さくらプロジェクトのブログ

タイ北部チェンラーイで活動する山地民の子どもたちのための教育支援NGO「さくらプロジェクト」代表の三輪隆が綴るさくら寮での日々

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タイの卒業式

2005/03/10 17:37 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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アチワ卒業式 

タイでも2月、3月は卒業式のシーズンである。

 先日も、さくら寮の子供達が通うサハサートスクサー・スクールで、中学校の卒業式が行われた。私立のバプティスト系のミッションスクールである。

 理事長、校長、牧師や教会関係者などによる眠気を誘う長い説教のあと、お昼近くになってようやく約200名全員の卒業証書の授与が終わると、式場から出てきた卒業生たちを、父兄や親戚、友人、先輩、後輩一同が花束やプレゼントを持って待ち受けている。大変な数だ。そして式場周辺にしつらえられた花や色とりどりの風船で飾られたアーチなどの前で、両親や親戚、友人や恩師などとの記念写真撮影が延々と続くのである。

 この一種異様な(?)光景については、タイにきた当初、とても気になっていた。たかが中学の小僧っこたちの卒業式なのに、まるで鬼の首でもとったようなこの大袈裟なはしゃぎぶりと盛り上がりは、いったいなんなのだ。後日わかったことは、これは大学の卒業式を模倣しているのだった。大学の卒業式がこれまた大変なお祭り騒ぎなのである。
 昨年、さくらプロジェクトで支援していた女子学生Mがチェンマイ大学政治学部を卒業し、卒業証書の授与式があるので、ぜひ参加してほしいと請われ、チェンマイまで出かけていった。

 Mはそのときすでに大学を卒業し、アユタヤに本社がある日系企業に就職していた。しかし、タイでは大学の卒業証書は、王室関係者からひとりひとり直接授与されるため、日程の関係から、卒業後1年近くもたってからやっと授与式の日を迎えるのである。授与式の本番前にもリハーサルが2回あり、王族の前で粗相がないよう、受け取り方から退出の仕方にいたるまで厳しい特訓を受ける(一般人が国王陛下の前で何かを受け取るなどという恐れ多いことはこういう機会以外にはまずありえないので、実際あまりに緊張しすぎて逆に足がもつれてこけたり、失神したりする学生もいるという)。チェンマイから700キロも離れたアユタヤで働いているMは何度も会社を休まねばならず、大変だったそうだが、それでもタイの人たちにとっては、卒業証書授与式は、万難を排してでも出席すべき儀礼らしい。

 チェンライを出発した私たちの車は、大学に近づくにつれ、ひどい渋滞に巻き込まれ、会場までたどり着くのに一苦労した。さらに悲惨なことにホテルはどこもほぼ満杯。大学の近くでやっと探しあてた幽霊が出そうなおんぼろホテルでさえ、宿泊料金がふだんの倍以上につりあがっていた。それもそのはず、大学の卒業式の場合、授与式の会場には卒業生本人以外は入場することを許されないのだが、にもかかわらず、家族や親戚、一族郎党、友人たちがわざわざ遠くからバスや車をチャーターしたりして、泊まりがけで会場に駆けつける。授与式が終わったあとの、家族や友人たちとの記念写真撮影という重要なセレモニーが待っているからだ。これこそが、一世一代の大イベントなのである。このとき撮影された花束にガウン姿の写真は、国王や王族から証書を授与される瞬間の写真(指定された業者しか会場に入れないため、あらかじめ予約して大学経由で購入することになる)とともに、金の額縁におさめられ、その人の家や実家の応接間の一番目立つところに「お宝」として飾られることになるのだ。

 ことほどさように、大学を卒業するということはこの国の人たちにとって、重大かつ貴重で、自慢すべき名誉なことなのだ。いや、正確にはかつてはそうだったというべきかもしれない。最近はタイでも大学進学率はかなり上昇しており、学士様もさして珍しくなくなってしまった。大学を卒業しても職にあぶれている人もいっぱいいる。しかし、かつては大学(学部卒の場合はパリンヤー・トゥリーと呼ぶ)を卒業したというだけで、安定した将来を約束するステータスを保証されたのである。その学歴の重みは日本人の想像をはるかに超えている。

 アカ族のMの家もチェンライのドイ・トゥン山の中腹にあるのだが、ご両親や親類たちがわざわざピックアップ・トラック2台をチャーターして総勢約20名で前日からチェンマイにやってきていた。これはホテル、ゲストハウスが満室になるのも当然である。チェンマイ大の卒業生だけで毎年3千人はいるのだ。ひとりの卒業生が平均10人(実際にはもっとであろう)の家族、親戚を引き連れてきたとしても、それだけで3万人になる。それにしてもこのお祭り騒ぎ、大学の卒業証書すら受け取りに行っていない私などは、いささか冷ややかな目で眺めてしまう。

 が、かくいうさくら寮でも、去る2月26日、毎年恒例の行事として寮内の「卒業生を送る会」が行われた。中学、高校、職業専門学校、大学などを卒業して、学業にひとつの区切りをつける寮生を対象に、その勉学の成就と今後の門出を祝う会である。

 会の前半は、学年ごとに別れた寮生があらかじめひそかに練習ずみの演劇や歌、踊り、かくし芸などの出し物を演じ、色気、おちゃらけをまじえて楽しく和やかに進行する。しかし、後半に入るとやや雰囲気が一変し、照明が落とされ、卒業生が1人ずつステージの上に立ち、スポットライトを浴びながら、切々と寮の思い出やスタッフや里親に対する感謝の思いを語る。言葉を詰まらせて肩を震わせる卒業生に、後輩たちが花束を持って歩み寄る。このへんが会のクライマックスで、語るほうも聞くほうも、涙腺が緩みっぱなしである。トリを受け持つ私が、とどめとばかり、卒業生を前に、前の晩からかなり真剣に考えた、泣かせどころ満載の「贈る言葉」を語り聞かせる。この日ばかりは「3年B組金八先生」の武田鉄也のような気分である。最後、子供たちはみな肩を抱き合って号泣し、涙、涙の大団円で締めくくられる。まるであやしい新興宗教か自己啓発セミナ―の会場のような雰囲気だ。

 このイベント、年末の紅白歌合戦のようにお決まりの、寮内の恒例行事なのであるが、たとえどんなにステレオタイプとわかっていても、こういったカタルシスというのはわれわれの人生に必要なのかもしれない。

 しかし、これもたった一夜の幻のようなできごとであり、一夜明けると、まるで何ごともなかったかのように、いつもの日常生活が待っている。こちらの学校は日本と違って、卒業式が終わったその日にお別れというわけではなく、間抜けなことに翌日からもちゃんと授業があり、学期末試験なども待っているのだ。これでうっかり落第でもしたらどうなるのだろうか。

中3卒業生
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プロフィール

三輪隆

Author:三輪隆
1955年岐阜県生まれ。写真家・文筆家。タイ在住26年。さくらプロジェクト代表。

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