さくらプロジェクトのブログ

タイ北部チェンラーイで活動する山地民の子どもたちのための教育支援NGO「さくらプロジェクト」代表の三輪隆が綴るさくら寮での日々

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ちいさなならず者たち

2013/03/17 00:49 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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4年ほど前、息子が誕生することになったのを機にチェンラーイのさくら寮の近くに家を建てた。人生初のマイホームである。ただし名義は妻のもので、いつ大喧嘩して着の身着のまま追い出されるかもしれず、マイホームという実感はまったくない。

 ひとつだけ「自分の城」の証にとばかり妻の意向を無視して作ったのが、20畳ほどの音楽練習室(カッコつけて言えばスタジオ)だ。ここに15年ほどかけて集めたギターやドラム、キーボード、PA機材の数々を収納した。日本人オヤジバンドの練習も毎週ここでやっている。妻はその爆音が迷惑なのか、いつも白い目で眺めている。

 家は日本の建築家の友人の設計をもとに、地元の大工に施工を依頼したのだが、鉄筋コンクリートの柱のラーメン構造にレンガの壁というタイではオーソドックスな工法。少しでも音響特性をあげるために、1階の音楽室と居間、2階の寝室の床のみは木材のフローリングにした。タイは木材が高価でずいぶんと出費がかさんでしまった。

 ところが1年もしないうちにその床のあちこちで、板と板の継ぎ目のあたりがもっこりと膨らんできた。最初は乾期に乾燥していた木が、雨期を迎えて膨張したためにもりあがったのだろうと思っていた。タイでは雨季に木材が湿気で膨張しドアなどの立て付けが悪くなることはよくある。

しかしこの床の盛り上がり方はいくらなんでも膨張率が高すぎだし、湿気によるものならばもう少し均等に膨らんでいいはずだ。不審に思って旧知の大工(この家を施工した大工は新しい女を作ったとかで奥さんから家を追い出され行方不明になっていた)を呼んで調べてもらったところ、大工はため息をついて私を憐れむように見ながら、

「アチャン、これはシロアリですぜ、シロアリ」とつぶやいた。

「なに、シロアリ?」

 板を取り外してみると、おがくずと泥が混じりあったような物質がコンクリートの床との5センチほどのすきまをエイリアンのごとく埋め尽くし、疑うべくもないシロアリの巣だった。いったいどこから侵入したんだ。

実は家を建てる前、複数の人から、「シロアリ対策だけはしといたほうがいいですよ」と進言されてはいたが、コンクリートとレンガの家にシロアリ対策なんてと鷹をくくっていた。だが調べてみるとシロアリっていうのはとんでもない雑食性で、いざとなればコンクリートだろうが金属だろうがプラスティックだろうがなんでも食いかじって侵入してくるらしい。

まずは応急処置で、被害を受けた部分の板をとりはずし、駆除剤をまき、新しい板と取り換えた。その後新たな被害もなさそうだったので油断して事態を放置したのがいけなかった。

2度目の雨期が明ける頃、音楽室の楽器収納棚にしまってあったギター用のハードケースなどがカビ臭くなってきたため、清掃して天日に干そうと屋外に運び出すことにした。

IMG_0137_R.jpgオヤジバンド練習風景

 ギターケースを玄関まで運んでいるとき、どうもいつもより軽い気がしたが、玄関の外まできた瞬間、その長い立方体の黒いケースがパラパラと音を立てて崩壊し、木屑の塊が地面に落ちた。取っ手から下が一瞬にして灰になったような、よくあるアメリカのギャグアニメの一場面を見ている感じである。なんとギターケースの内部がほぼシロアリによって食いつくされていたのである。しかも私が所蔵するなかでもっとも高級なフェンダー・カスタムショップ製のギターケースが!ギターのハードケースは表面こそ合成樹脂のレザー張りだが内部は木製で、シロアリにとってはこの上ないご馳走だったのだ。

次にシールドやらエフェクターやらの機材の入ったダンボール箱を棚から取り出そうとするといきなり箱の底が抜けた。その棚にはいたるところに蛆虫のような白い生物が蠢いている。ダンボールの底が全部食い尽くされていたのだ。卒倒しそうだ。

さらに驚いたことに、音楽室の壁にしつらえてあった木製の機材棚の中央の柱の上のほうが樽状に膨らんでいる。もしやとおそるおそるその部分に手を触れてみると、またしてもパラパラと木の屑が崩れ落ちた。スポンジ状になった木材の繊維だけになってかろうじてつながっている状態である。つまり柱はほとんど空洞化していて、柱としての機能を失い、棚は崩壊寸前だった。

すっかり青ざめた私は、すべての機材を1階の音楽室から2階の別室に移動させた。1階の音楽室は防音性重視のために窓を少なくした結果、湿気が多い上に通気性が悪くなり、シロアリの格好の温床になっていたのだ。

居間の方も大枚叩いて買ったハイファイ・オーディオセットの棚の中がやられていて、センター・スピーカーの裏側が食い尽くされて泥の塊のようになっていた。

IMG_0495_R.jpgシロアリに食われた柱

自分に残される財産はこの家しかないと思っている妻はもはやパニック状態。ところかまわず狂ったようにシロアリ駆除剤のスプレーを噴射し始めた。密閉された音楽室にも大量に。悪いことにそれは日本人オヤジバンドの練習日の前日だった。

翌日、練習をしているうちに私は頭痛とめまいを覚え、ぐったりとなった。ボーカルのFさんは異様に興奮し、ベース担当の大学生T君が「三輪さん、今日は調子が悪いのか、指があんまりスムーズに動かないんですけど」と首をかしげている。

あとで妻が散布したという駆除剤を見たら「シペルメトリン」という合成ピレスロイド系の殺虫剤で、動物が摂取すると神経毒性や異常興奮などを引き起こすという。T君の指先が動かなくなったのは、薬による神経麻痺だったのか! あやうく私たちが駆除されるところだった。

ネットで調べてみるとシロアリ駆除剤にはいろんな種類があるが、多くはホームシック症候群と同様の副作用があるという。放射性物質を含むものもある。家を守るのが大事か、住人の健康が大事か、妻に問うたところで、答えは目に見えているが・・。

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オヤジバンド、チェンラーイのホコ天でライブ決行

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パイの憂鬱

2013/01/01 18:53 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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パイ近郊のビューポイント


年末の数日間の休暇、またしてもスタッフたちからどこか遊びに連れていけという強い要望にしたがい、パイ、メーホンソン方面に出かけることにした。円安で予算不足の折、安ゲストハウスに安食堂の旅でよければ
OKという条件付きである。

 

だが女性スタッフたち、昨年のラオス旅行以来、約5年間のバックパッカー生活でならしたこの私の行き当たり場当たりの旅の流儀をかなり不安視している。



「スケジュール表はあるんですか? ホテルの予約は?」



「そんなもんない。なーに、メーホンソンとかパイなんて、ワシにとっちゃ自分の庭みたいなもんだから、目をつぶっても歩けるぐらいだよ。心配すんな」



実際、約
25年前、私はこのパイ、それから少しメーホンソン寄りのソポンという町を拠点に、周辺の山岳民族の村を自分の庭のごとく闊歩していた。

 

当時、パイ経由のメーホンソンへの道は、半分以上が未舗装で、急坂やカーブも多く、車はせいぜい時速30キロぐらいでしか走れなかったので、パイの町はメーホンソンに向かう途中で仕方なく一泊する宿場町のような位置づけだった。15分で端から端まで歩き抜けるような小さな街のメインストリートの道沿いに欧米人バックパッカー向けの安ゲストハウスが数軒あるだけだった。宿泊費は
50バーツから80バーツぐらい。中には個室で40バーツという激安の部屋もあった。



私はもっぱら山の村にホームステイしていて、たまに息抜きでパイの町に降りてきては、リス族の女の子たちと滝に遊びに行ったり、温泉に行って近くの村から遊びに来ていたタイヤイの女子高生たちと一緒にパンツ一丁になって混浴したりした。(あ、いや、パンツ一丁になったのは私だけですからね、念のため)



それが今回、約10年ぶりにパイの町を再訪し、ぶったまげた。メインストリートのみならず、街のいたるところにレストランやブティックやらゲストハウスやら土産物屋やら刺青屋が立ち並び、欧米人旅行者やタイ人観光客で溢れかえっていた。かつてはただの住宅街だった裏通りに入っても、民家を改築、改造したようなまさに民宿風のゲストハウスだらけ。街全体がゲストハウスという感じで、バンコクのカオサン状態である。



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大戦中、日本軍が建設した「メモリアル・ブリッジ」も今や観光名所。リス族の「写真少女」たちが観光客に群がる。


なんでも
15年ほど前から若者層を中心に、チェンマイに近く、風光明媚な新たなリゾート地として注目を浴び、タイのテレビでもたびたび紹介されるようになった。ヒッピー旅行者やタイのアーチスト志向の連中だけではなく、一般のタイ人観光客も「めざせ、トレンディなパイ」ということになったらしい。おかげでパイは物価も地価もうなぎのぼり、40バーツだったゲストハウスは最低でも400バーツぐらい出さないと泊まれなくなってしまった。一泊数千バーツの高級リゾートも雨後の筍のごとく建ちはじめている。



ここへきて一抹の不安がよぎった。驚いている場合じゃない。ホテルだ、まずは宿を確保せねば。



ところが、街のどこを探してもゲストハウスの看板は「
Full」の4文字。郊外ならどこか一軒ぐらい空いているだろうと、どこまで車を走らせても、田んぼのど真ん中に立っている安ホテルも「Full」。 ほらみたことか、といわんばかりに女性スタッフたちの引きつった視線が私の顔面に突き刺さる。




まあ時期も悪かった。年末年始はタイ人観光客も大移動するのだ。国民のほとんどが貧乏だった四半世紀前は、地方の小都市を旅するタイ人なんて行商のおやじぐらいのもので、一般庶民にはホテルに泊まる必要がある距離への観光旅行などに縁がなかった。それが今ではバンコクからも自家用車で続々と北部タイにやってくるようになった。一方で最初の頃ここに住み着いていたヒッピー旅行者やアーチストたちは、あまりの物価の高騰と騒々しさに悲鳴をあげて脱出し始めているという話も聞く。




結局、足を棒にして夜
7時までホテルを探したが、観念して3時間かけメーテンまで移動し、古びた安旅社になんとか投宿し、女性スタッフを野宿させずにすんだ。



その翌日に行ったチェンマイ県のドイ・アンカーンも、人、人、人だらけ。標高
1300mの頂上付近まで続く急峻な坂道は車の渋滞の列。駐車場もレストランも超満員。ここも昔は山岳民族の人たちがのどかに暮らす地域だったが、最近はタイ人の人気観光スポット。まるで大晦日の伊勢神宮に来ているような人ごみだった。結局、くたくたに疲れて帰ってきただけだった。



教訓。タイでは年末年始は観光地には出かけず、おとなしく寝正月を決め込むに限る!

 

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ドイ・アンカーンの国境の村でスタッフ一同記念写真


クリスマスの明暗

2012/12/25 14:46 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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今年もさくらホールで年末恒例のクリスマス会が開催された。


今年は各学年別に構成されたチーム対抗の出し物、カラオケ選手権などのほか、各世代混合で4つにわけられたチームが優勝の副賞である『ムーカタ(焼肉)食べ放題』をめざしてアイデアを練り、約1カ月かけてひそかに準備を重ねてきた力作を熱演した。どのチームも気合が入っていて、見応え充分。みな、なかなかのエンターティナーである。演出や衣装、美術などのレベルは毎年上がっているし、子どもたちがその創造力を発揮できる環境も整い始めている。


ひと昔前までは、子どもたちはダンスや演劇に使うBGMを手に入れるだけでも一苦労で、私のところにも「BGMに使えそうな曲があったらテープかCDを貸してください」と相談にきていたものだ。私も自分のCDやテープのコレクションを総動員し、カセットデッキやMDレコーダーなどを使って夜遅くまでダビング編集の手伝いをしたものだ。それが今では誰もがパソコンやインターネットを駆使できる時代になり、
youtubeなどでダウンロードした曲をパソコン内で手際よく編集してBGMを仕上げている。技術の進歩はすざましい。

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さて、私たちチェンラーイ在住日本人オヤジバンドも、クリスマス会のステージで演奏させていただいた。今年は去年と違ってトリでなく、夕食後の1時間。最後だとプログラムが押しまくって出番が深夜になってしまい、眠りこんでしまう年寄りメンバーが若干名いるためである。


こちらも気合だけは十分で、1カ月前から三輪邸に毎週集合して特訓を重ねたのだが、この夜のライブはいつもと様子が違った。いつもはすぐにかぶりつきで踊ってくれるノリのいい寮生たちがまったく乗ってこない。完全に空振りだ。


なぜか。理由はどうも選曲にあったようだ。今年我々が演奏したのはタイ・ポップスではなく、洋楽、しかも30~40年前のオールド・ロックだった。レッド・ツェッペリン『ロックンロール』に始まり、ローリングストーンズの『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』、ディープパープルの『ブラックナイト』、クリームの『サンシャイン・オブ・ザ・ラブ』、イーグルスの『ホテル・カリフォルニア』、そしてチャック・ベリーの『ジョニー・B・グッド』と、40代以上のロックファンならだれでも知っている古典的名曲ばかり。だが、十代のさくら寮生でこれらの曲を一曲たりとも知っている者はいない。そりゃ、知るわけないか。いや、『ホテル・カリフォルニア』で踊れとは言いませんがね、せめて『ロックンロール』とか『ジョニー・B・グッド』ぐらいはねえ・・。結局一番受けたのは最後にやったLOSOの数曲だった。


やはり、寮生たちにはタイの歌しか受けないのか?


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実は数年前から少し気になっていたことがある。20年前のタイの若者たちって、もう少し洋楽に親しんでいたような気がする。ビートルズやサイモンとガーファンクル、ジョン・デンバーとかのカントリーミュージック、60年代のオールディーズとかフォークソングにも根強い人気があった。今でも中年のミュージシャンなんかはホテルのラウンジとか場末のパブんなんかで歌っている。


今回、必要があって、チェンマイの書店にコード表つきの洋楽の歌詞集を買いに行った。以前所有していたが紛失してしまい、買いなおすためである。60年代から70年代にかけてのロック、ポップスのナンバーが数千曲網羅された分厚い本がシリーズで3冊出ていた。ところが、10年前には平積みになっていたこの歌詞集がどこの書店からも忽然と消えていた。著作権問題でこじれて絶版になったのかもしれないし、なんでもネットでダウンロードの時代だから、そういう本が淘汰されるのは当然という考えもできるが、どの書店でも洋楽関係の歌本は一切見当たらない一方で、タイのロックやポップスのこうした歌詞、楽譜集は多種多様で、山のように売られているのだから、印刷媒体の衰退だけが理由ではなさそうだ。

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日本でも70年代、日本語の歌詞でロックをなんていうムーブメントがあったが、タイでもタクシン政権時代に、自国の製品、言語、文化を大事にしましょうみたいな国策が掲げられた記憶がある。音楽も国産で行きましょうってことか。これを文化におけるナショナリズムの高揚とみるのか、国内の音楽産業の成熟と見るのか。


まあ、アジアでは一番洋楽を聴くと言われている日本でも以前と比べると邦楽に比べて洋楽の売り上げシェアは落ち込んできているというから、これはアジア全体の傾向かもしれない。ま、最近は山岳民族の世界でも自民族言語でのポップスがヒットしているし、自分たちの言葉、歌詞で歌をうたうのは悪いことではないが。


こうなったら次は、チェンラーイのホコテンでの路上ライブで、ファランの中年観光客たちの前でやるしかないなあ。って、そこで受けなかったら、つまり単に私たちがヘタクソだったってことか。はっはっは。



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クリスマス会の様子。今年は予想通り、複数チームが「江南スタイル」の振りを取り入れてきた。日本のアニメの主題歌とAKBの曲も人気。

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オヤジバンドのステージ

 


本当は怖いゾウの話

2012/12/01 16:35 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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先日チェンマイに行く機会があり、もうすぐ
3歳になる息子も一緒だったので、10年ぶりぐらいにチェンマイ動物園に行ってきた。
 


チェンマイ動物園は自然豊かな広大な敷地をふんだんに使っているのはいいが、坂道が多く、目玉となる各種動物の檻と檻があまりにも離れているので、小さな子ども歩いて観てまわるにはちょっと無理がある。といって地上
10メートルほどのモノレールに乗っても、木々の梢が見えるだけだし、園内を一周する遊覧バスを使っても、目撃できたのはキリンの首から上とバスの中まで鼻を伸ばして餌をねだりにくるゾウぐらいのものだった。


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チェンマイ動物園のゾウ。




よく人に慣れたゾウを見ていて、
10年ほど前のある出来事が頭をよぎった。


その日、私はさくらプロジェクトが支援している
J村に来ていた。ゾウ乗り観光で有名なR村からさらに6キロほど山奥に入った村である。


夕方7時ごろになり、雷鳴がなり、雨が降り始めた。そろそろ村を降りなければならない。その夜、
J村の人々はいつになく(?)親切で、来る人来る人、私の腕にアムケ(白い糸)を巻きつけてお祈りしてくれる。祈祷師の一人は、「アチャン(先生)、できることなら、今晩は帰らないほうがいい、村に泊まっていきなさい」と勧める。しかし今夜は泊まる予定できていないので、村人たちの申し出を丁重に断って別れを告げ、トヨタの4駆ピックアップ・トラックに乗り込んだ。


車が走り出してしばらくして、若い運転手の
Y君が私に言った。彼もラフ族である。

「さっき、村人が話していたのですが、アチャンにしきりにアムケをして祈ってくれたのは、帰り道にどうかあのお化けゾウに襲われないようにというお祈りだったんです」

「なんだよ、それ」

「P村の近くで人を襲った例のゾウなんですがね、森の中へ逃げてしばらく行方不明になっていたのですが、今日になって、今いたJ村に向かっているらしいことがわかったんです」


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 観光客に人気のゾウ乗り。



実は数日前、
R村の近くにあるP村のラフ族の村人が、なんらかの原因で精神に異常をきたして凶暴化したゾウに森の中で襲われ、無惨な形で殺されてしまうという、ショッキングな事件があった。R村では観光用に60頭以上のゾウを飼っているが、発情期を迎えたゾウはときに調教師も手をつけられなくなるほど凶暴になるため、森の中に足枷をはめられておさまるまでつないでおかれる。今回はそのゾウが足枷を自分で断ち切り、森をさまよっているときに、狩りに来ていたP村の
ラフ族の人が鉢合わせてしまったのだという。その村人二人は遺体の形状さえわからないほど凄惨な状態で発見された。

「えっ、あのゾウ、まだつかまってなかったの?」


「ええ、だから今
J村を出たら、僕たちが途中でそのゾウと鉢合わせになるかもしれないと、村人が心配してたんです。野生のゾウはたいてい、水場にやってきます。例のゾウが現れるとすれば、僕たちがこれから通るあの森林局の近くの小川のところだと思いますよ」

「そ、そんな重大なこと、もっと早く言えって。なんで出発しちゃってから言いだすわけ?」


「引き返しますか」


「いや、もう遅いよ。このままできる限り急いで山を降りるんだ。でもあせってハンドルを切りそこねて谷に落ちないように気をつけなよ。落ち着いて」


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風雨は激しくなり、雷も鳴っている。ゾウがやってくる可能性が高いといわれている森林局近くの水場が近づいていた。道は車一台がやっと通れるだけの幅である。引き返すこともできない。雨水がラテライトの道を滝のように流れ、粘土をこねるようにひどくぬかるみはじめた。こんなところで殺人ゾウと鉢合わせになったら、つっきって前に進むことも、猛スピードでバックすることもできない。


激しい雨と風。ジャングルの中を抜ける道は真っ暗で、ワイパーがほとんど役に立たないほどに激しくフロントガラスをたたきつける雨のために、視界がほとんどない。


と、前方で「キーーン」という鳴き声のようなものがした。すわ、ゾウの声か? いや、風の音だ。


不気味な風の音が聞こえるたびに、そしてカーブを曲がるたびに、目の前にゾウが立ちはだかっているのではないかという恐怖感で体が震え上がった。


雨がさらに激しくなった。その瞬間、「ガツン!」と音がして、フロントガラスの上に長い巨大なものが降りかかってきた。


ゾウの鼻だ。


「ギャーーーーーーー、でたあ!」


私も
Yも一緒に絶叫した。万事休すだ。


と思ったら、それは暴風で倒れてきた木の枝だった。


まるで映画「ジュラシック・パーク」の主人公になった気分である。しかしこれは現実なのだ。心臓がバクバクし、手のひらは冷や汗でびっしょりになっている。


今ここで車がスタックし、そこにあのゾウが現れたらどうすべきか。ドアを開け、車を降りて一目散に駆け出すか、あくまで車の中で小さく身をかがめているのが得策なのか。しかしあの化け物ゾウは窓ガラスを叩き割り、ピックアップ・トラックぐらい平気で転がしてしまう馬力をもっているのだ。谷底に車ごと落とされたりしたらひとたまりもない。窓をあけて一目散に逃げ出したとしても、若い
Y君と違って体力のない私が先にゾウの餌になるのは火を見るより明らかである。
 

J村からR村までは約6キロ。ふだんなら15分もあれば降りてしまうこの道が、この夜は1時間にも2時間にも感じられた。悪夢の中にいるように行けども行けどもたどりつかないのだ。やっとR村に抜ける三叉路にたどりついたときは、喉がカラカラだった。命拾いした思いだった。



その翌日、ゾウは無事、捕獲されたらしい。



賢くて人に従順なゾウだが、ごくごくまれにだがコントロール不能なほどに狂暴化することもある。調教師や飼い主でさえ踏みつぶしてしまう。こうしたニュースは観光産業に与える影響への配慮からか、あまり公にされることがないが、ゾウ観光を楽しまれるかたはちょっぴり心の片隅に刻んでおかれたい。


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チェンラーイ県ルアミット村は象乗りで有名なカレン族の村


進化する訪日寮生

2012/11/01 16:57 ジャンル: Category:さくら寮日誌
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今年も10月2日から15日の2週間にわたり、毎年恒例の寮生訪日研修が敢行された。


今回はさくら寮出身のスタッフと1名と寮生3名、計4名が、千葉、東京、山梨、愛知の4県の里親宅でホームステイさせていただきながら日本の文化にふれ、里親や支援者の皆さんとの親交を深めた。10月6日、7日と東京日比谷公園で開催された恒例の国際協力の祭典、「グローバル・フェスタ」にも参加し、山岳民族の民芸品販売のお手伝いをした。

 

寮生の日本研修旅行には賛否両論がある。否定的意見の代表格としては、「この不景気のご時世に、貴重な運営予算を使って特定の寮生だけを日本に連れて行っていい思いをさせるのはけしからん」というもの。ちなみに日本での滞在費用はほとんどが支援者や里親有志のかたがたに負担していただいているので、こちらの負担はパスポートとビザの取得代そして、日本往復の格安航空券代ぐらいなのだが、それでもそれなりの出費はあることにかわりはない。

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だが私たちとしては、貧困で恵まれない境遇に生まれても、普通の家庭の子どもたちと比べてはるかに質素で不自由なさくら寮での生活に耐えて勉学に励めば、いつか日本に行けるかもしれないというモチベーションを子どもたちに与えられるだけでも、訪日研修の継続は意味があると考えている。日本での温かいもてなし、さまざまな体験は、本人はもちろん、あとに続く寮生たちにも語り継がれることで、きっと無形の財産として彼らの心に残っていくだろう。

 

2000年に始まったさくらプロジェクトの寮生訪日も今回で9回目。のべ
50名以上のさくらっ子たちが日本の地を踏んだことになるが、この12年間で様変わりを実感するのは、子どもたちの食に対する許容値の変化である。

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最初の頃、海外はおろかバンコクやチェンマイに行ったことさえなかった寮生たちにとって、2週間にもおよぶ異文化の地でのホームステイ生活は、楽しく感動の連続であると同時に、われわれの想像を超えるストレスも伴っていたようだ。言語習慣の違い、旅行バッグの扱い方からトイレの使い方、車酔いに飛行機酔い、人酔い、ホームシック・・・。旅行慣れしているバックパッカーならともかく、見るもの聞くもの出会う人、初めての体験ばかりとくれば、気疲れもかなりのものだ。


なかでも最大の難関は食生活だった。和食の味付けは基本的に甘い。香辛料が効いていない料理をタイ人は「味が薄い、味がない」と表現する。里親の方たちが奮発してどんなに高級でおいしいレストランに連れて行っても、「味がない」と子どもたちの食はなかなか進まなかった。刺身や寿司のみならず、洋食関係もあまり人気がなかった。基本的にはトウガラシが聞いていないとNGなのだ。ある年のグループなどは、どこの料理屋に連れて行ってもほとんど料理がのどを通らず、日々げっそりとやつれていくのが傍目にもわかった。そんな彼女たちにある夜、差し入れのママ―(タイ製の乾燥麺)を食べさせると、感涙にむせびながら、たちどころに数袋を平らげてしまった。日本人でさえうらやむような極上料理はまったく受け付けず、インスタント・ラーメンが至高の好物だなんて、ちょっと悲しくなるが、それほど子ども時代に染みついた食の嗜好から一歩を踏み出すのはむずかしい。日本人が和洋中、アジア料理全般、なんでもござれなのは、たとえ「もどき」ではあっても幼い頃から世界じゅうの料理に慣れ親しんでいるからに他ならない。


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しかし、ここ数年の訪日寮生たちを見ていると、和洋中を問わず、刺身以外ならけっこうなんでも食べるようになった。特に今回の寮生たちは好き嫌いが少なく、出されたものはきれいに平らげた。今回の寮生たちに特別食い意地が張っていたというわけでもない。おそらくこれはタイ国内における人々全体の食生活の変化と関係がありそうだ。



このところ、チェンラーイのような地方都市にもデパートや大手スーパーができ、そこにはマックもKFCもドーナツ屋もビザ屋もステーキ屋も日本料理屋も入っている。街のあちこちにもしゃぶしゃぶの店があり、ちょっと怪しげだけど寿司の屋台も並んでいる。食もグローバル化が急激に進んでいるのだ。


もうひとつ寮生訪日のたびにいつも感じていたのは私が勝手に「ティー・タイム問題」と呼んでいるやつである。これは以前にも書いたが、しつこくもう一度書く。それは日本人とタイ人とのコミュニケーションの作法の違いについてである。


ホームステイ先として引き受けていただいたホストのお宅はではたいてい、訪日の何週間も前から綿密な計画を立て、数日間という短い受け入れの期間中の食事のメニューからデザートの内容、それを出すタイミングまで細かく周到に準備されているケースが多い。

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たとえば食後、入浴後のひとときなどに、「お茶にケーキでもいかが?」とホストが切り出す。以前の訪日寮生たちは、「いえ、お腹はすいてないし、のどは渇いていないのでけっこうです」と断ることが多かった。日本人の感覚としては、ホストのこのような誘いは、たんに「甘いものが食べたいですか」とか「のどが渇きましたか」というだけではない。「お茶でも飲みながら、ちょっとお話でもしませんか?」という会話の誘いの気持ちが含意されているのだ。日本人同士であれば暗黙のうちに了解できるやりとりである。


お茶を断る寮生たちにしてみれば、お茶や洋菓子は苦手ということもあるし、遠慮のつもりもあるのかもしれないが、ここはせっかくわざわざ人数分のお茶菓子を準備していてくれたホストに配慮して、誘いに受けて立つのが日本的「おつきあいの精神」というもの。しかし寮生たちの属している文化圏にはそういう習慣はない。乱暴に言ってしまえば、相手の言葉の行間を読むとか、相手の立場に立って行動をするという発想自体があまりない。問題は自分が食べたいかそうでないかということだけである。文化の違いとはいえ、こういう姿を見るとちょっとがっかりする。



いつの頃からか私は訪日する寮生たちには「ホストの気持ちも汲んであげて、お茶の誘いには極力応じるように」とい通達を出すようになった。しかし、この件に関しても最近は心配無用で、みな紅茶もケーキもぺろりと平らげるようになった。ここ数年タイでもちょっとしたブーム。挽きたてコーヒーにおいしいケーキが食べられる店が街のあちこちに登場したりして、「喫茶」の文化が根づき始めているのだ。


それにしても、今回の4人は食べに食べたり。


日本滞在をあと数日に控えた頃、最後のホームステイ先の里親のかたから、「これまでに日本で食べた料理でもう一度食べたいものがあったらリクエストして」と問われると、寮生たちから間髪をいれず答えが返ってきた。


「しゃぶしゃぶ!」


「焼肉!」


おい、キミたち、贅沢なんだよ!


これからはもう少し遠慮の精神というのを教えなくては・・・。

 

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  みたらし団子をほおばる。

 


プロフィール

三輪隆

Author:三輪隆
1955年岐阜県生まれ。写真家・文筆家。タイ在住26年。さくらプロジェクト代表。

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