さくらプロジェクトのブログ

タイ北部チェンラーイで活動する山地民の子どもたちのための教育支援NGO「さくらプロジェクト」代表の三輪隆が綴るさくら寮での日々

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勘里一座公演は「桃太郎」

2005/08/31 18:38 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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さくら1


 8月は、日本が夏休みということもあり、さくら寮にも来客が多かった。

 8月下旬に大阪からいらっしゃった勘里さんの一行総勢9名もその中の一組だ。勘里さんと高校生の娘さんのほか、彼女たちの友人やそのご家族のみなさんである。さくら寮の子どもたちのために、日本の芝居を見てもらおうという、ボランティアでのさくら訪問である。もちろん、みな演劇なんてはじめての素人。今回の出し物は児童劇の定番「桃太郎」。日本から桃太郎や爺さん、婆さん、鬼などの衣装も仕込んできてくださった。子供たちには本物の(?)きび団子のおみやげつきである。

 一行は、本番の3日前からさくら寮に泊まりこみ、大道具作りから衣装合わせ、リハーサルまで、さくらの子供たちと一緒に行った。

 出演者は、鬼が島の鬼役数名を除いては、みな日本人なので、ナレーションや台詞は日本語であるが、日本語を勉強中の寮生たちが、同時通訳風にタイ語でのナレーションと台詞を入れることになった。

 芝居自体は単純なストーリーであるけれど、さくら寮の子供たちにとっては学ぶことも多かったはずである。たかだか寮内の150人ぐらいの子に見せる1回きりの公演のために、観光する時間も惜しんで、さくら寮にこもりきり、こりにこったBGMを編集し何度もリハーサルを繰り返し、苦労して段ボール箱を解体して絵の具で色を塗って、岩山や、川や海や、舟や巨大桃などの大道具を作るというそのエネルギーはいったいどこからくるのか。さくらの子供たちは不思議に思ったかもしれない。

 ふだんさくら寮でもクリスマス会などで子供たちが創作劇を演じるが、その準備はいたって大雑把というか、手抜きだらけである。演技力もあるし、アドリブもうまい。しかし、大道具や小道具を手作りして、舞台に花を添えようという気持ちがまったくないのである。まるでイッセイ尾形の一人芝居か前衛演劇の舞台のように、まったくなにもないガランとした舞台で「ここは森の中のつもり」とか、「ここは家の中のつもり」という、極度の想像力を観客に強要する「仮想空間」で芝居が進行するのである。はっきりいってつまらない。

 子供たちは、たかだか20分ぐらいで終わってしまう芝居のために、わざわざその何十倍もの時間を費やして、お金までかけて大道具など作る必要なんてどこにあるのか、と思っているフシがある。

 勘里さんがいみじくもおっしゃった。「でもね、こうして、みんなでワイワイガヤガヤ言いながら大道具を作ったり、リハーサルをしたりするプロセスが楽しいんだよね」

 そこですよ、そこ。そのたゆまぬ努力と創意工夫が明日の豊かさと発展を生む。結果だけが目的ではない。ひとつのものを完成させていくためにたどる、そのプロセスにこそ、創造の喜びがあるのだということを、子供たちにもぜひ気づいてほしいのだが。もしかしたら、過去に焼畑耕作で移動生活を続けてきた山地民がこれまで送ってきた彼らのライフスタイルからくる物質観、つまり、頑丈な家を建てたところで、どうせ数年で家ごと移動してしまうのだから、簡単な家で十分だ」というような発想と通底しているかもしれないなどと、いささか乱暴な論理を考えてみたりする。同じ農耕民族といえども、最近まで移動農耕をしていた人々と、ずいぶん昔に定住を果たしてしまった民族とでは、「無常」に対するとらえかたも異なるのかもしれない。

 またしても、きわめて日本的価値観に拘泥した、説教じみた年寄りの戯言をいってしまった。

 さて、無事、さくら寮での公演と子供たちとの交流を終えて、最後の日はチェンマイで観観光をして帰られた勘里さん一座であるが、最後の夜にとんでもないハプニングが待っていた。同行のNさんが帰国後、メールでその様子を報告してくださった。

 21時バンコク行きの飛行機を待つ間、チェンマイ空港のレストランでタイでの最後の食事に舌鼓を打っていた一行だったが、その中の1人、高校生のI君(16歳)がいきなり口を押さえたまま、あわてて店を出ていった。I君は16歳だが、体格がよくて、食べ盛りである。「桃太郎」では鬼の大将役をやった。Nさんはちょうどタイ風サラダを食べていたので、サラダの中によほど辛い唐辛子でも入っていたので、トイレに駆け込んだのだろうと思ったが、待っても待ってもI君は帰ってこない。

 やっとトイレから帰ってきたI君はまだ青ざめた表情で口を押さえていた。しゃべることができず、アワアワと唸っている。なんと、I君のアゴがはずれていたのである。えらいことになったと、あわてて空港の医務室へ連れて行き、身振り手振りで説明した(そのときはタイ語が話せる日本人は誰もいなかった)が、医務室のスタッフは「ここでは処置できないからすぐに病院に行くように」と指示した。また、フライト時間がすでに目前に迫っていたので、I君ともうひとりの付き添いの大人は、この便をキャンセルしてチェンマイでもう1泊するようにといわれ、一同パニックに。みな明日から仕事なのだ。

 とりあえず、Nさんのご主人が1泊することになり、空港の車で病院へ。チェンマイ在住のAさんにも電話で連絡、Aさんも病院へ駆けつけた。

 病院では、待ち受けていた整形外科のお医者さんが、てきぱきと処置してアゴを元通りにしてくれた。治療費を払いたいが、日本円しか持ちあわせていないというと、なんと治療費まで無料にしてくれたという。どこの病院かは聞きわすれたが、これを聞いて私はチェンマイの病院をすっかり見直してしまった。

 空港までふたたび空港の車で送ってもらうと、飛行機も彼らの搭乗を待っていてくれたようで、滑り込みセーフ。飛行機は5分遅れで全員無事にチェンマイ空港を飛び立ったという。めでたし、めでたし。

写真1:さくら劇場「桃太郎」の1シーン。桃太郎の誕生。

さくら2 

写真2:鬼が島の決戦。

さくら3 

写真3:交流会ではさくらっ子達も得意のダンスを披露
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タイに「根性」という言葉はあるのか

2005/08/13 18:21 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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タイに「根性」という言葉はあるのか

 8月12日、13日の2日間にわたって、寮内スポーツ大会が開かれた。さくら寮、そしてさくらエコホームの子供たち約170名を3つの色別チーム(赤、黄色、紫)にわけ、サッカーやバレーボールなどの球技を中心に楽しく競うというものだ。

 開会式は朝の8時からだ。毎度のことだが、前夜、夜更かししたため、開会宣言をしなければならない私が遅刻である。眠い目をこすりこすり会場につくと、子供たちはすでにそれぞれの色のユニフォームに着替えて、全員整列して私の開会宣言を待っていた。

 さて、寝坊して開会の辞の言葉を用意していなかった私は、「えー、本日のこの晴れ舞台をかくもすばらしい晴天で迎えられたのも、みなさんの日頃の良い行いと心がけの賜物でありまして……」などと、まるで田舎の小学校の校長のような陳腐な挨拶。実際、このところ連日雨が続いていたのに、この日だけは奇跡的にからりと晴れ上がった。去年の今頃もこの寮内スポーツ大会が開かれ、おりしもアテネ・オリンピックが開催中だったので、開会の辞では「ところで諸君、今、オリンピックがどこで開かれてるか知ってるか?(ほとんどの子供が知らなかった)古代ギリシャのオリンピックではな、衆人環視のもと、選手はみな素っ裸で、フリチンで走らされてたんだぞ。で、負けたら鞭打ちの刑さえあったとか。それに比べりゃ、服を着て競技ができるうえに、勝っても負けても参加賞がもらえる諸君はそれだけで幸せと思うように」などとわけのわからない話をして、生徒たちから冷たい視線を浴びたのを思い出す。

 さていよいよ競技の開始である。

 山岳民族の子供もたちは総じて運動神経も優れていて、山の畑仕事で鍛えているから足腰も強く、スタミナもある。サッカーにしてもバレーボールにしても、けっこううまい。同じ年代の日本の子供たちよりもうまいかもしれない。だが、プレーや試合ぶり、応援風景などを見ていると、なにかひとつ盛り上がりに欠けるような気がする。そこそこ楽しいけれど、何かが足りないのだ。日本のこの手の運動会(少なくとも私の子供時代の)と比べての話だが。それは一言でいうとチームとしての「和」とか闘争心といった、我々日本人がスポーツの中に求めるある種の価値観のようなものではなかろうか、とふと気づいた。

 以前行なわれていたような各寮対抗のスポーツ大会(これはチェンライ各地のNGOが運営する山岳民族の寮が参加し、それぞれの寮の名誉と威信がかかっていたのでみな死に物狂いで闘った)と違って、これは内々の、寮内親善スポーツ大会である。たとえ便宜的に色別にチームを分けても、みな気心知れた友達同士だから、闘争心を抱けといっても無理かもしれない。私の子供時代、日本でも運動会は赤白などに別れてやったけれど、それはそれでけっこう盛り上がったような気がする。日本人はたとえ身内同士で闘うときも、一種のバーチャルな世界に浸って、相手を仮想敵とみなして全力で戦うことによってゲームを盛り上げようとする。ゲームを楽しむコツを知っているのだ。だからいい意味でも悪い意味でも日本人はあんなにシミュレーション・ゲームに熱中できるのだろう。

 だが、ここの子供たちは、バーチャルな世界というものに慣れていないのである。友達は友達であるから、本気にはなれない。それから、チームワークという観念が希薄なのは、日本人と違って組織や団体に対する帰属心が希薄であるということと通じているのではないかと思う。日本人は、個よりも組織を重視する。自分より家族、家庭より会社みたいなところがある。タイで、個人や家族より、会社とか天下国家のほうが大切だという人がいたら、それはかなり奇特な人である。

「他者」に対する根本的な無関心というのも特徴である。自分のチームが勝とうが負けようがさして気にならない。ましてや、自分以外のチームの勝敗にはまったく関心がない。 以前チェンライのNGOが集まって、各寮対抗のサッカー大会などが行われたが、盛り上がるのは予選リーグだけで、トーナメントになって準決勝、決勝と進む間にどんどん人が減って盛り下がっていくのをみて、本当に不思議な気がした。決勝では当事者のチーム同士だけが観客も応援もほとんどないままに寂しく闘っていた。サッカーのワールドカップだって一番盛り上がるのが決勝なのだが、こちらでは、決勝が一番寂しいのである。敗れたチームはみな帰ってしまい、誰も応援するものがいないのだ。自分たちが敗退してしまった以上、どこが優勝するかということなどには関心がなく、自分が出場しないサッカーなんて応援する意味などさらさらないと考えているらしい。

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「あきらめのよさ」にかけても天下一品である。かけっこで、ゴール寸前まで1着と2着を争っている選手はそれなりに最後まで必死に走る。だが、最下位がほぼ確定してしまった子供は、途中で走るのをやめてしまう。負けるとわかっていて、さらに走り続けるのは、意味もなく恥をさらすことであり、体力の浪費にほかならないと考えているようである。

 日本人は、学校でも家庭でも、こういうときこそ、最後まであきらめずに歯を食いしばって走れ、と教えられてきたものだ。そしてときには敗者こそが勝者以上に褒め称えられ、拍手をもって迎えられる。敗者の姿こそがときに美しく、感動を生む。甲子園球児だってそうだ。

 しかし、こちらではそういう考え方は通用しない。そんな美意識もない。敗者は敗者であって、嘲笑と侮蔑の対象となるか、無視される。だから敗戦が確実になったとき、彼らは走るのをやめてしまうのだ。これは穿った見方をすれば、タイ社会やそこで暮らす人々の生き方にまでつながってく問題でもある。

 もともと私は「努力」とか「根性」とかいったものにはまったく縁のない人間だったが、タイへ来てさくら寮の子供たちを世話するようになって、ついつい「根性」「忍耐」「闘魂」などという言葉を口走るようになった。いつのまにか自分が「武士道」や「葉隠れ」の精神を説いていたりする。結局いつまでたっても日本人なのだと、つくづく思う。というか異国に永くいればいるほど、ますます、自分が日本的な教育の成果に縛られた日本人であることを意識せざるを得ない。単に年をとったせいかも知れない。

 なんだか説教臭い話になってしまったが、勝つということにあまり執着しないということが山岳民族のひとつの美徳ととらえれば、これはこれでいいのかもしれない。子供たちが元気に育ってくれればいいと思ったりする。

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プロフィール

三輪隆

Author:三輪隆
1955年岐阜県生まれ。写真家・文筆家。タイ在住26年。さくらプロジェクト代表。

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