクト」代表の三輪隆が綴るさくら寮での日々

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入寮試験

2006/03/23 19:43 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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さくら寮の「卒業生を送る会」にて。今年度の中学卒業生たち。

 

タイでは学校は3月半ばから学期休みに入っている。5月半ばまで約2ヶ月の長い長い夏休みである。大学や専門学校になるとまるまる3ヶ月以上授業がお休みになるところもある。こんなに休みが長いと、新学期になってももう学校に行きたくなくなるんじゃないの? と心配にもなるが、まあ、この時期はたとえ学校に行っても、うだるような暑さで、生徒も先生もダレダレ、まったく授業にはならないだろう。

 さくら寮の140名の子供たちも各自村に帰って、今頃は両親を手伝って畑仕事に精を出している……はずなのだが、実を言うと最近は、両親の畑仕事を手伝わずに町でアルバイトをする子もけっこういる。10年前は考えられなかったことだが、今ではチェンライ市内でも、ガソリンスタンドや市場の雑貨屋の店員、スーパーやコンビニなど、重労働、低賃金ではあるが雇用機会も増えてきて、学生アルバイトの口もそこそこ見つけやすいのである。で、稼いだお金は学費の足しにするというのなら美談であるが、寮則違反のケータイ電話を買ってこっそり寮に持ち込んだりするから困りものである。

 さて、さくらプロジェクトでは、3月18日~20日の3日間にわたって、2006年度新入寮生の選抜選考会が行われた。

 この日、保護者たちに引率されて試験会場のさくら寮に集まったのは、幼稚園児から高校3年生まで、約90人の山の子供たち。実際の応募者は、書類を受理したぶんだけでも300人(問い合わせはさらにその2倍)。来年度はその中から約30人を選抜して支援する予定である。受験資格があるのは主に、来年度から中1に進学する生徒、そして小学校低学年の児童たちである。

 3日間にわたる選考会では、スタッフおよびさくら寮の年長の生徒たちで構成された試験監督員によって、多種多様なプログラムが用意されている。1日目は受験者の登録と保護者たちへの説明会。夜はホールにて自己紹介および特技の披露。2日目は学科試験および論述試験、個人面接、ゲーム大会。3日目はゲームやスポーツテスト。スポーツテストといっても、体力測定や運動能力を測っていわゆるスポーツ特待生を選ぶわけではなくて、スタッフが個人面接をしている間、他の受験生たちは暇をもてあましてしまうので、その時間つぶしのレクレーションといったところである。もっとも、こうしたスポーツやワークショップやゲーム、集団での労働を通じて性格や積極性、協調性の有無を観察できるのである。

 300人の応募者から最終的に30人に絞り込むのであるから、競争率なんと10倍、数字だけで見ればへたな日本の大学よりも難関である。なので「さぞかし優秀な生徒がお集まりでしょうね」と聞かれるが、そんなことはない。試験の結果は、ほとんどの子供が橋にも棒にもかからない悲惨な点数である。そもそも入寮試験の受験資格が与えられる子どもの基本条件が「村の中、または歩いて通学が可能な範囲内に必要にして十分な教育施設がなく、かつ経済的に貧困な家庭の子供であること」であるから、試験の成績が無惨なのは当然である。知能や潜在能力はともかく、まっとうな学校で教わったことのない子供が試験で成績が良いはずはない。逆にその子の試験の結果が抜群に良かったとすれば、その子はすでに適切な環境で教育を受けていると判断されるから、今さら新しい学校に入れる必要もないのである。成績優秀な生徒は、書類審査でおとした約200名の中にもしかしたら含まれているかもしれないが、それはそれでよい。成績が良くても家庭が明らかに裕福な生徒は、後日の家庭訪問調査の段階で選考からはずされるケースもある。

 さくらプロジェクトでは、この頃はあまり入寮試験の点数を重視しない。エリート養成機関ではないからだ。

 では3日間の合宿選考会中、何を重点的に見るかというと、一にも二にもまず行動と性格である。生活態度、共同生活への適応性と協調性の有無も観察する。せっかく合格させて入寮してきても、新学期が始まって数日でホームシックにかかって家に逃げ帰ってしまう子も例年見受けられるからだ。わがまま放題に育てられ、自分勝手で協調性がない子も、寮生活には不向きである。

 とはいえ、たった3日間で90名の子供たち全員の性格や性質を正確に見抜くことは不可能に近い。スタッフの目を意識して猫をかぶっている子もいれば、逆に一見問題がありそうに見えても、実際に入寮させてみればちゃんと生活できる子もいるかもしれない。私など毎年、選択をあやまってとんでもない子どもを入寮させてしまい、他のスタッフからは、「またはずした」「人を見る目がない」と非難されつづけている。まあ、優等生ばかりでなく、問題児を更正させるのも我々の仕事なのだと苦しい言い訳をするのだが、人を選ぶことは本当に難しい。下手をすれば落とした子どもの親から恨みを買うことだってある。本当ならこういう役割は背負いたくないものだ。が、泣きごとはいっていられない。とにかく我々は90人の中から30人を選抜しなければなければならないのである。

 7、8歳の年少児童の場合は、将来性を見抜くのは難しいし、性格も成績もどう化けるかわからない。ならばある程度評価が固まった年長の子どもを入寮させればよいではないかと思われるかもしれないが、そこにはまた別の難題が待っている。それは「15歳の壁」とでもいうべきものである。

 山地民の子供たちはおしなべて早熟である。特に女子は早熟だ。ラフ族あたりだとだいたい13、4歳になるとみな恋人ができ、早い子はその年齢でさっさと結婚してしまう。さくら寮で勉強している子供たちも、学期休みで村に帰ると、それら友人の姿を見て刺激を受けるのかどうか知らないが、恋のアバンチュールに落ち、新学期が始まっても学校に戻ってこないことがよくある。

 1年でも2年でも学校で勉強でき、読み書き、算数ができるようになれば、卒業できなかったとしても、それはそれで将来の役に立ち、無駄にはならない、というような前向きの考えかたもできようが、「けじめ」という観念を重視する日本の支援者のなかには、中退という結果に納得できず、それ以後の支援をやめてしまわれる方も多い。勉学意欲があるというからなけなしの小遣いを積み立てて支援しているというのに、男ができたから中退なんて、あまりにも心がけが安易ではないか」といったところだろう。その落胆もわからないでもないが、やはり若者たちにとっては種族保存の本能からくる衝動のほうが切実なのである。

 まあそんなわけだから、選抜するほうとしても、13、4歳の女子を選抜するときは、ついつい及び腰になってしまう。小さい子どもの場合は、知能も性格も読めない部分があるが、とりあえず「15歳の壁」までには年月がある。いわば猶予期間が長いというだけではあるが、とりあえずリスクの少ない安全物件なのである。しかし、それとて結末を先送りした単なる執行猶予であり、その年齢に達すれば結局は男とともにドロンしてしまうかもしれないのだが。

 あるとき、山で生徒調査をしているとき、山の学校の教師が私たちに皮肉っぽくつぶやくのを耳にしたことがあった。「教育支援っていったってねえ、学校なんて○○族の子供らにとっちゃ、結婚までの腰かけみたいなもんだよ。寮にいれて勉強させたって、結婚までの養育費を親に代わってタダで出してやってるようなものだよ」

 今年入寮させた30人の子どものうち、何人が初心を貫徹し、最後まで学業を全うしてくれるだろうか。30人のうち、5人でも6人でも自分が納得するまで勉強を続けてくれるならば、プロジェクトとしては成功のうちと考えたほうがよいかもしれない。最近はあまりカリカリせず、そう思うようになった。

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入寮試験をうけるためさくら寮に集まった子供たち。 

  
 

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入寮試験風景。
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悲しきエスノセントリズム

2006/03/01 17:56 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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さくら寮の子供たち   

ある日、寮生のNと彼女の父親が私のところに相談にきた。Nはラフ族で中学3年の女の子である。さくら寮のトイレの裏で、ラフ族に伝わる悪霊祓いの祈祷儀礼をとりおこないたいが、やってもいいかというのである。

 最近Nは寝つきが悪く、夜中にうなされたり、突然息苦しくなったりするという。Nの父親によれば、どうも彼女が寝起きしている宿舎の階下にあるトイレのあたりに、悪霊が住んでいるらしいので、これを祈祷によって取り除きたいというのである。

 祈祷をするのもいいが、その前に病院に行って検査してもらったほうがよいのでは、と私は勧めた。もしかして肺炎など呼吸器系の病気かもしれないし、あるいはパニック障害とか、自律神経失調症のようなものかもしれない。医者にみせて治らず、原因もわからなかったら、儀礼をやるのも一つの手だ。

 しかし、Nも父親もまずは祈祷をやらせてほしいといって譲らない。

「でも、ここは学校の土地だし。特定の宗教の儀礼をやる場合は校長先生の許可を得ないと……」 

 さくら寮が建っている土地は子ども達が通う学校の所有で、この学校はバプティスト系のキリスト教財団が運営しているのだ。

 山地民の人々に伝統的文化を末永く保持してもらいたいと考えている私は、実を言うと山地民の人々のキリスト教信仰に対してより、アニミズムなどの伝統宗教にむしろ寛容というか、エールを送っているところがある。だから、ふだんであれば、「いいよいいよ、自由にやりなよ。私もその様子をビデオ撮影させてもらうから」と喜んで許可するところだなのだが、今回ばかりは、簡単には首を縦に振る気持ちになれなかった。数日前のあるニュースが、喉に突き刺さった棘のように心にひっかかっていたのだ。私はK村出身のN親子に対して、少し意地悪な気持ちになっていた。

 数日前の一件というのは、Kさんの死にまつわることだった。

 Kさんは60歳代の韓国人男性で、長年チェンライに住み、ラフ族など山地民の文化、風俗の研究のかたわら、村の自立や子供たちの教育支援をしていた。韓国内ではいくらか名前の知られた歴史作家らしかった。さくらプロジェクトが13年前から支援しているラフ族のK村を、Kさんもまた精力的に支援していて、村じゅうの各戸に 1頭ずつ水牛をプレゼントしたり、さくら寮にいるK村出身の子供たちに少なからぬ額の奨学金を与えたりしていた。その支援のやりかたをめぐっては、私の考えにはそぐわない面もあり、村で出会ったりしたとき、たがいにいささか気まずい空気が漂ったりしたこともあった(NGO同士ではよくあることだ)が、K村の人々から見れば、Kさんからは少なからぬ恩恵を受けていたはずだ。

 そのKさんが昨年あたりから不治の病に倒れ、余命いくばくもないと聞いていた。

 K村を心から愛していたKさんは、いよいよ衰弱して歩くこともできなくなった昨年の暮頃、遺言として、「自分が死んだら、自分の遺骨をK村の近くに埋めてほしい」と友人に頼んだという。

 Kさんの韓国の友人たちがK村にその希望を伝えに行ったところ、村人達の反応は意外なほど冷ややかなものだった。K村の中で話し合いが行われ、Kさんの遺骨を村に埋葬するわけにはいかないと拒否されてしまったのだ。ラフ族の流儀では、外部の者の遺体や遺骨を自分達の村のエリアや墓地に埋葬することはタブーに触れるというのである。

ふだん、Kさんの著書(タイや中国の山地民に関する調査紀行のような本をKさんは少しあやしい日本語で自費出版していた!)を辛口で批評していたさくら寮ボランティアの茅賀君でさえもが、「さんざんお世話になっておきながら、K村の連中はなんて情けも涙もない、恩知らずな奴らなんだ」と、このときばかりはKさんに痛く同情し、憤りをあらわにした。

「あれだけ支援を受けていたんだから、ラフの流儀や文化はどうであれ、遺骨ぐらい埋めさせてやれよな。そんな恩知らずだからK村もいつまでたっても発展しないんだよ」

 K村の人々の反応を見てそう考えるのは、同じ儒教文化圏に生きる多くの日本人や韓国人の自然な感情であろう。しかし、そういう発想はラフの人々には通用しない。そもそも「恩義」などという言葉が通用する地域など、地球上のごく限られた地域にすぎないのである。それに彼らがKさんに多少の恩義を感じていたとしても、土着信仰の拘束力というか、霊界への畏れの力のほうがはるかに強固なのである。

 生前に村人たちの冷淡な返答を知ったKさんは、気落ちしたのか、さらに憔悴の度を深めたと聞く。ほどなくしてKさんは亡くなった。私は死んでもK村に骨を埋めてもらおうとは思わないけれど、Kさんの無念はとてもよくわかる気がした。

 そんな事件の直後の、今回のさくら寮でのN親子の祈祷の問題である。

 私がSスクール内でのアニミズム儀礼に難色を示したことに、N親子は不満の表情を隠そうとしなかった。だが私は、K村の彼らがそこが自分たちの生活と信仰のフィールドであることを理由に、自分たちの世界観やタブーに従ってKさんの遺骨の埋葬を拒否したのであるならば、キリスト教という異文化世界のフィールドであるSスクールにおいてアニミズムの祈祷を行うことを拒否されても、なんら不平は言えないのではないかと思った。私の論理は一貫しているはずだ。

 しかし、一方でこのラフ族親子の行動が彼らの考えと矛盾しているのかといえば、そうでもない。彼らの論理もまた一貫している。つまり、どこにいようと、どこに行こうと自分たちの世界観でしかものごとを考えないし、行動しないという一貫性である。私は文化相対主義としての一貫性であり、彼らは自文化絶対主義というか自文化中心主義(エスノセントリズム)という一貫性である。宗教であれ文化であれ、日本人は相手の都合にあわせることができる世界でも珍しい民族かもしれない。

 昨年末、アカ族のA村で悲惨な事故があった。平地タイ人の村の稲刈りに雇われて働きに行っていたアカ族の村人たちを乗せたトラックが、雇い主である運転手の運転ミスで、村の手前の坂道で崖から転落して、アカ族の人たち3人が亡くなり、十数人が重軽傷を負ったのだ。雇い主は転落する直前にドアを開けて逃げて無事だった。この無責任な雇い主に対する慰謝料交渉がなかなか進展しない中で、葬儀を前に、もうひとつ大きな問題が発生した。

 病院でなくなった3人の犠牲者を村に運び入れる際、その手前にあるヤオ族の村民が、遺体を運ぶ車をヤオ族の村の前を通るのはまかりならぬと言い出したのである。ヤオ族のタブーとして、村の外で死んだ者は、村の中に運び込むことはできず、村の中で葬式を挙げることもできない。

 しかし、亡くなったのはアカ族の人であり、車が通るのはヤオ族の村の前を通るとはいえ、道路はれっきとした公道である。何びとであれ、公道を通させないなどという権利はないはずだ。しかし、ヤオ族の人々は自分たちの文化・信仰を盾に、当初なかなか納得せず、一時アカ族の人々とヤオ族の人々との間に不穏な空気が流れたという。両方の集落を統括する区長が間に入って、やっとことをおさめた。

 タイ北部においても多くの民族がそれぞれの文化習慣に従って一見平和に生活してはいるが、それは必ずしも他民族の文化を受容しているわけではなく、あくまでも自分たちの価値観や道徳律がすべてを支配しているのである。だから、いざ他民族が自分たちのタブーや信仰、道徳に抵触する行動をとれば、容易に争いの火種になる。

 多種多様な人種、民族が暮らす多様な世界の中で、その多様性を損なうことなく、互いの立場を認めあって暮らしていく、それは人類の理想である。互いの文化や世界観を認め合い、譲り合い、尊重しあいながら、たった一つの地球の上で共存していければ素晴らしいことだ。これを単一文化的な世界で暮らす人が想像したり、「人類みな兄弟」というような言葉で言ってみたりするのは簡単だが、実際にこの共存を現場で実践していくのは大変なことだ。

 さて、後日談であるが、あのKさんの死後、友人たちが、Kさんの遺産でK村の近くに土地を買い、そこに遺骨を埋めることで話は決着したそうだ。(村人がごねていたのは金がほしかったのか)

 私もN親子に寮内でのアニミズム儀礼をすることを許可した。

 心の片隅になにかやりきれないむなしさのようなものが残ったが、「ここはそういう世界なのだ」と思うしかないのである。
 Kさんのご冥福を祈る。

ラフ族のお葬式
 
ラフ族の葬式


プロフィール

三輪隆

Author:三輪隆
1955年岐阜県生まれ。写真家・文筆家。タイ在住26年。さくらプロジェクト代表。

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